Dr.Langdonの日記

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イタリア滞在中安否確認用

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2018年1月14日 イスタンブル3日目

 

1453パノラマ博物館のあと、地下鉄乗り継いで軍事博物館に行った。

同じM2 Osmanbay駅降車で、アタテゥルク博物館という小さい博物館もあったからついでに見てきた。

 

トルコのアタテュルク国際空港の名前に冠されてる人で、オスマン帝国の将軍で、トルコ共和国の初代大統領。現代のトルコの礎を築いた人なのかな。

アタテゥルクという姓は、あとで与えられた「父なるトルコ人」という意味だそうです。

全然知りませんでした。

 

入り口。

 

胸像

生前の遺品の数々

執務室の模型

直筆の手紙の数々

勲章の数々

 

 

勉強不足でアタテュルクの偉大さを知らずに訪れたため、感動もいまいち。

アタテュルクの偉大さを理解してから行くと、見所もたくさんあるんだと思います。

 

まあ、自分としては存在の偉大さを知っただけでも大変な収穫。

 

 

2018年1月14日 イスタンブル3日目

 

3日目、1453パノラマ博物館に行った。

1453年のコンスタンチノープル陥落に特化した博物館で、展示物はほとんどないけど解説は充実してた。

 

トラムT1で、Gulhane駅からTopkapi駅に移動。

 

ドーム型の展示室のミニチュア模型。

城砦を突破するオスマン帝国軍の真っ只中にいるというシチュエーションで、真ん中の展望台から360度情景が見渡せるようになってる。

 

 

実際のパノラマ展示室の絵はこんな感じ。テオドシウス城壁が破られた箇所。

 

この博物館を出たときに、本物のテオドシウス城壁はこのドームの絵と全く同じ構図になっていて、なんでこんな辺鄙なところにポツンとこの博物館があるのかが、あとで分かった。

 

ドームの絵と展望台の間には、大砲とかのジオラマがある。

 

Sultan Mehmet IIの陣。正面の赤マントがMehmet II。

 

Sultanの右翼には、左利き専門の弓騎兵隊が配置されて右側からの攻撃をしやすくしていた、と音声ガイドで説明してたけど、どれがその部隊なのかよくわかりませんでした。

 

突撃隊の中でも特に勇敢な兵士は、豹柄の上衣と羽付きのヘルメット着用で、敵から目立つようにして威嚇していたそうです。

 

標的になりそうだし、相当勇気いるね、この格好は。

 

この360度のジオラマ展示室のほかには、50個くらいの歴史解説パネルが充実してた。

全部日本語の音声ガイドもついてたから、全部聞いてると2時間以上はかかる。

 

Sultan Mehmet IIの幼少のころのスケッチブック。

10歳でアラビア語、ギリシャ語、ラテン語をマスターし、芸術・軍事・政治の英才教育を受け、19歳でSultanになって、21歳でコンスタンチノープル攻略したトルコの英雄。

 

イタリア絵画の模倣と、ギリシャ語のアルファベットと、何かの2行詩とか。

SultanのSignatureも書いてる。こんなものが残されてるのが興味深い。全部ページめくってみたい。

 

 

 

 

 

Fatih Sultan Mehmet (征服王メフメト)の彫像

 

政治、文化、軍事、歴史のいろいろな面から、解説がたくさんあって面白かった。

Mehmet IIは、キリスト教側からの歴史では、残虐な戦争好きと思われているが、オスマン側からみれば国際的で教養も豊かで、コンスタンチノープル攻略後もキリスト教との共存を認め、善政を行った偉大なSultanだそうです。

 

パネル展示はこんな感じ。パネルはトルコ語のみで、下に簡単な英語の説明プレートが付いてる。

音声ガイドは全部の展示で日本語あり。音声ガイドがあると、やっぱ楽。

 

で、博物館をでるとテオドシウス城壁がまさに隣にある。ここで初めてこの博物館がなんでココに建ってるかを理解した。ジオラマと同じアングルの城壁。

 

特に展示とか資料館はなく、外から残骸を眺めるのみ。

 

しかし、重機とか爆弾もない時代にこんな城壁を破壊して、攻略したもんだなー、と単純に思った。

 

Mehmet IIの人物像も理解して、東ローマが滅亡した歴史の証跡を実際にみて、感動しました。

ここもきてよかった。

 

ちなみに外国人は全くいなかったと思う。にぎやかなトルコ人がたくさんいた。

トルコ人にしてみたら歴史博物館というより、アミューズメント施設って感じなんじゃないだろうか。

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

Topkapi Sarayiの後、Gulhane park沿いをてくてく歩いて戻ってホテルに戻って、

2日目の夜もホテルのレストランのOliveレストランで食べた。

 

