あゆむfunkのブログ

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葬儀での別れは、船に乗り込むように別れの階段を進む橋のようですね。

参宮帰りに海賊船に乗ったのは豊橋某町の山村と云う豪家の親子で、父親は嘉平と云い忰は嘉市と云っていた。
 三年ばかりしてのことであった。山村の家の前に五六人の小供が遊んでいると、壮いな女が来てずんずんと門の中へ入って往った。小供達は見知らないな女を見たので好奇に玄関まで跟いて往った。女は家の人のように案内も請わずに黙って障子を開けてあがって往った。

別れは出会いの始まりと何かで言っていましたが、永遠の別れと新たな出会いは同列に語ることの出来ない重みを持っています。

帰ることの出来ない昨日と選び取れる明日では違うのと同様です。
鴻巣市で葬儀

葬儀はもの悲しいものでもあるが、はかなく短い自分の人生を思うものであると思う。

石川啄木の一説を紹介する。

自分は昔、よく友人と此処へ遊びに来ては、『石狛(こまいぬ)よ、汝も亦詩を解する奴だ。』とか、『石狛よ、汝も亦吾党の士だ。』とか云つて、幾度も幾度も杖で此不格好な頭を擲つたものだ。然し今日は、幸ひ杖を携へて居なかつたので、丁寧に手で撫でてやつた。目を転ずると、杉の木立の隙(ひま)から見える限り、野も山も美しく薄紅葉して居る。宛然(さながら)一幅の風景画の傑作だ。周匝(あたり)には心地よい秋草の香が流れて居る。此香は又、自分を十幾年の昔に返した。郷校から程近い平田野(へいだの)といふ松原、晴れた日曜の茸狩(たけがり)に、この秋草の香と初茸の香とを嗅ぎ分けつつ、いとけなき自分は、其処の松蔭、此処の松蔭と探し歩いたものであつた。――
 昼餐(ひるげ)をば神子田(みこだ)のお苑(その)さんといふ従姉(新山堂の伯母さんの二番目娘で、自分より三歳の姉である。)の家で済ました。食後、お苑さんは、去年生れた可愛い赤坊の小さい頭を撫で乍ら、『ひとつお世話いたしませうか、浩さん。』と云つた。『何をですか。』『アラ云はなくつても解つてますよ。奇麗な奥様をサ。』と楽しげに笑ふのであつた。
 帰路(かへり)には、馬町の先生を訪ねて、近日中に厨川柵(くりやがはのさく)へ一緒に行つて貰ふ約束をした。馬町の先生といへば、説明するまでもない。此地方で一番有名な学者で、俳人で、能書家で、特に地方の史料に就いては、極めて該博精確な研究を積んで居る、自分の旧師である。

あわよくば、この日本で人生の華を謳歌できるなら、あたたかい人生を送りたいものです。

葬儀 鴻巣