わたしはでたらめで、思い付きだけで暮らしている人間なので、きょう、何本の記事を書いたか、記憶していない。予約投稿だから……この記事は16日土曜日の正午ごろに、公開されることになっているようだ。

 

 別に、売名行為を狙っているわけでも、眉村先生とこれだけお近づきになれていたんだゾ、という自慢でもなく――だって、わたしより先生と親しくされていたかたもおられたし……でも先生は誰に対しても公正へ平等でいらしたから、そんなふうに見えただけかもしれない――、ただ、せめてブログという形、少なくとも読者を意識して、整えた形でアウトプットをしておかないことには、自分が持ちこたえられそうになかったから、手元にある写真を眺めながら、思い付くままに、文章を添えてみた。

 

 演劇ユニットTEAM NACSの戸次重幸さんは、イッセー尾形さんに憧れて、演劇を始めたと聞いたことがある。戸次さんはイッセー尾形さんと共演をされたり、演技について語り合ったりされたことは、できているのだろうか?

 戸次さんにとって、イッセー尾形さんが、演劇を始めるきっかけになったように、わたしにとっては眉村先生が、物語の世界への扉――書くことだけでなく読むことについても――をひらいてくれたかただった。

 そんなかたと、大学時代に初めて出会い、ときを隔てて直接小説をご指導頂けるようになり。

 これほどしあわせなことはない、と感じていたし、事実そうなんだろう。

 

 だけど、文章教室で知り合って、わたし以上に眉村先生を敬愛している人と一致する意見は、お決まりのせりふになってしまうけれど、

「こんなふうに、お別れすることになってしまうなら、ただのファンのままで、ヘタにお近づきになるんじゃなかったな、って思うことがある」

 ということだ。

 でも、そんなことを言っていたら、この先どんな人とも出会えない。とは言え、そういう気持ちが強く湧き出して来る瞬間が、1日のうちに何度もあることも、事実なのである。

 

 お通夜に参列させて頂くことができた。

 近年、有名なかたが亡くなられた報道は、「近親者だけで葬儀は済ませた」ということばとともになされるのに、眉村先生は、「今朝亡くなった」という形で報じられた。戸惑いはあったけれど、それはつまり、わたしたちが参列してもかまわないよという、先生からのメッセージのようにも感じられた。翌朝の新聞には、恐らく全国紙にも、先生のお通夜の日時、告別式の日時、当然場所も掲載された。

 亡くなったのが土曜日で、お通夜は金曜日だった。

 それも、遠方のファンのかたが、お仕事なりご家庭のことにやり繰りをして、参列してもいいんだよという、先生からのお心配りだったように、わたしは解釈している。

 

 祭壇に、白い菊がたくさん飾られるのは、当たり前のことだろう。

 その花々をわたしは、

「浄(きよ)らかだな」

 と感じた。

 わたしだって、これまでにお別れの式に参列したことは、まあ何度もある。

 だけど、菊の花をここまできれいに感じたのは初めてのことだった。

 そして、

「嗚呼。眉村先生のお心やお人柄のように、浄(きよ)らかなんだ」

 と気づいたとたん、また1人で、激しく泣いた。

 

 ちょうど、新しい長編小説の準備を始めたばかりだ。

 登場人物の関係だけはわりと固まっている。

 主人公は、わたしのように、ナマイキで、バカなのに、小賢しい女性だ。

 もともと、「憧れていた人の弟と結婚させられる」という設定はつくっていた。

 最近、「じゃあ、その、『憧れていて、手の届かないほど素晴らしい人』のモデルを、眉村先生にしてみよう」と、決めた。

 

 もし将来、わたしが何かで結果を出しても、もう先生へお伝えすることはできなくなってしまった。

 先生に、良い結果をお伝えしたことがほとんどないままに、お別れしてしまったことが、とにかくとても、無念でならない。悔しくてたまらない。自分が情けなくさえある。力のない自分に対して、強い憤りを感じることもある。

 

 でも先生は、きっと、これまでどおり、ご指導をされた受講生のことを、等しくご覧になっているだろう。

 誰かが結果を出したら、どこかでご覧になっていて、喜んでくださるだろう。わたしみたいなどうしようもない落ちこぼれにしても、先生は平等に、見守っていてくだされば、と願う。

 

 だけど、とも考える、意地悪く。

 先生は、最愛の奥さまと、お別れしてからのことをお話するのにお忙しくて、しばらくは、わたしたちのことになんて、かまっていられる余裕はないのかもしれないな、と。

 そのほうが、いい。先生がどれほど奥さまを慈しんでおられたかも、わたしは拝見させて頂いて来たつもりだから。欲は言うまい。

 

 さらに。

「生まれ変わり」なんてものがあるとしたら……。

 先生はそろそろ、生まれ変わる準備に取り掛かられているのかな? などと、わけのわからない想像をしたりもしている。

 

 とは言え。

 奥さまと仲良くされていることを想像することが、わたしにとってはいちばんの慰めになる。

 先生は間違いなく来世でも、「奥さま」とご結婚なさるんだろうな。それが先生にとってのいちばんのお幸せであり、ご希望なんだろうな。先生さえお幸せなのならば、わたしたちが入り込む余地なんてどこにもないのだ。

 

 自分のすべきことを目いっぱいすることを、先生は喜んでくださる。

 そう、自分に何度も言い聞かせながら、今は必死に、自分の感情を押し殺して、生きている。

 これは経験上、間違いなく、いずれ破綻する状況だ。

 でも、いい。

 とことんまでぶっ壊れたとき、自分のなかから何が生まれて来るのか。

 それを直視することも、のちの創作の糧にはなるだろう。

 ですよね、眉村先生。

 わたしも、死ぬまで書きづつけます。たとえ結果を遺せなくても。