昨夜は、眠りの中で、ひたすらフリーエネルギーに関する話を誰かに説明していました。

「代替エネルギーじゃないのよ、フリーエネルギーは!宇宙に存在する無尽蔵のエネルギーのことを言うのよ」と。

まぁ、これは夢でなくとも以前から普段に言っていることなんですが、なんで今頃また、そんな必死に言っていたのかなぁ。。。と思いました。

でも私たち人間は、もうそろそろ、何にも代替できない自らの力を発見しなければならないのはないかとつくづく感じます。

代替エネルギーは、どうしても私には一時しのぎな印象があります。

結局、また誰かの手によって搾取が始まる構図が背景として観えてきます。

太陽も、水も、大気も、土も、これらもずっとこれまでのままならある程度は持ちこたえるでしょうけど。

どうもそうではない気がしてなりません、これも自然の現象としてですが。

この二元性物質三次元地球で「足るを知る」を学び終えて、今なお壊れゆく世界の中で、さらなる「制限と我慢」を乗り越える状況があるとすれば、それはまったく本来の方向ではありません。

私たちは今また「野生の証明」に帰る必要はありません。

やはり、そうなると新たなボディ(ボディとは言えないようなもの)を持つようになっていきます。

進化や突然変異が起きる臨界点は、確かに生命の限界と比例している気もします。

「もはや、こうであっては継続不能」という強烈な信号がDNAに送信されると、緊急事態として未開封の扉が開くような気がします。

一歩間違えれば、「死」。

一歩超えれば、「不死」。

この一歩超えればが、私には「神の一厘」と出ています。

一足飛びに光体へと変態できればいいのですが、これにはやはり霊性のハードルはいくつか超える必要はあるでしょう。

そして全部自分の力だけで今の私があるとは思っていません。

どこかでいつも見えざる大いなるサポートを感じています。


エネルギーは、需要と供給のバランスが取れて、ちゃんと循環と調和があればこそです。

フリーエネルギーは、人間と宇宙が呼吸するところから生まれると私は受け取っています。


あと余談ですが、「水鏡」というキーワードが単独で出ています、私的にはとても良い暗示です。




S-aeko