このひと月というもの、浮き沈み、というか「浮き」はなしで沈んでいたり、仕事が忙しくはないにしても諸事情で疲労していたり、こういう連続モノってわりと勢いが大切で、ちょっと休んでしまうと続きを書くのって難しいよねなどと自分を甘やかしたり、とまあ、こうなんやかんやありまして、初々しい気持ちでPCに向かいましたWIMPです。皆さまいかがお過ごしですか。たぶん今年最後の連休の二日目である今日、わたしは発熱している模様です。本当です。
というわけで、前回からすでに40日が経過しており、もうこの話を覚えておられる方もあるまいとは思うけれども、「続く」といっておいて終わらせないのも気色悪い。そういう自己都合による完結編ではございますが、おつきあいくださればありがたく存じまする。
(承前)
旭川を渡って後楽園へ。そういえば入るのははじめてだ。南門から入園。
やっぱりな、庭園だからな。四季の花が楽しみ……
マジか。サルスベリ一択か。まあ10月よりマシか。
つくづくわたしは花運がない。以前「花の寺」として有名な法金剛院に行ったときも、見事になにも咲いていないときだった。まあ庭に興味があったわけではなく、仏像を拝観したかっただけなんだけど。
悄然とするが、それでも景色を目にすると気分も持ち直した。いいですよ、ここ!
あたりまえだろうけど、ほんとうに丁寧に手入れされてる。植物もイキイキしていて気持ちがいい。
しかし広くてどこを歩いてるのかわからなくなって、同じところを何度も通ったりする。
蓮池。(咲いてない)
梅園。(咲いてない)
咲いてないけど、きのこがたくさん生えてた。
こんなんとか
こんなんとか
こんなんとか。
みのっている。
ちょっと休憩。店先にこんな人が。
だれなんだ、ちくわ笛名人。と思って検索したら、画像はほぼこの方のみということで、おそらく日本随一と思われるのであるが、ウィキペディアのこの方の項には「ちくわを使用した『ちくわ笛』における日本の第一人者として活躍」とある。「日本の」第一人者とはどういうことだろう。海外にも広がりをみせているのかちくわ笛。日本以外ではちくわを手に入れることも困難であろう。高価でもあろう。さらにナマモノであるわけで、コレと思った楽器に出会えたとしても、せいぜい1日奏でれば、切り干し大根と煮るなりおでんの具にするなりしなければならない。かなりの出費が強いられることであろう。またいつもいつも切り干し大根やおでんばかりでは飽きる。たまには磯辺揚げも食べたくなるというものだ。行く手にはあまたの困難が立ちはだかっていそうな、ちくわ笛にとりくむ海外の皆さんに幸あれと祈らずにはいられない。いやちょっとまて、もしかしたらそれはブルジョワ子女の優雅な嗜みであるというセンも考えられるのではないか。日々ちくわを取り寄せ続けるということ自体が、またその地位の証となるというか。なんかこうチェンバロ習ってます的な感覚で「アタクシ最近ちくわ笛を始めましたのよ」「まあ、こんどアタクシのヴィオラ・ダ・ガンバと合奏いたしませんこと?」みたいな(貧乏人の想像力の限界をまざまざと見せつける感のある創作会話例だがもういい)。いずれにせよ、ブルジョワ子女も毎日毎日おでんばかり食べているわけにはいかない(そういう問題ではない)。それにしても「主なオリジナル曲」の筆頭にあげられている「センチメンタルちくわ」が聴きたくてならないのだが、どうにもこうにも地雷sh
……失礼いたしました。なんでもありません。えー、心残りがないではないのですが、以上で調査を打ち切ることといたします。「調査ってなんだよ」と思われた方、わたしもそう思いました。奇遇ですね。
散策をつづけよう。
八つ橋。こういうものを見るとどうしても渡りたくなるのだが、渡っている間は足元しか見られないというか目を離すと危なくてしかたない。渡り切って、「で……楽しかったのか?」という感想しか抱いたことがないのだが、どこかでまた見たら、やはり嬉々として渡るであろうことは確かである。
べつの池。
鯉はエサの売られているあたりに密集している。さすが、わかってらっしゃる。
滝がある。