坂道を下って、トラム駅の道に戻る。

 

夕食は、昨日に引き続きOliveレストラン

天気が悪かったけど、ボスポラス大橋まで見えた。

 

DOMATES CORBASI

ドマテス・チョルバス(トマトスープ)、すごいおいしかった。

昨日、頼んでキープしたワインは、まだちょっと冷えてた。

 

ウェイターの人が申し訳なさそうに謝ってきて、

お客様が部屋に戻ってからすぐに冷蔵庫から出しておいたけど、まだ冷えたままで大変申し訳ない、とわざわざ謝ってきてくれたけど、こちらこそ予約なしで突然早めに行って申し訳なかった。前日は8時過ぎだったけど、この日は6時くらいだったし。

ワインも一番いい状態でだしたい、という心意気は伝わったのでうれしかった。

 

トマトソースのサラダ

 

Traditional Saç Oruğu

挽肉と玉ねぎと胡桃のハンバーグみたいに表面を焼いたのと、辛めのソース。

これもおいしかった。

 

ワインをまた少し残して部屋に戻った。

 

時間が早かったから、ぶらぶらと夜の散歩にでて、トルコビールを買って帰った。

EFESビール。PilsenとMaltがあったけど、どちらかというとMaltが好みだったかな。

 

 

 

 

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

Topkapi Palace内だけど、Haremが別展示。

Harem入り口。

 

厨房とHaremの中継点。ここに厨房から料理を運んで並べたあとにHaremから受け取りにいったらしい。

暖炉

スルタンの母親の居室。

 

Imperial Hall

 

プールの跡。

出口の通路

 

なんていうか、豪華とか鮮やかさは感じられず、全体的に薄暗く、煤けて誇りっぽい印象の展示で、イメージしてたHaremとは少し違った印象。カーペット敷いたり、ライトあてたり、もう少し演出してもいいような。。。。見学者もほとんどいないし、なんか寂しいというか廃れた感じだった。

 

とはいっても当時のありのままなのかも知れないけど。

 

Golden way.

スルタンがコインをばら撒きながらハレムを往復してたらしい。

この階段は、たしかハレム内で何かの反乱が起きたときに、誰かが逃げるためにつかった階段とか行ってた記憶が。。。

 

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

リストア中の考古学博物館は割と早く見終わって、次にTopkapi Sarayiに行った。

1453年のコンスタンチノープル陥落後にSultan Mehmed IIが建設し、1478年に完成。

 

最初の門、Imperial Gate。警備厳重。エジプトはローカルポリスだったけどイスタンブルは軍の警護で緊張感がぜんぜん違った。

内側から。

 

二つ目の門、The Gate of Salutation。

門の入り口の真ん中上に飾ってある紋章は、Sultan Mehmed IIのTughraという説明だったので、WebでTughraを調べてみたけど、どのSultanのTughraもあまり見分けがつかない。。。

 

ここに一覧( Tugra.org )が載ってるけど、どれも似たような感じでよくわからん。

これの読み方が分かるようになったら、トルコ旅行はもっと面白いだろうな。

 

Topkapi Sarayiは、音声ガイドがあってありがたかった。

日本語を含めて15カ国後対応で、すごい充実してた。

 

何しろこれだけの説明を聞きこなさなくてはいけない。。。 全部聞いたと思うけどすごい勉強になった。

音声ガイドだと自分で読み込む必要もないし、本当に楽なんだけど、数が多くてこのブローシャをみながら番号を打ち込むのがやや面倒。

 

センサー内臓なのか、展示室に入ると勝手に再生が始まるところもあったね。

 

宮殿右側の厨房エリアは、食器、調理器具、陶磁器の展示になってて、ほとんど撮影禁止だった。何でなんだろうか。写真くらいいいじゃねーか!と毎回思うね。写真にとって、あとから思い返すことが楽しいのにさ。

 

この一角。部屋が5個くらいあって、確か年代別に分類されてたと思う。

ナポリにピザ釜に繋がるパン焼き釜とか、鉄の大なべとか竈の展示もたくさんあった。

 

この鳳凰のような水差しは、地味な展示が多いなか一際目立つ派手な逸品だったな。このあと続く宮殿内部のすすけた地味さ加減に比べて、オスマン帝国の豪華絢爛ぶりが垣間見れる数少ない展示。

 

次、Imperial Council Hall。見所を理解しきれなかったけど、外国人は写真を撮り捲ってた。。。

 

 

Arms collection, Clocks Collection

の武器、時計の撮影禁止ゾーンも興味深いものがたくさんあった。

 

外に出て金角湾を見下ろすKiosk.

