発想するチカラと表現するチカラ - 人財開発会社社長のヒトリゴト

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やわらかい発想、そして、自分の考えをわかりやすく伝えられる表現力。何をするにもこの2つが大事。研修の現場や日々の仕事の中で気づいたことなどを書いていきます。

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2021年6月9日、エドワード・デボノ博士が88歳で空に昇りました。

 

日本ではそこまで名前が知られていない先生ですが、個人的に私自身の人生に大きな影響を与えてくださった方で、心から感謝している先生です。


デボノ先生は、今でこそ多くの人が知っている、創造的思考のための手法であるラテラルシンキング(Lateral Thinking)という言葉を開発し、Oxford Dictionaryにその単語を載せるきっかけを作った大先生です。

 

私の前職は人材開発のコンサルティング会社、ラーニング・マスターズ株式会社(www.lmi.co.jp)での開発スタッフでした。企業の皆さまに提供する研修ラインナップのひとつとして、先生の思考ツールであるラテラルシンキングとシックスシンキングハッツを導入すべく、2007年に研修提供のための契約を結ぶべくいろいろと動いた思い出を今でも思い出します。

 

研修提供のための契約成立後の翌年にあたる2008年、UAEのドバイでデボノ先生に直接お会いする機会を得ました。芸能人に会うかのような、いや、それ以上の緊張感を感じながら先生にお会いしたのを今でも覚えています。

 

「日本を頼むよ」

 

そんな言葉を頂きました。緊張の度合いが過ぎて、商売上のことを指しているのか、それとも、日本という国を何とかしてほしい、という意図でおっしゃっていたのか、今ではもうわかりません。それでも、あの時のニュアンスで言えば、後者だったのかな、と思います。

 

コロナ禍の渦中にある日本、そういえば、オリンピックについてもデボノ先生は大きい影響を及ぼしていることを思い出しました。

 

1984年のロサンゼルスオリンピックは、”営利企業をスポンサーとして引き入れることで興行としての成功を目指す”というコンセプトが初めて加わったタイミングでした。それ以前のオリンピックは、開催都市がすべての費用を負担することになっており、”オリンピックを開催した都市という名誉”以外にメリットが見出せない運営だったのです。その影響で、オリンピックの開催都市として手を挙げる都市が目に見えて減っていく、そんな時代背景がありました。

 

ロサンゼルスオリンピックの開催前、デボノ先生はアメリカでの講演会に招かれます。そして、「コンセプトを変えよう。オリンピックを開催する都市に大きなメリットがもたらされるような、そんな大会運営ができたら良いのではないか」、そんなコンセプトを話します。そこにたまたまオリンピックの運営委員会のスタッフが聴講者として座っていたそうです。その方がこの講演に参加したことがきっかけになり、「営利企業を大会スポンサーとして引き入れる」というやり方が主流になります。

 

今でこそ当たり前ですが、デボノ先生の思考ツールがなかったとしたら、オリンピックの開催自体が脅かされていたかもしれない、そんな時代もあったのです。。。

 

 

 

 

 

2021年の今日(6月10日)現在、東京オリンピックの開催可否について、世界中でさまざまな意見が渦巻いています。デボノ先生だったら、「シックスシンキングハッツを使って考えてみよ!」と言っていたのではないかと思います。(シックスシンキングハッツとは、思考を6つの側面に分割し、ひとつずつ考えていこうとする思考手法です。詳細は、以下のサイトを参考に。。。http://www.sixhats.jp)

 

まず、ブルーハットで、「何を考えるべきなのか」を決めることに労力を注ぐべきだ、とおっしゃったはずです。以下のような思考テーマが考えられます。

 

・オリンピックを開催すべきか/中止すべきか

・オリンピックを開催するならば、どのようなことを明確にすべきか

 

日本政府はオリンピックを開催することを前提としていて、開催中止の目はほとんどない気がします。であれば、後者の思考テーマに特化して考えるべきでしょう。

 

思考テーマが決まったら、その後は創造性豊かに(これはグリーンハットの機能です)、「どんなことを考える必要があるか」を挙げると良いでしょう。以下のような項目が挙げられるのではないでしょうか。

 

・観客を入れるべきか

・入れるとしたらどれくらい入れるか

・観客を入れる/入れないについて、競技によって差異をつけるべきかどうか

・海外からの観客を入れるのであれば、その条件は

・そもそも水際対策を機能させるにはどうすれば良いか

・海外からのプレスを受け入れるとしたら、その条件は・出場アスリートの条件は

・いざ感染が拡大したときの対策は

・オリンピック期間中の感染者受け入れの医療体制は

 

