■近世までのキリスト教の歴史

紀元1世紀、イエスの死後に起こった弟子の運動(初期キリスト教運動)が、キリスト教の直接的な起源である。この時期のキリスト教徒はユダヤ教との分離の意識をもたなかったとする学説が現在は主流を占める。それによれば、70年のエルサレム神殿崩壊後、ユダヤ教から排除され、またキリスト教徒のほうでも独立を志向して、キリスト教としての自覚を持つに到ったとされる。
ローマ帝国治下でキリスト教は既存の多神教文化と相容れず、それを批判し、また皇帝崇拝を拒んだため、社会の異分子としてしばしば注目された。キリスト教は国家に反逆する禁教とされ、信徒は何度かの弾圧を経験した。しかし4世紀初めにコンスタンティヌス1世により公認され、その後テオドシウス1世によりローマ帝国の国教とされ、キリスト教以外の他宗教(ミトラ教など)を圧倒するに到った。
キリスト教は歴史上、5回の大きな分裂を経験した。ただし教会歴史学者の多くは、第1回から第3回までを「異端の糾弾」として捉えて、第4回と第5回のみを「分裂」としてみている。しかしこの捉え方は、中世以降に多数派となったカトリックや正教会が自己の正統性を主張する観点に立ったもので、わずかな信徒数を残すのみとなったネストリウス派ならびに単性論教会、そして完全に消滅したアリウス派を「異端」として一方的に蔑視しており、中立的な歴史観ではない。

■アリウス派とアタナシウス派

最初(1回目)の分裂は4世紀半ばのアリウス派とアタナシウス派の分裂である。厳格な一神教論(唯一神教)に基づいて創造神である聖父のみ唯一神(イザヤ書43章10節)として神性を認めて被造物キリストの人性を主張したアリウス派は、神学・教義も強固だったうえ、最初のローマ皇帝の入信(コンスタンティヌス1世の受洗)やゲルマン人に多くの信徒を得るなど歴史的な意義も大きかった。しかし、西暦325年の第1ニカイア公会議で三位一体論に基づいたアタナシウス派の聖子キリストの両性(神性・人性)が正統教義とされ、アリウス派は異端とされた。その後もガリア地方などでゲルマン人の信徒を拡大して一時的に教勢は増したものの、やがてローマ教皇下でアタナシウス派が積極的な布教活動に出て、中世までにはゲルマン人がアリウス派からアタナシウス派(中世以降のローマ・カトリック教会)に改宗していったため、今日ではアリウス派の教会・信徒は、もはや消滅している。

■ネストリウス派

2回目の分裂は、5世紀半ばのネストリウス派の離脱である。ネストリウス派はキリストの両性を認めたものの、神性・人性の区分を主張し、マリアは人性においての母であって、「キリストの母(クリストトコス)」とまでは認めても、「神の母(テオトコス)」というかたちでのマリア崇敬を拒否した。431年のエフェソス公会議でキリストの神性・人性は不可分という説が正統教義とされ、ネストリウス派は異端とされた。現代の研究では、これは教義の問題だけでなくむしろ政治的な事情により大きくよるものであるとする指摘がある。ネストリウス派はローマ帝国を離れて、その後アジアで多くの信徒を獲得した。ペルシア帝国内では、ゾロアスター教、マニ教に並ぶ大きな宗教勢力となり、中央アジアや中国(景教)にも伝道した。一時は隆盛を誇り、信徒の分布からいえば世界最大のキリスト教勢力であったが、イスラム教の台頭により著しく衰退した。今日では、アッシリア東方教会等、中東を中心に少数の信徒がいる。

■非カルケドン派(単性論教会)

3回目の分裂は、東方教会におけるエジプトやシリアの教会といった非カルケドン派(東方諸教会、いわゆる単性論教会)の離脱である。キリストにおいて人性は神性に吸収され一つの神性を持つという単性論は、451年のカルケドン公会議で異端とされた。但し、これらの教会は自らの教義を「単性論」とみなす事を否定している。現在では「互いに相違のない同じ信仰を、異なった表現で説明した為に起こった不幸な誤解と分裂」という認識が東方諸教会と両性説の教会の間で強くなってきている。東方教会の分裂は、中近東地域でのキリスト教ひいては東ローマ帝国の弱体化につながり、やがて7世紀にはこの地方でイスラム教に勢力を奪われる結果となった。とはいえ東方教会は国家と宗教が結びついたローマ・カトリックと異なり、東ローマ帝国に対しては自立的な態度を保っていた。分裂が発生したのはこうした非国家的態度である修道意識の産物であり、東ローマ帝国の弱体化と直接に結びつけられるわけではない。現在、非カルケドン派諸教会にはアルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会等がある。

■東西教会の分裂

4回目の分裂は、東西教会の分裂(大シスマ)である。9世紀ごろから対立が顕在化し、1054年にローマ教皇とコンスタンディヌーポリ全地総主教が相互破門しあうに至る。教義的には、東方教会が聖霊の流出を「父から」とするのに対して、ローマ教会が「父と子から」と改変したことに起因する(フィリオクェ問題)。西方教会側からは分裂の主な要因を政治的・文化的な問題、つまり西ローマ帝国崩壊後に神聖ローマ皇帝の下に徐々に政治的に結集してきた西ヨーロッパ世界が、東ローマ帝国に独立・挑戦したこととみなす傾向が強いが、東方教会側は教皇首位説などについての教義的な要因を主なものと看做す傾向が強い。但し、1054年の「相互破門」は20世紀になって両教会から相互に解かれているが、分裂の解消にまでは至っていない。