 

写真があまり撮れなかったけど、音声ガイドを完全制覇して、ここも満足しました。

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

次の考古学博物館は、改装で新館は閉鎖中で、新館の一部と旧館のみ。残念。

 

おかげで、目玉のアレキサンダー大王石棺が見れなかった。

ミュージアムパスでしっかりお金は取ってるのに、なんだかなー。

 

旧館入り口。

 

紀元前2世紀のHellenistic期のLycian 石棺

 

他にも石棺の数々。こういうのはローマでもたくさんみたね。

 

これは見事。

 

海の神、Okyanus

 

これは、ネロ帝か、アウグストス帝だったかな。

 

シュリーマンの奥さん。

トロイ遺跡で発掘された通称プリアモスの財宝を身に着けている写真。今はほとんど行方不明。

 

Siloam碑文。BC.700年ころの東エルサレムの地下水道トンネル開通(Gihon SpringからSiloam Poolまで)の碑文。1880年エルサレムで発見された。

 

なぜイスタンブルにあるのかはよくわからん。

 

館内改装中で、こんな感じだった。

 

Siloam碑文は初めて知った。アレキサンダー大王なんかよりも貴重なものをみた気がする。

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

オリエント博物館の隣にあるTiled Kiosk Museum。

Sultan Mehmed IIにより1472年竣工。コロンブス新大陸発見の20年前。日本は応仁の乱真っ最中。

自分がとった写真は天気も悪くて陰気な感じだけど、天気がいいとこんなに華やかな感じ。(Wikiから、プロが撮る写真は違うなー。。。)

 

横庭にも遺跡の残骸がたくさん。。。無縁仏のようでどこかもの悲しさが漂う。

地味な入り口

モスクとか宗教系を除くとオスマン期最古の建築だそうで、19世紀ごろから美術館として使われてたみたい。

 

Iznik tileの説明と陶器やタイルの展示がたくさんあった。Blue mosqueでもたくさんみたけど、タイル一枚一枚の技巧の見どころまで理解してなくて、なんとなく素通りしてしまったけど、青基調なのはよくわかった。

 

現代の食器なんかもそうだけど、なんで白地に青の柄の組み合わせが多いんだろう??陶器製造の技術的な問題なんだろうか??

 

考えてみると赤とか黄色はあまり見ない気がするな。セラミックの歴史ももう少し勉強しないとなーー。。

 

三越とかで見かける今の食器と変わりないように見える。この当時から完成されたのかな。きっと。

とにかくBLUE。これはきれい。

 

写真が少ないんだけど、たくさんのタイル展示がありましたよ。

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

Sultan Ahmed Camiiの次はオリエント博物館を見学。

 

Gulhane Parkの入口から入る。

 

Ancient Orient Museum

Tiled Kiosk Museum

Archaeological Museum ( Under Restoration ! なんと、がっかり! )

 

と、3つの博物館が広場の周りに向かい合って建ってる。

 

まず、Ancient Orient Museumから。

 

Deir El Bahariのミイラの1体がここにもあった。誰のミイラかは書いてなかったな。

 

ヒエログリフのカラー解説も。Water,Town,Desertは、現代の地図記号にも通じるものがあるな。

 

Ishtar Gate

BC.575 イラクのバビロンに、Nebuchadnezzar IIが建立した門のレリーフ。 

 

ベルリンの博物館で復元されているらしい。こんな鮮やかな門。こういう全体のオリジナルがあると、部分も理解しやすいよなー。イラクでも復元されたけど戦争でまた破壊されたのかな??

 

ヒッタイト時代のレリーフ。顎ひげがシュメールというかアラブ風だけど、頭と下半身は横向きで上半身だけ正面というのはエジプトとおんなじだな。Walk like an Egyptian的な。。。

 

中毒症状に関する楔形文字の処方箋。文字びっしり。

そのほかにもたくさん。ガキの頃をイラクで過ごした知り合いによると、遠足で行く先にこんな楔形文字の破片はその辺りにゴロゴロ転がっていたらしい。。。

 

楔形文字の解説。

 

 

メジャー。 1 footとかの測定単位があるね。

 

写真がなくて、見逃したっぽいんだけど、カデシュの条約(Kadesh Treaty)の碑文の展示もあったはず。。。。あんまり記憶になくて、本当に残念。

 

 

 

 

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

Isramic Art Museumを出た後、Hippodromeをはさんで向かいにあるSultan Ahmet Camii見学。

Ayasofyaと向かい合って真正面にあって、写真映えのするCamii。

 

Hippodrome側の入り口。

 

Sultan Ahmet I治世の1617年建立なので、日本の大阪夏の陣のころだから大坂城ができたころの建築ってことですね。イタリアのサン・ピエトロ大聖堂のドームもここらへんの時期かな?