こういう点を挙げた後でしっかりとしたエビデンスとともに情報把握する(これはホワイトハットで満たしていきます)ことで、さまざまな疑問への回答になり、まさに政府が言う、”安心・安全”な大会運営が実現できるのだと思います。

 

 

長い人生において、ありとあらゆる決断のタイミングがやってきます。デボノ博士が創ってくれた思考ツールを知れたおかげで確信を持った決断ができます。

 

デボノ先生、ありがとうございました。私が天に昇るまでに、先生の考え方をできるだけ多くの人たちに伝え。その人たちの人生をより良いものにしていくお手伝いができればと思います。いつか一緒にお酒を飲みましょう。本当にありがとうございました。

 

 

昨年開催されたサッカーワールドカップ。周知のとおり、1分2敗と、結果は残念なものでした。


先日、あるテレビ番組で、キャプテンとしてチームを率いた長谷部選手と岡崎選手の二人がワールドカップについて振り返る対談がありました。その中に興味深いやり取りがありました。


長谷部選手:「結果にはつながらなかったけど、試合前に行ったミーティングは良かったと思う」


こう振り返った長谷部選手に対し、岡崎選手はこう言いました。


岡崎選手:「自分は違う考えを持っている。結果が出なかったということで、ミーティングを含むすべてが意味を失った。やっぱり勝って結果が出ないかぎり、何をしたかは意味が無いと思う」


私の勝手な思いですが、この時、長谷部選手の焦点はプロセスに置かれ、岡崎選手の焦点は結果に置かれているような印象を持ちました。


プロは結果で判断される、という側面で考えれば岡崎選手の言い分に軍配が上がりそうですが、その結果を出すためにはプロセスを重視しなければならない、という長谷部選手の意見ももちろん重要です。どちらが正しいというわけではないと思います。


この番組を見ていて思ったのは、相手が言ったことに「たしかにそうだ」と追従することなく、「自分はこう思う」という意見を堂々と述べ、ぶつけ合っていたこと。お互いを尊重していなければできないことだと思います。


ワールドカップの結果は残念でしたが、日本代表が強くなる素地は間違いなくあるのだな、と楽しみになった時間でした。


数年お手伝いさせていただいている会社を訪問したときのことです。


受付で待たせていただいていると、一年前に私のセミナーを受講してくれた方が目の前を通りかかりました。


「○○さん!」とお声掛けしました。


急に声をかけられて、明らかにビックリされていましたが、「ああ~、あのときの先生ですか!」と、すぐに私の顔を思い出していただけたようで、二言、三言言葉を交わしました。その後、「では、失礼します」と、ご自身のオフィスに戻るべく、その場を離れていかれました。


数秒後、その方は私の方を振り返り、「あれ?先生、そういえば、よく私の名前を覚えていらっしゃいましたね!?」と。


講師として、「なるべく早くお名前でお呼びする」ことを意識しています。これもプロの講師としての仕事のひとつだと思っています。


名前で呼ばれるのは誰にとっても嬉しいことだと思うし、セミナーにおいては、受講者の方々を、お名前でお呼びすることで和やかで打ち解けた環境ができやすくなります。


自慢するわけではないのですが、私は人の名前を覚えておける方です。そのことで喜んでいただけて、とても嬉しいタイミングでした。


つい最近、逆の出来事もありました。


英語で進行されるセミナーにオブザーバーとして同席しました。セミナーの冒頭に自己紹介させていただき、その後はセミナールームの後ろの席で進行を見守る、という形でした。


そのセミナーの終了間際、受講者の中のお一人が「とても良いセミナーだった!講師の○○さんとKeigo(私の名前です)に感謝したい!」と言ってくださったのです。


2日間のコースで、私の名前を聴いたのは、私の自己紹介のときの一度だけ。それでも、その方は私の名前を覚えていてくださり、名前で呼んで賞賛してくれました。(その2日間、私は特に何もしていなかったのですが・・・)


自分の名前が呼ばれることはまったく想定していなかったので、とても嬉しかったです。そして、同時に、やはり"名前でお呼びすること"が大切であることを再認識できた時間でした。



従業員満足度、顧客満足度の高い企業として度々名前が挙がるサウスウエスト航空ですが、その採用手法において、興味深い話を聞きました。


面接を待つ候補者を大きい部屋に集め、そこで面接の順番が来るのを待ってもらうそうです。


当たり前ですが、皆一様に緊張しています。ここで、サウスウエストの人事担当者が「空気が固いですね、リラックスしましょう。誰か、おもしろいことを言ってくれませんか?」と投げ掛けるそうです。


