これまで何度か挑戦して、その都度挫折し、それでもなお、いつかちゃんと読みたい小説の1つが『カラマーゾフの兄弟』だ(もう1つは、『失われた時を求めて』)


1回目の挑戦は、単行本を通しで買って読もうとした時だった。登場人物の名前が頭に残らない、台詞が長い、神と人間との関係がピンとこない、等々の理由で、読み進められなくなった。


2回目は、NHK出版から、『100de名著シリーズ カラマーゾフの兄弟』が出た時だった。

単行本を読破できなかったどころか、1巻目の序盤で脱落してしまっていたので、その訳者でもある亀山郁夫氏の解説を視聴したり読んだりすれば解るようになる気がした。テレビ番組として視聴したのは楽しかったけれど、いまひとつ咀嚼した気にはならなかった。作品自体を読まずに解説だけ聴いたので当然と言えば当然だったろう。


3回目は、佐藤優氏による読書会で『カラマーゾフの兄弟』が扱われた時だ。この時は、1番最初に感じた大きな難問の2つがとても明快に解けて感銘を受けた。登場人物の名前が頭に残らない理由、帝政ロシアにおける神と人間との関係(あるいは帝国と国民の関係)に関して、目から鱗が落ちるようだった。また、ドストエフスキーが生きた時代、個人としての来歴や生き様などに関しても極めて細かく知ることができた。


資料の内容の重厚さ、広範かつ細部にわたる繊細さ、そしてそれらを語りだけで伝える気迫に圧倒された。きちんと理解してもらうためには、それだけの周到な準備が必要なんだということを見せつけられた。その時の資料は、今も大切に保管してある。


4回目。この時は小説ではなく、1冊にまとまったマンガ版を読んだ。佐藤優氏の読書会のすぐ後だった。

時代背景や心理描写、神と人(あるいは帝国と国民)の関係は大して描かれていなかったものの、カラマーゾフ家の人々にどのような事件が起きたのか?ということは分かった。


そして今回が5回目の挑戦。

『これならわかる カラマーゾフの兄弟』だ。

著者は佐藤優氏。第一刷は2023815日となっている。

序章から、読み進めるためのポイントが平易な言葉で書かれている。読書会の時に目から鱗が落ちた言文も織り込まれており、またウクライナとの関係における現在のロシアの態度に関しても随所に言及がある。カラマーゾフの兄弟関連本としてはいまだかつてないほど理解しやすい。


また、序章の冒頭に、現代に生きる私たちがこの本を読まなければならない理由が2点書かれているのも良い。古典を読む意義、特に、カラマーゾフの兄弟を読む意義が、今ほど明白なタイミングはないように思える。