3月19日、私は緊急事態宣言が明ける直前の普段より静かなオフィスを巡り、およそ4年の間にお世話になった人を見つけてはヨックモックのシガールを配っていた。

半期の終わり頃になると、お菓子を配りながら退職の挨拶回りをする人を社内でよく見かけた。
どういうわけか、そういった時に配られるお菓子は概してヨックモックが多かったので「ヨックモックはお別れのお菓子」というイメージが私の中で形成されていたのだが、実際配る側になってみると、こちらがまだ何も言っていないのにヨックモックの箱を持っているだけで「えっ、辞めるの?」という反応が返ってくる人もいたので、そのイメージを持っていたのは私だけではなかったらしい。


社内外で人の動きが多い会社でもあったから「どうして?」と聞かれることは多くなかった。さまざまな側面があって自分の言葉で語ることも(限られた時間の中でも、自分の語彙力をもってしても)難しかったし、積極的に話すものでもないと思ったので、逆にありがたい反応だった。
それよりも、一緒に仕事ができて楽しかった、いつでも戻ってきていいから、と多くの人に暖かい言葉をかけていただいた。辞めようと思っていたタイミングは正直なところ今回が初めてではなかったのだが、もしその時に行動に移していたら、こうした言葉をかけてもらうことはなかったと思う。

 



ヨックモックを配る前に当日社内にいなかった人を含めて挨拶のメールを送った。そこにはお世話になったことに対する感謝と合わせて、今までの非礼に対するお詫びを綴った。
定時後に開いてもらった送別の時間にも上司から私の1年目のとある出来事をネタにされたり、ある時は「カミツキガメ」とあだ名をつけられたくらいには私の素行は決して褒められたものではなかったし、嫌悪していた人も少なからずいたと思っての記述だった。私が新卒入社した頃を知っている人はあの文章を読んで思わず笑ってしまったと言っていた。おそらく付き合いの長い人は同じ感想を持ったと思うし、むしろそういう人には笑ってもらうために書いた一文だったので、ある意味狙い通りではあった。


当時を振り返ってみれば、自分なりの仕事に対する責任感や考え方があっての行動だったとは思うのだが、思い返してみてもそれを外に出す術があまりにも稚拙だったことや、飲み会の多い部署でもあったことから格好の酒の肴にされてしまったことで尾ひれがだいぶ大きくなってしまったのだが、とはいえ概ね事実である故に否定するタイミングを失ってしまった。もっとも、年次が上がるにつれてそれらも笑い話から「あの時と比べればHisayaは本当に丸くなったよね」と言うオチをつけられることが増えるくらいにはおとなしくはなったかな、と思っている。

 



キャリアの後半は開発チームのリードという役割をしていたらしい。らしいというのは、組織図などに明記されたりするものでもないので、自分が本当にそういうロールなのかというエビデンスがないことと、自分が果たしてその役割を全うできていたのかという問いに対して「そうだ」とは決して胸を張って答えられないからで、あまり不必要にアピールすることもしていなかった。
とはいえ、送別の寄せ書きや上司の言葉の端々からそうであるとは言われていたので、ここではそういう役割をしていたという体で話をしようと思う。
 

 

私がリードに立ったときに建てつけた組織や体制は「メンバーの流動性に対するレジリエンスを上げる」ことをとにかく意識していた。
人の入れ替わりが激しい中でそれでも動き続けるシステムを守るためには、知見を平準化し、できるだけ誰でも自走して対応できる必要があると考えた上でのことだった。それを明確にメンバーにも伝えたのはもちろん文字通りの意図もあったし、これは今だから言えることでもあるが、遠くない時期に私もそういう動きをする可能性があることを暗に示していた。

人の入れ替わりが大きい組織は個人のキャリアパスにとってメリットが大きい一方で、ノウハウや技術的な知見まで流動的になるという現状がある。
私も将来的にやりたいことは持っていた一方で、いま目の前で動いているシステムとそれを守るためのチームに対してはせめて誠実に向き合うことと、ポジティブな影響をもたらすことがリードの役割だと思って仕事をしてきた。

チームを引き継いだ段階でコードベースを書いた担当者はほぼ居なくなっている状態で、その背景を読み取ったり保守する苦労を私もメンバーも味わってきたからこそ、せめて自分が作ったものがいつか腐敗して技術的な負債になることを自覚して、可能な限りその度合いを低くするような実装や対応を心がけていた。


リードというポジションを降り、そして会社を去るというのは、結果的に自分も苦労をかける側の人間になってしまったということだし、もし将来に自分が生んだ実装や体制によって他者から誹りを受けることがあったとしても、それは甘んじて受け入れなければいけないと思っている。それでも、私なりに考えたことや提案をメンバーは受け入れてもくれたし、よりよくするための意見や動きを惜しまずに実施してくれていた。

 


 

 

有給消化に入っても時々システムやチームは問題なく機能しているだろうかと気になることがあった。寝起きや休日でも数時間おきにアラートや連絡がないかSlackを開く手癖は、アカウントを無効化されてからもしばらく抜けなかった。


私が今日まで仕事を続けることができたのは、ひとえに周囲の理解と協力のおかげであって、自分の力だけで成し遂げられたことはほとんど無かったと思う。時に厳しく、そして優しく見守ってくれた皆さんにはせめて感謝の意を伝えたい。
4年という期間が長いのか短いのかは見方によるのかもしれないが、この期間にさまざまな経験をし、人に出会い、生きてこの会社を去ることができてよかったと思っている。

ありがとうございました。