■カトリックとプロテスタント(宗教改革)

5回目の分裂は、16世紀に起こった西方教会での宗教改革によるプロテスタント諸教会の誕生である。宗教改革によるプロテスタンティズムの誕生は、やがて近代ヨーロッパのヒューマニズム興隆や政教分離へと繋がることになる。
これらの分裂の結果、現在、キリスト教世界には、東地中海沿岸や東欧諸国などに広まる正教会、ローマ教皇を中心とするカトリック教会、それに対抗して発生した多くの諸教会、諸教団(総称してプロテスタントと呼ぶ)のほか、イラクのアッシリア東方教会(ネストリウス派)およびその分枝であるインドのトマス派教会(マラバル派)、非カルケドン派であるエジプトのコプト正教会・その姉妹教会エチオピア正教会・シリアのシリア正教会(ヤコブ派)・コーカサス地方のアルメニア使徒教会などの東方諸教会が存在する。

■キリスト教発展の理由

ユダヤ教内の一分派から出発したキリスト教が、世界最大の宗教に発展した理由はもちろん単純なものではない。歴史的にみても、何度かあった社会環境や世界情勢の変化にキリスト教はその都度対応していった。
まず、『使徒言行録』の中にも描かれているように、キリスト教会はかなり初期の段階でユダヤ文化の外部にいる異邦人への宣教を積極的に行った。そして、異邦人改宗者に対してはユダヤ教の定める割礼や、細かな食物禁忌を緩めた。これが、ユダヤ教の枠を超えてキリスト教が地中海世界に広がっていく条件を整えたとされている。
当時のヘレニズム・ローマ時代は密儀宗教が流行していたが、これらは主にオリエントを起源としながら普遍主義的な目的を説いていた。エジプト起源のオシリス・イシス教、プリュギア起源のアッティス教、ペルシア起源のミトラ教、あるいはギリシア起源のディオニュソス教などである。キリストの死と復活を思い起こしながら、パンとぶどう酒をキリストの肉と血として共食する聖餐式を持つキリスト教もまた、こうした密儀宗教のひとつとして広がったと考えられている。
キリスト教はローマ人の多神教を批判したことや皇帝崇拝を拒否したことなどから弾圧を受けたが、こうした競合宗教から抜きん出て国教化される。これについては、寡婦・孤児・老人の世話を行い、疫病や戦災にあたっては負傷者を看護して死者を葬るような、平等と慈愛と同胞愛を実践するよく組織化された共同体を作り上げることに成功したからだと説明されている(ただしキリスト教の立場からの護教論的説明であることに注意)。また、著書「ガリラヤ人どもを駁す」でキリスト教を批判し、キリスト教の特権を破棄したことで有名なユリアヌス帝も、キリスト教徒は救護施設を運営して他者に対する人間愛を実践し、死者の弔いに対して丁寧であり、真面目な生活倫理をもっていると書簡の中で認めている。
西ローマ帝国滅亡後の西方においては、教会は人々の誕生(洗礼)、結婚、死(葬儀)に関与し、人々の生活を律する組織として機能して、その地位を揺ぎ無いものとした。さらには修道院という組織を確立した西方キリスト教は、ヨーロッパ中世において学問を独占し、その影響力を強化した。
東方においては、キリスト教は中東・アフリカではイスラームに押されて衰退したものの、東ローマ帝国内では正教会が修道院を西方より早く発展させ、修道院は奉神礼を整備・発展させた。また古典文化もマケドニア朝ルネサンス・パレオロゴス朝ルネサンスにみられるように保存され、文化先進地域として周辺異民族を惹きつけつつ、主に東ヨーロッパへと布教範囲を広げていった。
近代になると、西欧諸国はアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの各地を侵略して植民地化を推進し、それと平行して西方教会の海外宣教が進んでいく。圧倒的に優勢な軍事支配力や科学技術力、その他を背景に、世界各地の西欧文明化とキリスト教化が政教両面での支配が図られた。しかしながら、イスラム教や仏教、ヒンドゥー教など高度に体系化された宗教が浸透していた地域では、キリスト教への改宗は小規模にとどまることが殆どだった。
■異端

上記の多数派と異なる教義を有し、かつキリスト教を自認する教派(セクト)は、多数派から「異端」と呼ばれることもある(自称することはない)。
「神概念を多神論的に解釈する」、「キリストの人性のみか逆に神性のみしか認めない」、「キリストの十字架(贖罪死)と復活を認めない」、「聖霊を人格的存在ではなく神の活動力とする」、「キリストを被造物とする」などの特徴がある。
聖霊を神の活動力とし、キリストを被造物とする理由からエホバの証人が、三位一体を否定し聖書以外に聖典を持つ理由から「モルモン教」がこれに該当し、多くの正統キリスト教から異端とされている。「統一教会」に至っては、異端でさえなく全く異質な団体とされている。
歴史的には、異端と正統の違いは、視点の違いが含まれていた点にも留意されたい。

