この世はエネルギーでできてる。

わたしはそれを知ってる。


それだけで最高の幸福を感じる。






『自分自身との調和』
エイブラハムの本を読んでたら

何度も出てくるこの表現。





わたしは、できてるつもりだった。


「瞑想したら」
「落ち着いていい気分になったら」


できてる「つもり」だった。





でもできてなかった。

手段が目的になるってこういうことかと思った。



まさに、
「やって終わり」
「やったらできてるつもり」であり、

追求が全く足りてなかった。






自分との調和


エイブラハムはこれをいとも簡単かのように書くけど、
実際自分がなかった(と思ってた)わたしには難しかった。


調和ってなんだ?
それしたらどうなるんだ?


という「わからない」のエネルギーが
ずっと出ていたように思う。





でも実際のところ、もっとシンプルだった。


「欲望を持ってる自分」


これを見つけることができた時、

何もかもが腑に落ちた。





欲なんてないふりしてたことも
同時に気づいた。



要は、何もかも自分のことを「見て見ぬふり」してたんだ。



まさにこれこそ、
気付く、の重要性ですね。




わからないのは自分のことだけなんだと
本当にわかった。


相手がわからないんじゃないし、

生き方がわからないんじゃない

稼ぎ方がわからないんじゃない



ただ、自分と同調できてないから
自分がわからないだけ。




欲望は常に存在していて、
叶った場所も常に存在している。


自分の欲を目をかっぽじって、見る。


欲を否定しちゃ全て見えなくなる。




ああ、わたし、今日も大切なことに気づけました。


ソースタイム最高。