クラシック初心者だから楽しい!浜松国際ピアノコンクールの鑑賞法

クラシック初心者だから楽しい!浜松国際ピアノコンクールの鑑賞法

静岡県浜松市で行われる、第8回浜松国際ピアノコンクールを応援するサイト。

Amebaでブログを始めよう!

こんにちは、浜コンコンシェルジュのてるこです。



先日、第8回浜松国際ピアノコンクールが熱狂の中幕を閉じ、浜コンを応援するこちらのブログも更新終了宣言させていただいたばかりではございますが。



コンクール期間中、ブログにて書き足らなかったこと、終わってから感じたことなどを、補足。



まず、わたくしが



「演奏を聴く前にプログラムを見ないでくださいー」



と訴えた理由。



わたしはコンクールの間、プログラムを見るどころか持って行きさえもしないというスタイルを貫きました。



(持って行きさえもしないというのは、ただかさばるからという理由からですが)



これは、次に何の曲を演奏するのか分からない、まっさら状態でいつも臨みたいという考えがあるからです。



あらかじめプログラムを知ることができる演奏会って、もしやクラシックコンサートぐらいなのでは・・・と常日頃思っているのです。



ロックなどのアーティストのライブでは、新譜をひっさげツアーを行う場合、そのアルバムからが主たる曲目になるだろうと予測はできますが、大抵昔の曲も合間に入るし、演奏順もアルバム収録順とは限らない(というかほぼ違う)



しかしクラシックコンサートの場合、プログラムというものが存在し、何の曲を、どんな順番で演奏するかが必ず記載してあります。



この“何の曲”を“どんな順番”で演奏するかどうかは、全体のバランス、そしていかに聴衆をエキサイトさせるかなど構成を練るという点で、どのジャンルのアーティストも熟考の末、決定する部分だとは思います。



しかし、聴衆側として、「お~次にこうきたかぁ」などと、その曲と曲とのつなぎや流れにリアルタイムに反応しながら聴くライブの楽しみ方を、なぜクラシックではできないのか。そんな疑問を、常日頃抱いておりました。



なので、そのライブのような楽しみ方を、クラシック鑑賞においても適応できないものかと自ら試み、訴えたかったわけでございます。



曲を知っていることが当たり前。知らない曲だと楽しめないので、コンサートに出かけない。そんな事態が起こりませんように・・・



知らないアーティスト、知らない曲をこそ、ぜひ積極的に聴いていただきたいと思います。



だからといってプログラムは弊害ばかりでなく、とても親切なツールであるとも思います。



演奏を聴いたあと、「今のは誰の、なんという曲だったんだ?」とすぐに確認することができるからです。



わたしは今回のコンクールでも、気に入った曲を誰が弾いたか覚えておき、家に帰って確認するというやり方で、知らない曲を何曲か覚えました。



一見非効率なやり方に思えますが、あえてそれをやるメリットは、確実にその気に入った曲名と作曲家名が記憶に留まるという点です。



プログラムは、演奏会が終われば捨ててしまいます。(コンクールのプログラムのような厚い冊子のものは、記念物的にとっておくこともございますが)



日がたてば、そのコンサートで何の曲を演奏したか、忘れてしまうでしょう。



全てを覚えておく必要はないのです。気に入った曲だけ覚えていられればよいのです。



プログラムを、フランス料理フルコースの「本日のメニュー」的な見方でなく、字引きのような使い方をしていただきたい、そんな切なる願いでございます。



ところで。



みなさんのお気に入りだったコンテスタントが、コンクール入賞者の中にいらっしゃるとは限らないでしょう。



入賞者の面々は、専門家の審査員が選んだ最も優れた演奏をしたピアニストたち、ということになるかと思います。



しかし、実際のコンサートで、その日の演奏が良かったかどうか、判断するのは私たち一般の聴衆です。



そしてその聴衆のほとんどが、高度な専門知識を持たない人々です。



その一般聴衆のわたしたちがいいと思う演奏と、専門家が選ぶ優秀な演奏、の違いってなんなのでしょう?



我々の音楽を聴く耳や態度が未熟だから、とはやっぱり言えないような気がします。



コンクールなどの大会で優勝することはとても素晴らしいことだと思います。



1人でも多くの人を魅了する演奏も素晴らしいと思います。



でも、たった1人でも「あなたの演奏が好き」と言ってくれる人がいる演奏も、同様に素晴らしいと思います。



ピアノの遠隔演奏や、楽器がなくても音がならせるコンピューターシステムの発達により、もうピアニストはいらない時代が来るかもしれないと言われているこの時代にもかかわらず。



どうして人は楽器を弾きつづけるのでしょう。楽器を奏でる=本能に近い行為なのかもしれません。



ネットで誰でも自作の曲を公開できる環境にあって、楽器を弾けなくても、楽譜が読めなくてもだれでも音楽家を名乗れる時代。



今後も音楽をする人々が減ることはないでしょう。



数多の音楽から、自分は何を選択するのか。聴衆としての自立が問われている気がします。



既存のメディアや知名度や経歴やその他あらゆる指標に頼ることなく。



自分の選んだ音楽に、自信を持ってください。



以上、長いつぶやきでした。



ワタクシてるこは、普段こちらのブログに生息しております。よろしければどうぞ(/ω\)


LIVEなLIFEでいこう!