ここでサウスウエストの人事担当者が注目しているのは、「勇気を出しておもしろい話をした人」ではなく、「その人の話を笑顔で聞いていた人」だそうです。


このタイミングで話される「おもしろい話」は緊張感の中で伝えられるからか、ほとんどが「サムい」話だそうです。


そんなサムい話をバカにすることなく、そして、無視することなく、微笑みで受け止めてあげられる人、そんな人であれば、お客さまの気持ちが理解できる、それが良いサービスにつながるはずだ、それがサウスウエスト航空の採用のポリシーだそうです。


採用した人をどう教育するかはもちろん重要。でも、「どんな人を採用するか」も同じように大事。当たり前ですが、そんなことを思い出しました。

今朝、情報番組を見ていてビックリしました。





何でも、夏休み宿題代行サービスなるものがあるとのこと。読書感想文、自由研究、絵日記、ドリルなど、それぞれ数千円から請け負う人や団体が存在するそうです。





利用者側のニーズとして紹介されていたのは、「子どもを受験勉強に専念させたい」というものです。





就職等の状況を冷静に見れば、良い大学に入らないと就職先の選択肢が狭くなることは(残念ですが)事実だと思います。ただ、良い大学に入ることだけを絶対視し過ぎではないか、そう思いました。





良い大学に入学することの先には、「良い仕事をして、良い人生を歩む」という目標があって良いはず。であれば、一方で宿題を片づけ、もう一方で受験勉強をする、というように、複数のことを同時にこなすマルチタスク能力を身に付けることを追求する方が将来、何倍も良い仕事をするようになるはずです。





このサービスの利用には大きな弊害があると思います。まず思い当たるのは、「面倒でキツいことがあったら、お金を払えば誰かにやってもらえる」という安易な見方をする子どもが現れるのではないかということです。





このような見方を持って社会に出ても、誰にもメリットがありません。上司はこのような人物の指導にとても苦しむはずです。当人も、上司は自分の考えを分かってくれない、と思い悩むことになるかもしれません。このような世代間ギャップはすでに存在し、各世代がそれに苦しんでいます。このギャップはますます大きくなり、もうこの問題を解決することはほとんど不可能になるでしょう。





もうひとつ思うのは、このサービスの提供側が、何を思ってこのサービスを提供しているのか、ということです。





世の多くの企業・組織は「ミッション」を持っています。そして、そのミッションが企業・組織の存在理由になるわけです。ほとんどのミッションは、その文言の中に夢やパッションを感じさせ、崇高ささえ感じられるような表現がなされています。





宿題代行サービスのミッションはどのように表現されるのでしょうか?決して崇高で清廉な表現にはならないのではないかと思います。





本当に大事なことは何なのか、ズルイことをして楽な方に逃げることなく、努力し、堂々と生きていきたいものです。







先日担当させていただいたセミナー後、参加された方々にアンケートをお願いしました。その中に、


「このセミナーは意味の無いグループディスカッションが無かったから良かったです」


という声を寄せてくださった方がいらっしゃいました。


たしかに、グループディスカッションは他人との話し合いを通していろいろなことに気づくことができる、メリットが多い学びの手法のひとつだと思います。


ただ、インストラクターとしては、「とりあえず参加者同士で話してもらえれば、何かに気づいてもらえるだろう」という安易な考えでグループディスカッションを採用するのは避けるべきなのだと思います。


私もときどきセミナーや講演会等に参加するときがあり、研修参加者としてグループディスカッションに加わるときがありますが、「なぜ今グループディスカッションをするのだろう?」と思うタイミングがあったことを思い出しました。同時に、短い時間の間に何度も何度もグループディスカッションをして、食傷気味な感覚に陥ったことがあるのも思い出しました。


グループディスカッションは有効な学びの手法であることには変わりありません。それを活かすために必要なのは、「なぜこのタイミングでグループディスカッションを行い、どんなことを話し合い、どんな気づきを得ようとしているのか」という"理由"を明確にしておくことなのだと思います。



