吉崎というと嫁威(よめおどし)という伝説が有名です。
吉崎御坊跡のすぐそばに吉崎御坊願慶寺というお寺があり、その話に出てくる『肉付きの面』があるとか。
怖いもの見たさで寄ってみました。
吉崎御坊願慶寺(真宗大谷派。本願寺が東西に分離した際にお東さんになったようです)
当時の吉崎御坊復元図
一人500円の懇志を受付で払います。とっても面白く気さくな御住職さんでした。
写真も快く撮らせていただきました。
本堂。真ん中が阿弥陀仏。向かって右側は親鸞聖人、左側が蓮如上人。
本堂の隣にある仏間で、ご住職のお話を聴きます。観光客は私達を入れて5名。
お寺の歴史や嫁威し伝説などを話していただけますよ。
知っている方も多いかと思いますが、肉付きの面のお話を。
昔、夫と子供達に先立たれた清というお嫁さんが、姑さんと二人で暮らしていました。
家族との別れという苦しみの中で、唯一の楽しみは蓮如上人がいらっしゃる吉崎御坊で仏の教えを聴くこと。
その頃、吉崎の山では仏の教えを聴かせていただきたいと、たくさんの人々で賑わっていました。
清も毎日仕事が終わってから、熱心にお寺に通っておりました。
この人がお嫁さんの、お清さんです。
(お清さん、数珠は左手に持ちますよ〜。当時は自由だったのかも?)
毎日お寺に通うのを快く思わないお姑さんが、夜道で清を脅かしてやろうと鬼の面をつけ待ち伏せをしていました。
鬼の面をつけたお姑さんです。
お姑さんが鬼の面をつけ飛び出しました。
清は驚きましたが「私を食っても他力の信心は食うことはできません」と、お念仏を言いながら逃げ出しました。
お姑さんは、バレないように家に帰りお面を外そうとするのですが外れません。
どんなに力を入れても、顔にくいこみ決して外れないのです。
お姑さんは泣きながら、清に訳を話しました。
清は「お念仏を唱えましょう」と言い、お姑さんが「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えるとお面はポロリと落ちました。
お姑さんは清に謝りました。
その時、清も「自分がお姑さんをこのようにしてしまったのだ」と深く反省をしました。
なぜなら、自分一人が苦しい、寂しいと思いお寺に通っていたのですが、お姑さんも同じように家族を失い苦しく寂しかったのだと気がついたのです。
それからは、お姑さんと2人で仲良く仏法を聴きに蓮如上人のいらっしゃる山へ通うようになったそうです。
これがその肉付きの面です。 きゃ〜〜〜
肉付きの面。恐ろしい顔で不気味です。怖い〜
え? まさか本気にしている方いらっしゃいますか?
顔から離れないお面なんてありませんよ〜
それほど「仏法は大切なもの」という事ですね。
清さんはご法話を何度も聴聞しているからこそ、お姑さんの悲しみや苦しみに気づくことができたのでしょう。
そしてお姑さんの中に、自分の姿も見たのでしょう。
私もいつかは必ず命が終わり、同じ道を行かなくてはなりません。
仏教に触れると、大切なものが見えてくるような気がします。
そうそう、吉崎から車で5分ほどのところに実際に嫁威(よめおどし)という地域がありました。
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