■組織

■職制

信者は、古代教会に直接連なる教会では、平信徒と聖職者に分かれる。聖職者は、輔祭(助祭)・司祭・主教(司教)の三階級に大別される。大司教、枢機卿、教皇等の区別は、教会の組織的発展の結果、教会行政的必要性から、主教職が細分されたものである。一方、宗教改革以降成立したプロテスタント諸教会には、万人祭司の教理から聖職者を設けず、教職として按手礼を受けた牧師をおくものが多い。教職の他に教会政治(管理)に長老、監督といった役職を置く事もある。

伝統的な教会においては、女性は聖職者になることができないが、プロテスタントでは女性教職は珍しくない。現代では教派によらず、聖職・教職に就くには神学校等で数年の専門的訓練を受けるのが一般的である。

正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・一部のルーテル教会には神に生涯を捧げる信者がいる。これを修道者(修道士)という。修道者は必ずしも聖職者ではなく、多くは平信徒である。修道者は独身でなければならない。修道生活は3世紀ごろ、他宗教の先行例を模倣しつつエジプトで始まったと考えられている。元来は砂漠で一人行われることが多かったが、すでに古代に集団生活をする例が知られており、中世以降、修道院で行われることが普通である。カトリックにおいては、修道会という独自の組織があり、ローマ教皇に直属する。現代のカトリックでは、修道士・修道女はなんらかの修道会に所属している。どの教派においても、正式に修道者となるためには、数年の準備期間があり、十分な準備が出来たもののみが修道生活に入る。準備段階、またまれに修道者となった後で、世俗の生活に戻るものもある。

■教会

一般的な教派では、信者はみなどこか特定の教会に所属している。これを教会員制という。欧米では洗礼記録により、必要に応じて信者であることの証明(洗礼証明書)を受けることが出来る。日本の教会では教会籍という制度で、洗礼による教会員の新規入会、転会、死去などを記録、管理する例が多い。
教会員の多くは、居住地近隣の教会に所属するが、自宅からもっとも近くの教会に属す義務があるわけではない。教会の規模はまちまちであり、日本では、都市部の巨大教会では、1万人を超える信者が所属するところもあり、地方の小教会では信者が10人前後の場合もある。

複数の教会を持つ教派では、管轄範囲を地理的区分によって分けることが多い。これを教区という。カトリック・正教会・聖公会など監督制教会の場合、教区の中心となるのは、主教(司教)座聖堂である。教区にはいくつかの教会が所属する。一部教派では、教区はさらに教会を単位とする小教区に細分される。また、いくつかの教区をさらに統括する区分を設置する場合もある。複数の教会からなる教会(教派)に対し、ひとつの教会だけで一教派をなすものを単立教会という。単立教会は原理的にプロテスタントである。教義の近い単立教会が連合した協力組織も存在する。

信徒が自分の籍を置いていない教会の礼拝に参加することは、同じ教派の教会でなくても、まったく問題はない。また転居などに伴い、同一教派の教会から他の教会に移籍すること(転会)も必要に応じて行われる。これに対して、所属教派自体を変えることは、場合によっては宗教を変える(改宗)に等しいインパクトを持って受け取られる。カトリックでは自教派に改宗することを「帰一」、正教では「帰正」という。プロテスタント教会では多くは単に転会という。洗礼は大抵の教会間で他の教会のものも有効と認めるが、他の秘跡については認めないことが多い。聖餐の共有は聖餐理解が教派ごとに異なることを反映して複雑であり、本項では詳述しない。

■キリスト教徒の生活

キリスト教の信者をキリスト教徒またはクリスチャン(ハリスティアニン)という。『使徒行伝』によると、この呼称は1世紀半ばにアンティオキアで初めて用いられた。原義はキリスト支持者というほどの意味である。日本ではかつて「キリシタン」と呼ばれた。

多様化する現代のキリスト教世界において、キリスト教信者の一般的な生活を描くことは、それが細部に及べば及ぶほど、困難である。以下の記述は最大公約数を述べたものであって、これに当てはまらないキリスト教徒も一定数いる。

クリスチャンの範囲については、伝統的には洗礼を受けたもののみを信者とみなしているが、最近では特に自由主義神学といわれるキリスト教徒のなかに、(少数ではあるが)ナザレのイエスに従う者は信仰・洗礼の有無によらずクリスチャンであると主張するものもいる。プロテスタントのなかには洗礼を行わない教派もあるが、1846年の福音主義同盟の会議は洗礼の義務と永続性を確認している。また福音派は新生を強調する。

将来的に洗礼を受けることを前提に、教会と交わる者を求道者(きゅうどうしゃ、カトリックおよびプロテスタントの用語)、啓蒙者(正教会の用語) などという。洗礼を受けるための条件やその式次第などは、教派によって異なる。

信者が行う祈祷行為のうち、司祭や牧師らにより執行される公のものを公祈祷・典礼・奉神礼等という。信者でないものも列席することができるが、聖餐には与ることが出来ないのが一般的である。ほとんどの教派では定期的な公の礼拝を行う。公の礼拝は形式があらかじめ定められていることが一般的である。典型的な形を示すと、祈祷・聖書の朗読・聖体ないし聖餐にかかわる儀式がなされ、また司祭や牧師らによる説教が行われる。ここでの祈祷はしばしば歌唱を伴った聖歌や賛美歌のかたちで行われる。席上、信者からの献金が集められることが普通であるが、献金は義務ではない。聖餐のあと、短い祈りがあり、終了が告げられて礼拝が終わる。礼拝全体の時間は、教派によって異なるが、1時間から2時間ほどである。ほとんどの教派は日曜日を重視し、これを主日と呼んで共同の礼拝を行うが、少数ながら土曜日を公の礼拝の日とする教派も存在する。

