最近、グーグル翻訳がカメラをかざすだけで話題になったが、こういった最近の翻訳技術は本当にすごい。


(この写真のときは精度はいまいちw)
私が学生だったときもエキサイト翻訳とか流行だしてたけど、翻訳の精度は低かった。
今はgoogleとかweblioとか結構賢くなったと思うし、専門用語とかの関連の単語とかに関して用例とかも出してくれるから、ちょっとした確認にも本当に便利である。
さらに直接使ったことはないが、会話の翻訳もしてくれるものも色々と出ているらしく、まさにドラえもんの「ほんやくこんにゃく」が現実のものになるのも時間の問題なのかもしれない。
そうなってくると今後、英語の勉強とかはどこまで必要になってくるのかという興味もわいてくる。
それに関して意見を書いてる記事が色々と興味深い。
http://www.stay-minimal.com/entry/2016/02/27/203000
http://toyokeizai.net/articles/-/41741?page=3
http://katohaya2125.hatenablog.com/entry/2017/02/16/214750
小学校で英語やプログラミングを始めたり、という話題で賛否がおきているが、たしかに機械(スマホ?)を使えばどんな言葉でも不自由なく使えなくなるという時代がきたら、どのレベルまで勉強する必要があるのだろうか。
(話はそれるが英語もプログラミングも結局自分が出来なかった人ほど、早いうちからやればどうにかなったとか思うのではないだろうか・・私もだけどw)
年配の先生とかに聞いた話で、「昔は論文とかも手書きだった」とか「オシロスコープの波形はOHPシートをなぞって記録していた」とか、そういった昔の話を聞くと、へーすごい不便な時代だったんだなぁ、信じられないと思うけれども、遠くない未来には
「昔は学会で日本人が拙い英語発表してた」とか「グローバル化とか叫ばれたもんだから大学でもへたくそな英語で無理矢理授業してた」とかそんな話を信じられないって思われる時代もくるのでしょうか。。
(注:へたくそでない人もたくさんいます)
ただし、今現在は無理なので、ある程度は努力しないといけないでしょう。。
(逆に言えば英語とか語学ができれば少しは評価される時代だったんですねーって未来からすれば思われる時代なのかもしれない)
昔読んで、もう細かい内容は忘れましたが、藤原雅彦の「国家の品格」という本で「英語よりも国語、自分の国のことを海外の人に説明できるような教養を身につけよ」なんて話があったような気もしますが、たしかにいくら英語を話すのがうまくても中身がないと相手にしてもらえないというのは、国際学会の発表とかでも少し感じます。
(内容に興味をもってくれれば一生懸命聞いてくれようとするとか)
あと昔、日本の漫画を読んでたフランス人に「しゃらくせー」とか「てやんでぃ」ってどういう意味って?に聞かれて、うまく説明できなかったよーってう話をした友人がいましたが、そういった独特な言い回しが今後自動翻訳でもどのようになっていくのか興味深いところです。
以上、今までのツイートや思ったことのまとめ(まとまっていない)


(この写真のときは精度はいまいちw)
私が学生だったときもエキサイト翻訳とか流行だしてたけど、翻訳の精度は低かった。
今はgoogleとかweblioとか結構賢くなったと思うし、専門用語とかの関連の単語とかに関して用例とかも出してくれるから、ちょっとした確認にも本当に便利である。
さらに直接使ったことはないが、会話の翻訳もしてくれるものも色々と出ているらしく、まさにドラえもんの「ほんやくこんにゃく」が現実のものになるのも時間の問題なのかもしれない。
そうなってくると今後、英語の勉強とかはどこまで必要になってくるのかという興味もわいてくる。
それに関して意見を書いてる記事が色々と興味深い。
http://www.stay-minimal.com/entry/2016/02/27/203000
http://toyokeizai.net/articles/-/41741?page=3
http://katohaya2125.hatenablog.com/entry/2017/02/16/214750
小学校で英語やプログラミングを始めたり、という話題で賛否がおきているが、たしかに機械(スマホ?)を使えばどんな言葉でも不自由なく使えなくなるという時代がきたら、どのレベルまで勉強する必要があるのだろうか。
(話はそれるが英語もプログラミングも結局自分が出来なかった人ほど、早いうちからやればどうにかなったとか思うのではないだろうか・・私もだけどw)
年配の先生とかに聞いた話で、「昔は論文とかも手書きだった」とか「オシロスコープの波形はOHPシートをなぞって記録していた」とか、そういった昔の話を聞くと、へーすごい不便な時代だったんだなぁ、信じられないと思うけれども、遠くない未来には
「昔は学会で日本人が拙い英語発表してた」とか「グローバル化とか叫ばれたもんだから大学でもへたくそな英語で無理矢理授業してた」とかそんな話を信じられないって思われる時代もくるのでしょうか。。
(注:へたくそでない人もたくさんいます)
ただし、今現在は無理なので、ある程度は努力しないといけないでしょう。。
(逆に言えば英語とか語学ができれば少しは評価される時代だったんですねーって未来からすれば思われる時代なのかもしれない)
昔読んで、もう細かい内容は忘れましたが、藤原雅彦の「国家の品格」という本で「英語よりも国語、自分の国のことを海外の人に説明できるような教養を身につけよ」なんて話があったような気もしますが、たしかにいくら英語を話すのがうまくても中身がないと相手にしてもらえないというのは、国際学会の発表とかでも少し感じます。
(内容に興味をもってくれれば一生懸命聞いてくれようとするとか)
あと昔、日本の漫画を読んでたフランス人に「しゃらくせー」とか「てやんでぃ」ってどういう意味って?に聞かれて、うまく説明できなかったよーってう話をした友人がいましたが、そういった独特な言い回しが今後自動翻訳でもどのようになっていくのか興味深いところです。
以上、今までのツイートや思ったことのまとめ(まとまっていない)