Open marriage歴 約2年。笑
別々に暮らし始めて、約半年。
久しぶりに旦那さんと会う。
少し痩せた印象。
げんき?
「げんきだよ?君は?」
変わりないよ~
なんか、げんきないね。
「そうかな。なんとかやってるよ。」
彼女できた?
「できてないよ。君は?」
彼女?できてないよ。笑
「お互い、女のコにはモテないんだね。」
他所様が聞いたらぶっ飛ぶような内容やけど、会うとこんな話しをするのがデフォ。
夫婦らしいことなんてもうずーーっとしていない。
お金のこと、ビザのこと、仕事のこと、家族のこと
いろいろと進めたい私に反して、
いろいろと言い訳をつけて、だんまりを決め込んでいる彼。
でもそれは私への愛ではなくて、
彼自身の擁護であると私は感じている。
私たちみたいな関係で、人生最後のその日まで添い遂げ合う夫婦って
実は結構いるんだろうな。
とか、誰も得をしないことを考えたりした。
体調を完全にぶっ壊し、改めて本気で自分達の人生を見つめ直そうと、別々に暮らすことにした半年前。
グダグダだったと思う。
でも、必然だったとも思う。
大変な思いをしている人なんてこの世にはいっぱいいてて、
私の悩みなんてちっぽけだと思うこともあったけど、
自分のことなのに、まったく環境も境遇も違う他人と比べる時点で間違っているんだなと最近やっと気付くことができた。
以前の私は、悩み事を自分の中で膨らませ、いくらでも大きく残酷にすることができて、
理想の「悲劇のヒロイン」になっていた。
でも、悲劇のヒロイン風な自分を謳歌することはなかなか骨が折れて、とっても苦しかった。
ムラがあったから、完全になりきれることもなかった。
余所目から見ても自分から見ても、だいぶ痛かった。笑
と、ここで以前お付き合いした人のことを思い出した。
行き当たりばったりで、今が楽しければいいと、燃え上がる感情に超正直だったなあ。
その分、盲目っぷりは半端なくて
痛い目を見たし、いっぱい泣いて
時間もお金もいーっぱい無駄遣いをした。
それで、学んだ気になっていた。
彼との結婚の時、「この人なら大丈夫。」っていう謎の自信があった。
けど、今から思うと、なんだかんだであの頃もずっと私は「悲劇のヒロイン」だったなあ。
最近になって、
物事には原因、条件、結果があって
それがすべての出来事にくっついてきて、
人生の気付きとして受け取る機会を与えてくれてるんだって腹でわかったというか
そういう考え方を繰り返しするようになって、なぜ「その気持ち」が浮かんできたのかを考えられるようになった。
感情的にもならなくなって、少し離れたところから自分を見えるようになった。
「悲劇のヒロイン」がいかにしょーもないかを勉強することができた。
そこで、それもこれも、全部旦那さんが教えてくれたんだとわかった。
ひとまず感謝。
旦那さんも、私から何かを学んで貰えたなら、嬉しい。
きっとこれからも、学びの連続であろうので、気を抜かず頑張ろうと思う。
先にある道は、決まってるかもしれん。
ただそれは、自分たちが決めていく。