信者となったものは、それぞれの教派の聖餐に与ることができる。パンとぶどう酒がキリストのまことの肉と血になるという聖体の教義をもつ教派では、これを、ミサ、聖体礼儀と呼ぶ。他教派の類似の儀式に参加を許されるかどうか、また自教派が特定他教派の類似の儀式に参加を許すかどうかは、それぞれの教派によって考え方を異にする。またプロテスタントの教会のなかには、洗礼を受けていないものにも聖餐への参加を許すものがある。

最初期の教会では、ミサ(聖体礼儀)などの礼拝行為への参加、定期的な断食などの義務があった。これと歴史的に連なる伝統的な諸教派では、信者に、年に決まった数以上の聖体拝領・断食・告悔(痛悔)の義務などの信仰実践が教会法によって義務付けられている。その一方で、現代は各教派とも、あまりこうしたことを強調しない傾向がある。

公の礼拝行為のほかに、ほとんどの教派では、私的な祈りを共同で行う会や勉強会などを開いている。こうした会合はあまり大々的に宣伝されることがないが、たいていの場合、信者以外でも参加することが出来る。宿泊を伴うものもある。修道院をもつ教派では、教会のほか、修道院でも修道会に所属しない一般信者を対象にそうした集まりを主宰することがある。

信者は所属する教会を中心に、年齢別・性別の任意団体に加わることができる。児童たちは一般の礼拝と別に開かれる日曜学校(教会学校)に参加して簡単な教義を教えられ、青年会、婦人会や壮年会が分担して施設の清掃・維持・修繕、典礼の補助、教会の運営、他教会との交流行事などを行っている。多くの教会では、こうした団体への参加は義務ではない。

また、教義上の義務ではないが、キリスト教は、隣人や貧者への善行を伝統的に奨励しており、このため病人や旅行者あるいは貧者を対象とするキリスト教関係者の慈善活動は古来より盛んに行われた。現在慈善の意でもっぱら使われる「チャリティー」はラテン語で愛(ギ・アガペー)を意味するカリタスが英語化したものである。このような流れは、現代における社会福祉活動にも少なからず繋がっている。
■キリスト教とは

キリスト教(キリストきょう、基督教、英語: Christianity)は、ナザレのイエスを救世主イエス・キリスト(メシア)と信じ、『旧約聖書』に加えて、イエスや使徒たちの言行を記した『新約聖書』を基準とし、隣人愛・愛(アガペー)を説く伝統的世界宗教である。世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。

■教派

キリスト教は、その歴史とともに様々な教派に分かれており、現在はおおむね次のように分類されている。

初代教会 - 最初期の教会、下記の諸教会の前身
西方教会 - 西ローマ帝国・西欧で発展した教会
カトリック教会 - ローマ教皇をトップとする派
聖公会(英国国教会) - カトリックとプロテスタントの中間に位置づけられる性格
プロテスタント - 16世紀の宗教改革運動によりカトリックから分離した諸教派。主な教派として次のようなものがある。
ルーテル教会(ルター派)
改革派教会(カルヴァン派、長老派教会、改革長老教会)
会衆派教会
メソジスト教会
バプテスト教会
アナバプテスト
東方教会
正教会(ギリシャ正教) - 東ローマ帝国・ギリシャ・東欧で発展した教会
東方諸教会 - 非カルケドン派の諸教会と、アッシリア東方教会

■信徒数

■世界全体

世界各国の信徒数の割合
世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。なお、ここでいうキリスト教信者とは、洗礼を受ける等公式に信者と認められた者の意で、必ずしも積極的に信者として活動しているものを意味しない。

■アジア地域

アジア諸国をみると、韓国は第二次世界大戦後に福音派のリバイバル運動でキリスト教徒の数が急増し、仏教徒25%に対して、プロテスタント20%・カトリック7.4%となっている。フィリピンは、カトリック83%、それ以外のキリスト教10%、イスラム教5%となっている。その一方で、ベトナムは仏教徒が80%であり、中国は公式統計は不詳だが無宗教が多数派とみられ、それ以外では歴史的にも道教・仏教が主であってキリスト教の信徒数は極めて少ないと推定される。また、中央アジアでは正教会、西アジアでは東方諸教会の信徒が少ない割合で存在している。韓国・フィリピン・東ティモールを除けばアジア諸国では、仏教、道教、ヒンドゥー教、イスラム教のいずれかの信徒が多数派を構成していて、キリスト教の信徒は少数派である。

■日本国内

日本国内ではキリスト教の信徒数は約260万人程度であり人口比では1%を超えた事は無く(我が国におけるカトリック信徒の人口比率は0.3%程度であるが長崎県では約4%程度である)、神道約1億600万人あるいは仏教約9,200万人という数字に比すと少数派である。G8の国々の中で、人口構成上キリスト教徒が多数派でない国は東アジアの一員である日本だけという特徴がある。なお、これらの数値を合計すると日本の人口を遥かに超えるが、これは神道と仏教のいずれにも帰属意識を持つ者が多く存在する為である。