おもしろい話を聞きました。


製氷機付きの冷蔵庫がありますが、氷を作ろうとするときに、水を入れて氷を作る場合と、お湯を入れて氷を作る場合を比べると・・・


なんと、お湯を入れて氷を作る方が早く氷ができるそうです。


なぜこのような現象が起こるのか、科学がここまで発達した現代でも、詳細な理由は分かっていないそうです。


この話以外にも、水には不思議な現象がたくさんあるようです。


空気だと、冷たい空気は下に、温かい空気は上に、というのが物理の法則。水も同じかと思いきや、池や海はなぜか上から凍っていきます。


この現象のおかげで生物は氷の下で生態系を築けるそうです。もし水や池が下から凍ることになっていたら、地球は現在のカタチになっていなかったかもしれないと。


理由はわからないけれど、現象としてはそうなっている。


人財開発もそうなのかもしれません。


人間の心理、一人ひとりの行動特性、人と人との関わり合いなど、理論的には一応そうなっていたとしても、現象としては想像を超えたものが現れる。


そんなことがあるかもしれない、と思いながら人財育成という仕事をしていくことはもしかして重要なことなのかも、そんなことを思いました。


GWに宮古島に遊びに行ってきました。


ちょうど梅雨入りした直後で、滞在した3日間は一度も「快晴!」というタイミングがありませんでしたが、行く先々で、到着すると雨が止み、遊び終えてレンタカーに乗り込むと雨が降り出す、という感じでうまく雨を避けながら楽しむことができました。


滞在中、何度かタクシーに乗りましたが、どの運転手さんも話好き。いろいろな話を聞かせてもらえました。


昨年春に石垣島にオープンした新空港が原因で、観光客が石垣島に流れ、宮古島に来る観光客が減っているとのこと。


タクシーの運転手さんもこの状況は本意ではないのでしょう。ある運転手さんがこんなことを言いました。


「お客さま、ぜひ今後も宮古島に来てくださいね。宮古島には何も無い。でも、海があります」


最後のセリフ、「でも、海があります」を聞いたときに、「あれ?なんかカッコ良いな」と思いました。


その言葉の中に"宮古島が持つ最高の海"に対する誇りやプライドを感じたからです。


もし、このセリフが「でも、海あります」だったとしたら、誇りやプライドは感じなかったと思います。「何も無いけど、とりあえず海はありますんで、何とか来てくださいよ~、お願いしますよ~」と、少し卑屈な感じに聞こえてしまう可能性さえあると思いました。


本当に細かいことですが、「てにをは」が一つ変わるだけで受ける印象がガラッと変わることを実感したタイミングでした。


なぜ日本でiPhoneが生まれなかったのか、なぜ日本でFacebookが生まれなかったのか、など、創造性の発揮という点で日本は他国に遅れを取っていると言われています。


個人的には、良いアイデアを発想できる創造性に優れた人は日本人の中にもたくさんいると実感しています。問題は、それをいざカタチにするときに、障害になることが多いこと。


そして、数ある障害のうちのひとつが「上司」だと言う人は多いと思います。


アイデア発想の研修を担当するたびに、「アイデア発想の方法は分かった。でも、良いアイデアを提案しても上司はウンと言ってくれた試しがない。それはどうすれば良いのか?」という質問がビックリするほどたくさん飛んできます。


「失敗を恐れずにチャレンジすべきだ!」と言われることがありますが、掛け声にしかなっていないのが現代だと思います。売上の減少に起因した日本全体に蔓延しているように見える余裕の無さは、失敗して自分の評価を下げたくない、失敗の可能性があるかぎり、できればチャレンジを避けたい。そう思うのが人間の心理であり、上司の心理であるとも思います。


良いアイデアをカタチにするためには、良いアイデアを発想するのと同時に、"なかなか首を縦に振らない上司を説得するためのアイデア"を考える必要があるのかもしれませんね。



男の子数人が道端でボール遊びをしているところを通りかかりました。


私が横を通り過ぎようとしたとき、遊んでいたボールが不規則に跳ねて、車道に飛び出しました。飛び出したボールは、運悪く、信号待ちしていた自動車の後ろのバンパーに直撃。


ボールを拾いに来た男の子の後ろから大きい声が聞こえてきました。


「おいっ!謝れ!!!!」


そのグループの中でリーダーシップを取っている、いわゆるガキ大将のような存在の男の子がボールを拾いに来た子にビシッと命令したのです。


命令された子は、一瞬「えっ!?」という表情を見せたものの、運転手さんに身体を向け、「すみませんでした!」と謝罪の言葉を口にしました。


たったこれだけの話ですが、私はこの一連の流れを、「うんうん。そうだよな、そういうことだよな」とうなずきながら見てしまいました。


どこに行っても対戦機能付きのゲーム機で遊んでいる子どもたちの姿が見られます。私もファミコンからプレイステーションまで、これまでゲームをしてきた側ですから、「ゲームはダメだ!」とは言えない身分です。それでも、現代の子ども達の遊びはゲームに偏重している気がします。


私個人としては、やはり外遊びをしている子どもの方が子どもらしいと思うし、上のような出来事をたくさん経験することで、他人との関わり方を学び、いわゆる「良い大人」になっていくのではないかと思うのです。


そんな光景がいたるところで見られるようになったら良いな、そう思った瞬間でした。