大坂城はなくなっちゃったけど、都市を象徴する歴史的建造物が作られた時期が重なってて面白い。

 

Sedefkar Mehmed Aga設計で、6本の尖塔ミナレットと8つの小ドーム構造。オスマン時代のモスク建築の完成形という説明。

 

ちなみにこのSultan Ahmed Camiiは、Seven Hills Hotelの屋上テラスからの写真が一番きれいにとれた。6本のミナレットがかっこいい。なんかスターウォーズにでも出てきそうな雰囲気。

 

インテリアは青や緑のIznik ceramicタイルで飾られているため、通称ブルーモスクとも呼ばれるそうだけど、全体的に暗くて煤けた印象で、鮮やかな青って感じではなかったなー。

 

メインドームの天井と、セミドーム。

青といわれれば青のような気もするかなー、くらいの淡い青と緑だった。

そういえば、一度改修があって、青のトーンが落ちた、ってどっかに書いてあったかも。

 

2万枚のタイル模様はすごかったね。

 

隣にあるSultan Ahmed I霊廟は修復工事中で入れなかった。

 

 

 

2018年1月13日 イスタンブル2日目

 

Isramic Art Museumでミュージアムパスを買って、まずはそこから見学。

 

建物は、オスマン帝国の第10代Sultan Suleiman I (1520-1566)下の大臣Ibrahim Pashaの旧邸宅を使用、とある。16世紀のオスマン建築の代表例らしい。

 

Ibrahim Pasha Palaceの一部間借りして、Isramic Art Museumとして使っている感じ。

 

邸宅間取り図

中庭

中の展示のほうは、トルコに影響のあった各王朝ごとに、展示が順に流れていて分かりやすかった。

主にコーランとかの展示が多かったかな。

Anatolia

Umayyad

Byzantine

Seljuk

Mamluk

Ottoman

みたいな時代順。

 

Anatolia時代かな?

12世紀Umayyad期のコーラン。日本の鎌倉時代。

コンピュータからプリントしたかのような均整のとれたアラビア文字がきれい。まだ印刷技術が発明される前だけど、印刷したかのようなクオリティで、惚れ惚れする。

 

 

Damascus Document

旅行中は意味も分からなかったけど、10世紀ごろの貴重な文書で、1897年にOld CairoのThe Ben Ezra Synagoqueで発見されて、1917年にイスタンブルに持ち込まれた、とある。

1947年に発見された死海文書には、このダマスカス文書についての記述がたくさんあるらしい。

そんなにすごいものだとは知らなかった。。。

コーランの数々

直接トルコではないけど、Mamluk期の説明

同じくILKHAD期の説明

たぶん、その時代のコーラン

Timurid期

コーランがグラフィカルになってきたような。

Pen caseと鏡

 

 

聖遺物コーナー

 

全長10m以上のでかい垂れ幕というか、たぶん装飾用の帯みたいなの。

MeccaのKaabaという聖モスクに掛けられてたKiswahという布カバーの一部?

全部すごい刺繍。。。このモノトーンのシルバーっぽい鈍い輝きが、いぶし銀って感じ。

15世紀のもの。観音開きの木製のドア。タイル柄のような彫刻。

 

Seyyid Ali Ibn Muhammedの棺

 

最後にオスマン帝国期

巨大カーペット、コーラン、当時の生活用品とかの展示。

 

それからHippodromeの残骸。

おそらく中世に書かれたローマ・ビザンツ時代の絵。

 

「戦車レースや剣闘士や曲芸や珍しい動物の展示などのイベントに使われ、戦車レースはただのカーレースであること以上の意味があり、政治・社会的な集まりの青と緑のレーシングチームに分かれて競われ、勝者の像も作られた。1261年までこうしたイベントは続いた。」

1204年にヴェネツィアの第4次十字軍にコンスタンチープルが奪われたあと、コンスタンチノープルを脱出した亡命政権が奪い返した年が1261年。東ローマが復活したとき以来、イベントがなくなったというのも皮肉な話だ。

 

カリグラフィとか、もともと興味あって好きだから、コーランのカリグラフィも結構楽しんだ。

意外と面白かった。

 

しかも見学してる人も二人くらいしかいなかったから、ものすごい静かで集中できる。