■教義・教理

キリスト教は、ユダヤ教から派生した一神教である。正統教義・正統教理では、神には同一の本質を持ちつつも互いに混同し得ない、区別された三つの位格、父なる神と子なる神(キリスト)と聖霊なる神がある(三位一体)とする。アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして罪に陥っている存在であるが(原罪または陥罪)、(神にして)人であるイエス・キリストの死はこれを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て永遠の生命に入る、という信仰がキリスト教の根幹をなしている。

キリスト教の正統教義・正統教理を最も簡潔に述べているものが信条(信経)である。もっとも重要なものとしてニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年に成立)と、それとほぼ同じ内容を含むがやや簡略で、西方教会で広く用いられる使徒信条(成立時期不明。2世紀から4世紀頃か)がある。 信条は教会内に存在した異端を否定するために成立した経緯があり、現在も洗礼式や礼拝で信仰告白のために用いられる。これら信条は現在のキリスト教の主流派のほとんどの教派が共有する。

■信条

以下に、ニカイア・コンスタンティノポリス信条によるキリスト教の基本教義を示す。

■神は三位一体である。

■父は天地の創造主である。

子なる神イエス・キリストは万物に先立って生まれた父の独り子である。したがって被造物ではない(アリウス派の否定)。また子は父とともに天地を創造した。
キリストの聖母マリアからの処女生誕。地上におけるキリストは肉体をもった人間であり、幻ではない(グノーシス主義や仮現説の否定)。これはわたしたち人類を救うためであった。のち、キリストの人性についての解釈の違いから東方諸教会が生まれた。

キリストは罪人としてはずかしめられ、十字架上で刑死したが、三日目に復活した。昇天し、栄光の座である「父の右に座している」。キリストは自らの死と復活によって死を克服し、人類をもまた死から解く正当な権能を得たと信じられる。

■キリストは再臨し、死者と生者すべてを審判し、その後永遠に支配する。

聖霊も神(=人格をもった存在)である。聖霊はイエスの地上での誕生に関係し、また旧約時代には預言者を通じてその意思を伝えた。聖霊もまた被造物ではない。なお聖霊は父から生じたか、それとも父と子両者から生じたかは後世議論の的となり、カトリック教会と正教会の分裂の契機となった(フィリオクェ問題)。

教会の信仰。新約聖書では教会を、イエスの意思によってたてられた地上におけるイエスの象徴的身体であり、聖霊がその基盤を与えたとする。そのような理想的教会は、時間と空間を超えた統一的な存在であり(一性)、神によって聖とされ(聖性)、万人が参加することができ(普遍性)、イエスの直弟子である使徒たちにつらなるものである(使徒性ないし使徒継承性)と信じる。これを実現することが信者の務めである。キリスト教信仰は、他者との歴史的また同時代的共同(交わり)の中にのみ成り立つもので、孤立した個人によって担われるものではない。なお使徒性ないし使徒継承性については、西方教会では意見の相違がある。

洗礼(バプテスマ)。父と、子と、聖霊の御名による洗礼。洗礼による罪の赦しを信じる教会においては、神すなわち「父と子と聖霊」の名において教会においてなさ
れる洗礼は、時代や場所や執行者に左右されず、ひとつのものであり、それまでに洗礼を受けるものが犯した罪を赦すとされる。洗礼を受けることは信者となって教会に入ることであり、またキリストの死による贖いを信じうけ認めることでもある。ここから、罪を赦された後=入信後は、信者はその赦しに応えて再び罪を重ねないように努力するべきであると信じられる教会もある。ただし、聖霊による新生を信じる教会では、成人の場合新生したキリスト者のみが洗礼資格を持つとし、洗礼による
新生を退ける。

死者の復活と来世の生命。上述のようにキリストの再臨において、すべての死者は審判を受けるべく復活させられる。信じるものには来世の生命が与えられる。伝統的にキリスト教では、この来世を、永遠、つまり時間的な持続をもたない永遠的現在と解する。

またこれに加えキリストの死(ないし犠牲)を記憶することも信者の重要な義務である。これは礼拝においてパンとぶどう酒を用いてなされる。プロテスタント以前に成立した教会では、パンとぶどう酒が祈りによりキリストの体(聖体)と血に変化すると信じる。カトリックでいうミサ、正教会でいう聖体礼儀はこの記憶を行うための礼拝である。教義を異にし聖体の概念を否定するプロテスタントでも、類似の儀式を行う。これを聖餐という。キリスト教最大の祭である復活祭は、この聖餐をキリストが復活したと信じられる日に行うもので、毎年春に行われる。

教義には教派ごとに若干の変異がみられる。ローマ・カトリック、聖公会、プロテスタントなどの西方教会は、聖霊を「父と子両者から発し」とし、東方の「父から」のみ発するとする立場に対立する。またプロテスタントとローマ・カトリック他の伝統的教会では教会についての教義に差があり、使徒の精神を共有することをもって使徒性と解するプロテスタントに対し、カトリック他では聖職者が先任者から任命されることに神聖な意義を認め、その系譜が使徒にまでさかのぼること(使徒継承性)を教会の正統性の上で重視する。また聖餐論においても、カトリックや正教会など伝統的教会とプロテスタント諸派の間には大きな意見の差がある。


