お疲れ様です。


先日、演劇と教育の研究集会があって、

東京に行ってきました。


小学校の演劇教育を巡る

実践交流の分科会でしたが、

とても有意義な話が聞けました。


音楽劇や、ダンスを取り入れた日常活動の

実践だったのですが、

その活動だけでなく、

日常の活動の中で、

子どもたちの言葉や発想に

ちゃんと向き合っている教師たちの姿があって、

だからこそ、素敵な活動ができているのだろうと思うのです。


子どもの言葉に耳を傾ける、というのは

簡単に言葉にしますが、

実は、とても難しいことです。


批判でなく、「おもしろい」という心からの感動と

小さなつぶやきを大事にしていたり、

様々な場面で受け入れられる教師であり、

集団ができているから、

子どもたちは、のびのびと自分を表現できるのです。


今、どんな教材を使えば、

子どもたちが生き生きできるのかを

日常的にアンテナを張っていて、

そのことに迷いがないのです。


そういう集団の中では、

子どもたちは、友達のことも大事にできます。


助け合う、ということがどうして大事なのかを

ちゃんとわかっているのです。


この席には、若い教員たちも来ていました。


形やネタではなく、

教育観を学んで行ってほしいと思います。

お疲れ様です。


防衛大学校でのいじめが話題になっています。


場所が学校だからいじめという表現を使うのでしょうけれど、

内容は、いじめというより、犯罪です。


この「犯罪」を「いじめ」と表現するのは、

そろそろやめにしませんか。


一定の集団内で、

特定の人間関係の中で起こると、

いじめという言葉で表現して、

うやむやにしているように思います。


何が許される範囲で、

何が犯罪かは、

おとななら、ちゃんと知っているはずです。


人の身体に火をつけるなど、

本人が告訴しなくても、ちゃんと捜査して、

起訴しなければいけないことでしょう。


教育のために徴兵制を利用しようとしている人たちは、

一体、そのモデルになるはずの

この学校の繰り返される暴力事件を

どんな教育と説明するのでしょう。


たとえそこが学校でも、

被害者と加害者の関係性の中での裁判ではなく、

そういう関係を容認している教育環境に

捜査介入してほしいものです。



お疲れ様です。


「うちの子もそうよ」

「そんなの、誰だってそうじゃない?」

「若い時って、そういうもんじゃないかな」


困っていると話した時、

多くの人は、そう言って慰めます。


もちろん間違ってはいないのです。


ただ、程度が違うだけなのです。


だから、個性が強いと言ってしまえば

そうなのですが、

困っている当事者にとっては、

困り感はもっと強いのです。


そもそも子どもたちは、

親を困らせて育つ存在です。


だから、親が困るのは当たり前と言えるのですが、

最近言われる障害がある子どもたちは、

一筋縄ではいきません。


「何度言ったらわかるの?」と親が怒ってみても、

そもそも「言った」のではわからないのです。


「じっとしていなさい」と言っても、

じっとしていることができないのです。


でも、一方で、彼らの個性は、

とても子どもらしいのです。


目に留まったものに関心を持ち、

関心を持ったことに

囚われずにはいかないのです。


それでも、彼らには彼らのルールがあります。


そこにヒットすれば、

案外簡単に動いてくれます。


それを見つける努力をしてみるといいのではないでしょうか。