猿の惑星 創世記 | ひとりごと キミが聴いたらxxxふたりごと

予告Vで シーサーの瞳を見た時に
絶対観に行きたいなぁと思った

猿の惑星 最新作を観てきた。

見終わって3日 今でもシーサーの眼が忘れられない。


近頃の映画は 残虐なシーン、気持ちの悪い映像で
残酷さや インパクトを与えるばかりで辟易してた。
これでもか!とばかりの血や臓物。
そんなもの出して 衝撃作だなんて!!
稚拙にもほどがある。


猿の惑星 は そういうのを最小限にした印象だった。
勿論 死はあるし、
人間に虐待されるという予告内容を知っていたから
あまり そこは大画面で見たくないな…と
多少心配していたのだけれど。。

むしろ人間の醜くさを描く上で省けない そのシーン。

観客に痛みの感情移入をさせる為に残酷に描くことはいくらでも出来ただろう。

でも それは敢えて??抑えたのでは?と感じたくらい。

安易な暴力シーンで痛みを描いて見せるというより
私達の中の記憶や想像を引き起こさせて
人間の愚かさに気付かせる。

動物たちの感情を
シーサーの表情や立ち振る舞いで描ききった。


「シーサー達の目線から描いた。」と後からコメントを見た。

その作用が成功していたということか。。





彼らは 生き物としての権利 自由を求めて
人間の比にならない潜在する身体能力を爆発させて戦う。

怒りや憎しみ。
それでもシーサーは人間を故意に殺そうとはしない。

愛や思いやり。 優れた知能を持つが故の苦しみの中での
悲哀に満ちた眼と背中の哀しみに涙が止まらなかった。

何と人間は愚かになったのか。



感動のシーンについては数多語られてることだろう。

あえて良かったシーンを挙げたりはしない。


ただ彼ら(シーサーと「猿」と表記するには抵抗を感じてしまう程の彼ら)

は 『生きる』という中で大事な事、大切な事を知る。

それは確かに 知能の高上がもたらした。そうなのである。

進化は確かに豊かな未来を生む。


でも いつからか身勝手で思いあがった思考が

生き物としての破綻をうみだす。



この素晴らしい猿達の姿は 超一級の技術で造られている。

驚いたのは、猿達の動きも多くが 人間が動作したものから

加工されているという事。

もちろん木を登ったり、凄すぎるジャンプは違うとしても

こんなシーンも演技してるの??

と、後でメイキングを見るとビックリ!!感嘆してしまうΣ(=□=||;)



紛れもなく人間の叡智の賜物なのである。皮肉だ。



衝撃の第一作目からすると ストーリーに捻りはない。

人間側に至っては突っ込みどころ満載!(笑)

ちょっとズサンすぎるだろー!と。

でも そこまで馬鹿に描いたんだろなーーどうしよもなくバカに。



自分が人間である事が心底厭になる思いが残ります。



この感情こそが 人間に与えられたギフトだというのに。

ほんとに皮肉だ。