多くの人を惹きつけるキリスト教。それだけ魅力的な世界観・物語があるのでしょう。
■宗教とは

宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。

■宗教の広がり

世界の宗教の信者数は、キリスト教20億人(33%)、イスラム教(イスラーム)13億人(22%)、ヒンドゥー教9億人(15%)、仏教3億6000万人(6%)、儒教・道教2億3000万人(4%)、無宗教8億5000万人(14%)、その他(6%程度)である。

一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。また、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教[5]などがこれに分類される。

これらよく知られた宗教には、実際には様々な分派が存在する。キリスト教をとっても大別してカトリック、プロテスタント、正教などに分かれ、イスラム教もスンナ派、シーア派などが存在する。また、現在においても新宗教(新興宗教)があらたにおこっている。このように世界にはさまざまな世界の宗教が存在する。

■語源

日本語の「宗教」という語は、幕末期にReligionの訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。
原語のほうの英語 Religion はラテン語のreligioから派生したものである。religioは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていた。

磯前順一によれば、Religionの語が最初に翻訳されたのは日米修好通商条約(1858年)においてであり、訳語には「宗旨」や「宗法」の語があてられた。他にもそれに続く幕末から明治初頭にかけての間にもちいられた訳語として、「宗教」、「宗門」、「宗旨法教」、「法教」、「教門」、「神道」、「聖道」などが確認できるとする。このうち、「宗旨」、「宗門」など宗教的な実践を含んだ語は「教法」、「聖道」など思想や教義の意味合いが強い語よりも一般に広くもちいられており、それは多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであったことに対応する。「宗教」の語は実践よりも教義の意味合いが強い語だが、磯前の説ではそのような訳語が最終的に定着することになった背景には、日本の西洋化の過程で行われた外交折衝や、エリート層や知識人の価値観の西欧化などがあるとされる。

「宗教」の語は1869年にドイツ北部連邦との間に交わされた修好通商条約第4条に記されていたReligionsübungの訳語に選ばれたことから定着したとされる。また、多くの日本人によって「宗教」という語が 現在のように"宗教一般" の意味でもちいられるようになったのは、1884年(明治17年)に出版された辞書『改定増補哲学字彙』(井上哲次郎)に掲載されてからだともされている。

■定義

「宗教とは何か」という問いに対して、宗教者、哲学者、宗教学者などによって非常に多数の宗教の定義が試みられてきたとされ、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれるとされる。代表的なものだけを取り上げただけでもかなりの数になるとされ、例えば、ジェームズ・リューバの著書の付録には48の定義およびそれに関するコメントが書かれており、かつて、日本の文部省宗務課が作成した「宗教定義集」でも104の定義が挙げられているといい、その気になればさらに集めることも難しくはないという。

■リューバによる定義の分類

リューバは宗教についての多数の定義を3つのグループに分類している。すなわち、主知的(intellectualistic)な観点からの定義、主情的(affectivistic)な観点からの定義、主意的あるいは実践的(voluntaristic or practical)な観点からの定義の3つである。

主知的な観点からの定義

代表例で古典的な定義の例としてはマックス・ミューラーによる「無限なるものを認知する心の能力」が挙げられる。比較的近年のそれでは、ギアツ(Geerts, C.)による「存在の一般的秩序に関する概念の体系化」がある。

主情的な観点からの定義

シュライエルマッハー(F.E.D.)による「ひたすらなる依存感情」。マレット(Marett, R.R.)なども他の学者などにみられる合理主義な観点を批判しつつ、宗教の原型を情緒主義(emotionalism)から論じたという。

主意的あるいは実践的な観点からの定義

ティーレ(Tiele, C.P.)による「人間の原初的、無意識的、生得的な無限感覚」というものがある。

『世界宗教事典』では上記のリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団であるとまとめている。

『世界宗教事典』での上記の定義のまとめに沿って、もう少し具体的な例も含めて示せば、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。

■宗教の表現形式

宗教はさまざまな表現形式を通して時間や空間を超えて伝えられている。神話や伝説、教典の内容や教義は口伝や詠唱、詩、書物を通して伝えられる。また、通過儀礼や年中行事などの儀礼を通して伝えられる場合や、生活習慣や文化の中に織り込まれる場合もある。食事の際に生産者や自然に感謝をする場合などがこれにふくまれる。

また、絵画や彫刻などの芸術、音楽、舞踏、建築などを通して伝えられる場合もある。

■宗教の大分類

一神教と多神教、汎神論
民族宗教と世界宗教
伝統宗教(既成宗教)と新宗教(新興宗教)
自然宗教と創唱宗教
アニミズム・アニマティズム・シャーマニズム・トーテミズム

■世界での主な宗教問題

聖地をめぐる争い。
宗教戦争(異教徒間、異宗派間で、時として戦争や紛争を引き起こすことがある。このような問題が狭い区域の宗教的多数派の住民と宗教的少数派の住民の間に発生した場合、ヘイトクライムの形をとることが多い)
共産主義を標榜する全体主義国家による宗教全般に対する弾圧、信教の自由の侵害(中国、北朝鮮など)
フランス政府は問題を起こす宗教団体に対して「セクト対策」をおこなっている。
一部の新興宗教団体に集団自殺を引き起こすものがあること。

