Plastic Blog
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とうふシステム

わたくしはよくメンタルが弱い自分を

とうふメンタル

とよんでますけど、私の知人は存知の通りボディーもかなりの「とうふシステム」でございます。

持病に喘息とアトピー、アレルギー持ちのため、ちょっと体調を崩すとすぐに悪化。

人に迷惑をかけてしまいます。

なので、「若干体調悪いかな?」と思ったらすぐに病院に行っています。




そしてとにかく腹が弱い



弱いってモンじゃない。

とうふメンタルなので明日どっかに行くことになると必ず下す。

友人が家に遊びにくるってのでも下すwww

「うっわー!!明日遊びにいく日だー!!なんかおなか痛い!!」と、ワクワクしても下す。


あんまり下すから虫でもいんじゃねーのか!?と思って病院に行ったらただメンタル弱いだけで先生も苦笑い。

恥ずかしいから冗談の一つでも行って帰ろうとして、まんまとスベって帰ってきた。

なにしてんだwww アホなのかwww

そんな「とうふシステム」は私が職場見学に行ったときも張り切って稼働してくれた。


前日ももちろん予備運転で稼働。

当日は「とうふシステム」のヤツもかなり張り切ってくれて、
家で下し、移動で下し、到着後も下し、
でもトイレに行く時間なんかないから見学で話聞きながら凄い冷や汗あせる

さらに、担当者が気に入ってくれたのか就業時間後も他の人たち帰ってるのに私だけ2時間お話…


(おなか痛い…)

とか言えない…

トイレ行きたいって言えない…すっごい楽しそうに話してくる…

休まず話振ってくる…でもとりあえずニコニコ話し聞いて元気にしとこう。


あんまり話が長いから他のスタッフの話を振って「いつもこの時間に帰られるんですか?」
とかきいてここで時計を見せて「あ、ちょっと話長かったかな?」
とか思って欲しかった。

そいだらそいつ全然時計見ないのね。てゆうかよく見たら時計すらして無い。

「お前社会人だろ!!!」と言いたかった。

さらに「今日時間大丈夫って言ってたよね?」

とか言い出した。

全然大丈夫じゃない!さっきからスゲー音が腹からしてる!

来てすぐに「時間何時でも大丈夫」とか行った自分をグーで殴りたい。

馬鹿野郎!!よるからバイトって言っとけ!!」

と、タイムマシンがあったら言ってあげたかった。

「ああ、ハイ、大丈夫です…」と全然大丈夫じゃない顔で答えてみたけど、案の定全く気にしてもらえない。



その後、パソコンをいじらされてなぜかイントラネット構築やハブのはなしまでさせられて、夜の九時にやっと釈放。

腹が痛いのを6時間も我慢したせいで、たいして仕事してないのに帰って直ぐに寝た。


帰って洗面台で顔見たら、ボーリングのボールみたいな顔してた。


Plastic Blog-ボーリング顔


今年の神社でのお願いは「転職が旨く行きますように!!」

だったけど、来年は「丈夫な心と体が欲しいです!!」

にしよう。




御櫛田さんも苦笑いだろうな。












いのちより大切のもの

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母から小さい小包が一ヶ月ほど前に届いていたけれど空けていなかった。
缶詰だけとってあとのお菓子や書籍などはほったらかしにしていた。

今日、その小包の仲に星野富弘さんの「いのちより大切なもの」という本が入っている事に気がついた。
母からPOST ITで

「星野富弘さんの絵と詩
ぐっとこころにせまってきますね
たまたま買ったばかり。
同送しますネ」

と書かれていた。

このPOST ITは、読んですぐにゴミ箱に捨ててしまった。 

ソファーに座ってゆっくり読んだ。

冒頭の詩に
『冬があり夏があり
昼と夜があり
張れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく』

とあった。

今回の詩画集を出すきっかけになった出来事が、東日本大震災だったそうだ。

毎日の一つ一つの出来事を汲み取った詩が、私のくもった心に浸透していくようだった。

一番心に残った詩はメランポジュームの花が描かれた「もっと許そう」という詩。

日々、人との関わりで悩み、いらない発言をしてしまって後悔したり、また逆もあったり。

今の私にとって気づかされる言葉が大切に花とともに書かれていた。

毎日スマホの画面を眺め、朝はMACの「ジャーーン!」という音とともにコーヒーをすすり、自分の中に溜まったものを何処かで発散させたいと感じていた。


バスに乗っては他人の会話や態度を気にかけ、人とあってはゲラゲラ笑いながらもいらない事ばかり話してしまう。また、人を嫌な気分にさせてしまったのではないかと気にする。

友人のいいところを見ては「自分もあんな人になりたい」とうらやましがる。

そんな自分が嫌だった。どんなに「楽しかったー!」と帰ってきても、「あのときあんな発言をして皆は笑っていたけれど、いやに感じたかな?」などと、とにかく気が小さい。


自分が自分であるという事をみとめる。毎日の平々凡々とした日々を自分の命より大切なものの為に生きるという事。

星野さんの言ういのちより大切なものとは、命を決して軽んじていっている言葉ではない。

自分の命を省みないほどの大切な命、生命、生きとし生けるもの。
その生きる美しさについてゆっくりと、強く語っている。決して卑屈にならず、美しくそこにあがまま、花は生きている。

富弘さんはそんな花を見て自分が事故にあってもなお生かされている意味を問い続けたのではないだろうか。

自分の命をなげうって震災の津波を知らせに堤防に走った人、人は自分の為に生きるのではなく、誰かの為に生き、生かされている。星野さんが震災の事について触れた文中でそう書いていた。

その文を読んでいる時、実家をでる前の事を思い出した。

父に暴言を吐かれて泣いていた母。星野富弘さんのカレンダーがうちのトイレには飾ってあった。きっと、星野さんの詩を読んで頑張れた事もあっただろう。

本当に強く優しい母を持ったと思った。


そう思うと、早く母に美味しいものを食べさせたり、どこかへ連れて行ってあげたりしたいと思った。母がいのちよりも大切にしてくれたこの命で何かしたい。

今では暴君だった父も暴ジジイになり、小さく丸くなってしまった。
ゴミ箱に捨てたPOST ITも拾って本に挟んだ。


明後日は仕事の面接。こんな年になってしまったけれど、今年の盆休みには少し美味しいものが食べられるように頑張りたい。

ひとりごと