白サギがいた。これはコサギ。冠毛(夏だけで、冬はない)があって指が黄色いので、白サギ(ダイサギ・チュウサギ・コサギ&冬場のアマサギ)のなかではいちばん見分けやすい。ところでコサギの嘴の色は年がら年中黒いけど、ダイサギ・チュウサギの嘴は夏は黒で冬は黄色。羽色はともかく嘴の色が変わるってのは、なんか不思議。
なんと、タンチョウがいた。
まあ、ケージの中にいたわけだが。あのハクチョウボートたちの中のツルボート一羽は、そういうことか。後楽園名物なのだね。調べてみたら、毎年1月1日には園内に放たれるそうで。後楽園では江戸時代からタンチョウが飼育されていて、戦前まではいつでも園内を自由に歩いていたらしい。
そういえば、内田百閒の短編に「鶴」というのがあった。冒頭を引用。
丹頂の鶴が心字池の汀に沿って、白い砂をさくさくと踏みながら、私の方に歩いて来た。群れを離れて一羽きり餌をあさっているのかと思ったところが、鶴はまともに私の顔を見ながら、細長い頸を一ぱいに伸ばして、段段足を早めるらしい。
(内田百閒 「鶴」)
ちょっと不気味。だけどわたしはこの「白い砂をさくさくと踏みながら」の部分がえらく好きなのだ。おおきな鳥が細い足で踏む砂の音は「さくさく」でないといけない気がする。こういうの読むとうれしくなる。で、この掌編の舞台は後楽園。百閒は岡山の人で、その筆名も旭川の放水路である百間川からとられている。(ちなみにJRの下り電車に乗ると、岡山駅の手前で百間川を渡る。その際防壁のため電車から川を見ることはできない。以前はできたような気がするのだけど)
もう少し引用しよう。上の文の続き。
広い庭に人影もなく、晴れ渡った空の真中に、白い雲の塊りが一つ、藪の向こうの天守閣に向かって流れている。私は近づいて来る鶴に背を向けて、なるべく構わない風を装いつつ、とっとと先へ歩き出した。
藪の向こうの天守閣。残念ながら、だいぶ曇ってしまっているけど。
思い出しついでに、土産には百閒の好物、「大手饅頭」(「餓鬼道肴蔬目録」にも挙げられているし、「大手饅頭」と題した随筆もある)を買って帰ろうと決めた。
後楽園を後にして、岡山駅へ向かう。まだ時間があるので横道にそれたりしながら。
カフェの看板。サンドウィッチの図解がいい。しかしピクルスがどの段階でかかわってくるのか謎。というかきゅうりが丸ごとにしか見えないのだが、上にごろんと乗っけてある……という位置関係ではないな。添えてあるのをときどきかじりながらという趣向なのだろうか?
駐車場の向こうに見えたビルの壁面。なんだか妙にカッコイイ。
あっちゃこっちゃ寄り道して、駅着。さて、大手饅頭買うか、と土産物屋へ。おお、あるある、大手饅頭の表示が。あれ、「むらすずめ」って、倉敷のお菓子なのでは。なるほど、岡山の名物が一堂に会している感の品揃え……「讃岐うどん」まであるのだがこれは。
そして肝心の大手饅頭が見当たらない。ぐるぐる探し回った挙句に店先に貼り紙が貼られているのを発見。いわく、「大手饅頭は工場がお休みのため、本日の出荷はありません」ですと。ありゃまあ残念。
職場への土産に「昔ながらのきびだんご」を、晩飯に岡山名物いんでいらの「えびめし」をもとめ、帰路につく。
乗り込んだ電車は学校帰りの学生さんなどを満載していた。えびめしを食べるどころか座ることさえできない。乗換駅の姫路でやっと座れたものの、やっぱりひどく混んでいて、弁当を広げるのははばかられる。そして座った席はおそらくライトアップされているであろう「白すぎ城」が見える側ではなく、写真も撮れず。嗚呼。
9時過ぎに帰宅。さすがに腹ペコである。さっそくえびめしをば。
「岡山の郷土料理」なのだそうな。レンジにかけてえびが固くなってもなんなので、というよりもうハラが減ってハラが減って判断力が鈍っており、蓋をしたまま写真を撮ってしまったのだが、撮りなおす時間も惜しむという餓鬼ぶりで冷たいまま食べたわたしに味のレビューは期待しないでいただければ恐悦至極に存じます。
ということで
1. えびめしを供している店で、あったかいのを食べる
2. 大手饅頭を買う
3. 白すぎるうちに姫路城を撮る
以上三点を次回の目標とすることを誓い、これにてほぼ二か月前の岡山レポートを終了いたします。そして熱出てるんで、もう寝ます。皆さま、おやすみなさいませ。



