■日本の主な宗教問題

政教分離の原則とその解釈、適用範囲
靖国神社問題
キリスト教徒の自衛隊員の護国神社合祀、およびその遺族による取り下げ要求の拒否
自民党の支持団体に神道系の団体が含まれる問題
公明党の支持母体に宗教団体(創価学会)が存在することに関して
政府による黒石寺蘇民祭の全裸禁止問題
宗教と学校教育(教育基本法九条の改正をめぐる議論など)
信教の自由と人権(人権尊重と人権侵害をめぐる議論、あるいは新宗教をいかに処遇するかについての議論、エホバの証人の輸血・武道教育拒否問題に見られる社会通念と教義の衝突など)
一部の宗教団体、およびその構成員による触法・犯罪行為(オウム真理教、統一協会、摂理など)

■関連項目じゃ


神々の一覧
世界の宗教一覧
宗教の歴史
日本の宗教

神秘主義
精神世界
スピリチュアリティ
国教
信教の自由
無宗教
宗教教育
宗教系旧制専門学校
宗教番組
人生の意義
神の存在証明
神学
宗教学
宗教哲学
宗教家、教祖、信者
宗教団体、包括宗教法人、宗教法人
枢軸時代
世界宗教者平和会議
カルト、セクト
原理主義
宗教多元主義
宗教と科学
占い
ユネスコ(世界遺産)

パワースポット
■占いとは

占い(卜い、うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう。卜占(ぼくせん)や占卜(せんぼく)ともいう。

■概要

占いを鑑定する人を、占い師、占い鑑定師、卜者(ぼくしゃ)、易者(えきしゃ)などと呼ぶ。また、場合によって、「手相家」、「気学家」、「人相家」などとも呼ばれる。客からは先生と呼ばれることが多い。また「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔から言われるように、占いは他の業界と違い、必ずしも当たらなくても通用する面もあることから、取りっぱぐれのない職種という意味で、占いを裏(外れ)が無いという意味で「裏無い」と軽蔑の意味を込めて書く場合もある。
占いの関係者の中には占いは「統計」によるものと説明する者もいるが、占いは独自の理論と個人の経験で構成されており、統計や統計学、科学としての研究からは由来してはおらずまったく異なるものである。

例えば占星術は古代においては天文学と関連したものであったが、天文学が自然科学として発展したため現在では全く関係が無い。またこれは風水においても同様で風水に地理の別名があるように、かって地理は社会科学の地理と地理による吉凶を占う地相術が渾然となったものであった。

実際、これまで占いには、科学的要素が入っていると言う説が提示されたことはあったが、はっきりとした科学的な根拠があると認められたことはない。それでも占いを信じる者は少なくない為、占いはしばしばビジネスとして扱われる。中には悪徳商法に利用する者までいるが、こうなると詐欺である。霊感商法にも使われることが多い。

占いの提供のされ方として、雑誌や本の他に、占い師が直接目の前で占う対面鑑定、電話で占う電話鑑定、チャットを利用したチャット鑑定等があるが、インターネット業界の進展により占いコンテンツとして提供されるケースが多くなっている。

占いは、その信憑性が科学的にはっきりとは証明されていないが不思議な効果を発揮することがある。例えば昭和の易聖とよばれた加藤大岳は野球くじを占って小額の購入に時は良く当てたという伝説が残っている。 ただし既に述べたように科学的な再現性のチェックに耐えた占いは今のところ存在しない。そのため占いが当っていようがいまいが、相手に占いが当ったように見える機構があるのではないかという考えがあり、その機構として想定されているのが、バーナム効果、コールド・リーディング、ホット・リーディングといったものである。

なお本来、占いと霊感は別のものであるが、どちらも運勢や未来などを判断するという点が共通している。そのため霊能者を名乗った方が営業上得策であるということで占い師が霊能者を自称することがままある。

また、あまり占いに頼りすぎると自己判断ができなくなる傾向がある。

■命・卜・相

占いは、大別すると命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)の三種類に分かれ、占う者は目的に応じて占いを使い分け、組み合わせる。また命・卜・相に医、山(肉体的および精神的な鍛錬)を加えて「五術」ともいわれる。

「五術」や「命・卜・相」は、中国では一般的な言い方であるが、日本には、1967年頃台湾の張明澄(張耀文)が伝えたのが最初とされる。 実際、台湾の占い師の看板は、たいてい「命・卜・相」か「五術」のどちらかである。

張明澄によれば、中国の五術は記号類型化による経験則の集大成であり、科学とはいえないものの、霊感などのような反科学的な要素は含まないという。逆に、科学は時間に記号をつけて類型化するという発想はないし、観察した経験もないから、五術を否定する根拠を持てないという。 五術に医が含まれるのは、中国医学は五術の命などと全く同じ方法で、つまり記号類型によって成り立った伝統医学だからである。

五術というのは機能面からの分類だが、方法論的な分類としては六大課ともいわれ、太乙神数、奇門遁甲、六壬神課、河洛易数、星平会海、宿曜演禽、という六種の術数を、五術六大課という。

■命(めい)

運命、宿命などを占うもの。誕生した生年月日・時間や、生まれた場所の要素も加えることによって、その人の生来の性質、傾向、人生の流れなどを占う。推命(すいめい)とも呼ばれる。

四柱推命(子平命理|八字)
紫微斗数(紫薇斗数ともいう)
河洛命理
星平会海(子平と七政星学を合わせたもの)
奇門命理
太乙命理
六壬命理
七政命理(中国占星術)
演禽命理
星座占い(西洋占星術を簡略化したもの)
占星術
西洋占星術(ホロスコープ)
数秘術
九星気学
算命学
0学占い
六星占術(細木数子)
動物占い(四柱推命を簡略化したもの)
誕生日占い
属性占い

■卜(ぼく)

人が関わりあう事柄(事件)を占うもの。何かを決断するときなどに使う事が多く、卜(ぼく)によってあることを定めることを卜定(ぼくじょう)と称される(斎宮#卜定参照)。時間、事象、方位など基本にして占う。占う事象を占いをする時期、出た内容などとシンクロニシティさせて(ある意味、偶然性や気運を利用して)観る。わかりやすい例として、 一輪の花を手にとって花びらを一枚一枚摘んで「好き・嫌い」を判断する恋愛占いや、えんぴつを転がして行う「えんぴつ野球」(ヒットの代わりに吉としたら…)などもその一種である。ちなみに卜の文字は、亀甲占いの割れ目を意味する象形文字を原形としている。また占の文字も同じ系列に属する。

周易
断易(五行易、卜易、鬼谷易)
梅花心易
六壬神課
奇門遁甲
太乙神数
皇極経世
ホラリー占星術
銭占(コイン占い)
ルーン占い
タロット占い
ジプシー占い
ダイス占術
水晶占い(スクライング)
ダウジング
六爻占術
御神籤(おみくじ)
阿弥陀籤(あみだくじ)
辻占い(辻占、つじうら)
花びら占い
えんぴつ占い
ジオマンシー

■相

目に見える対象の姿や形を観て、現在の、人への影響や吉凶などをみる占い。視覚心理学や図形心理学、音声心理学などである程度合理的な説明ができるものもあり、全て非科学的と否定しきれない。

姓名判断
手相占い
人相占い
印相占い(印鑑占い)
名刺相占い
夢占い
風水
ヴァーストゥ・シャーストラ
家相
墓相

■占いと宗教との関係

増川宏一によれば、いわゆる「当てっこゲーム」は、嘗て神託を伝えるための儀礼であり、そのような呪具としての賽子等が、ありとあらゆる宗教で用いられたらしい。朝鮮には4世紀頃、「占いとしてのばくち」が取り入れられ、1910年に日本によって禁止されるまで、祭礼で巫女が賭場(増川によれば、さいころ賭博の可能性がある)を開き、自己の延長としての財産を賭けて占いを行ったらしい。また、いわゆる将棋やチェス等の盤上遊戯も、元来「天体の動きを真似て、将来を伺う」行為であったらしい。また、神社では「鳥居へ投石をして、乗るかどうかで」占う風習があったという。旧約聖書のイザヤ書には、雲の形を読む卜者(2章6節、57章3節)、肝臓占い、あるいは口寄せによる占い師(8章)、星占いや夢説きをする占い者(3章2節、44章25節)が糾弾され、エゼキエル書21章26節では、バベルの王が、「矢をすばやく動かし、神の像に伺いを立て、肝臓を見て」占ったと書かれている

①アブラハムの宗教

占いは古代から行われてきたが、アブラハムの宗教ではこれを異教のものとして否定している。例えば旧約聖書では『民数記』18章9-14節、23章23節、『サムエル記』15章23節、『エレミヤ書』27章9節、新約聖書では『使徒行伝』16章16-19節、『クルアーン』では4章90節で邪悪な行いとして退けられている。これら三つの唯一神教は共通して占いを悪魔や悪霊のわざとしている。とはいえ中世のキリスト教圏、イスラム世界では占星術が行われていた。現代でもイスラム圏にはコーヒー占いが親しまれる地域があり、欧米でも各種占いが盛んである。信仰者の中にはこの状況を嫌う人も多く、占いがニューエイジ思想や心霊主義とともに非難の対象になることも少なくない。尚預言者は、エフォデと呼ばれる法衣の胸ポケットに入れた「ウリム(呪われた の意)」と「トンミム(完全な の意)」と呼ばれる謎の物体を無作為に取って、出たどちらかで占うことがあったらしい。サムエル記14章41節には、予言者サウルがそのように使う様が描かれている。

②仏教

『スッタニパータ』360節では占いを完全にやめた修行者は正しい遍歴をするようになる、と語られている。927節では『アタルヴァ・ヴェーダ』の呪法をはじめとする占いや術が、仏教の徒である以上やってはいけないこととして否定されている。
チベット仏教ではサイコロ占いが仏教の教えと矛盾しないものとして行われている。サイコロ占いの手引書を書いたラマも存在している。
『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』という占星術を説く経典があり、これをもとにした宿曜道が空海によって日本に持ち込まれている。
『観無量寿経』には占いの結果によって親子が疑心暗鬼となり、一国が滅亡の危機にさらされる説話が含まれている。
浄土真宗では占いが無益な迷信として否定されている。


占い。一言ではとても語りつくせませんね。