(12月25日付け、読売新聞オンラインより…)
一人暮らしの自宅の台所で手帳を広げ、ボールペンで小さな文字をつづっていく。それが、節子さんの毎晩の日課だ、、、
<みんなで墓参り>
<診療所へ検診>
外出先や会った人など、その日の出来事を淡々と記録する。亡くなった孫のにいなちゃん(当時8歳)、礼君(同6歳)の写真を挟み、時折眺めているが、事件への思いはほとんど書かない。つらくて、普段は事件のことを考えないようにしているからだ…。
あの日までは、みきおさん夫婦や孫たちとのふれあいを日記につづるのが、何よりの喜びだった…。
<汽車ぽっぽ公園で、にいなちゃんと幼稚園のお友達3人で遊ぶ。2時間くらい昼寝する>(1996年5月)
みきおさんと妻の泰子さん(同41歳)は共働きで、よく子守を頼まれて家を訪れた。小柄な節子さんに、幼い孫2人は「ちっちゃいばあちゃん」と呼んでじゃれついてきた…。
<にいなと礼より手紙とバレンタインのケーキが届く。うれしいことです>(2000年2月)
事件1週間前の00年12月23日。クリスマスパーティーに招かれ、4人の家を訪れた。にいなちゃんと礼君が、スポンジケーキにイチゴと生クリームで飾りつけをしてくれた…。
<手作りケーキをごちそうしてくれる>
これが孫たちとの最後の思い出になるとは、夢にも思っていなかった…。
その年の大みそか。岩手県の実家に帰省中だった節子さんは、「とにかく早く東京に戻れ」と親戚の車に乗せられた、、、
車のラジオから流れる「東京都世田谷区上祖師谷で――」というニュースに背筋が凍ったのは覚えている。だが、その後の記憶はあいまいだ…。
容疑者はすぐに捕まると思っていた。指紋や凶器の包丁など数多くの遺留物があったからだ、、、
だが、容疑者は特定されないまま、年月だけが過ぎていった。警視庁の捜査員の訪問を受けるたび、「次こそは犯人の情報を聞きたい」との願いを込めて、日記に書いた警察官の名前を赤字で囲った……。
「どうして4人が……」。その疑問が、ずっと頭の中から離れない…。
共に情報提供を呼びかけてきた夫の良行さんは12年に84歳で亡くなり、もう一人暮らしが10年になる。最近は足腰が弱くなり、先月からデイサービスに通い始めた…。
外出先で家族連れを見かけると、「にいなと礼も、生きていれば自分の家庭を築いていたかも……」との思いがよぎる。胸が押しつぶされそうになって、つい目を背けてしまう…。
毎晩、日記を書き終わると、一家の遺影に「おやすみ」と語りかけてから床につく。「誰が犯人なの?」。そう聞きたいが、事件後、息子夫婦と孫2人は一度も夢に出てこない、、、
きっと、それを一番知りたいのは4人なのだろう、と思う。その答えを伝えられる日が来るまで、諦めずに毎日を刻んでいく。。。
『1メートル70、やせ形 A型の男…。』
…容疑者推定、警視庁によると事件が起きたのは2000年12月30日夜で、隣に住む親族が翌朝に気づいて110番した。住宅内で、宮沢さん一家4人が刃物で刺されるなどして死亡していた…。
現場には凶器の柳刃包丁が残され、手を負傷したとみられる容疑者の指紋やDNA型も検出された。鑑定の結果、血液型がA型の男と判明した。国籍は分かっていない、、、
警視庁は「当時、身長1メートル70前後でやせ形の若い男」と推定している。延べ約29万人の捜査員を投入して聞き込み捜査などを行い、約6000万件の指紋の照合を行ったが、一致する人物は見つかっていない…。
解決に結びつく情報には最高2000万円の懸賞金が支払われる。情報は成城署特別捜査本部(03・3482・3829)。
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…何なんでしょうね?このポスターは…。
犯人が『身内』と悟られないようにこんな『でっち上げ』のウソ話しを作り上げるとは。。。
真相をみきおさんのお母様が知ったらさぞかしショックだと思います。。。
情報提供するにも相手が犯人の仲間では、真相はもみ消され、事件は永遠に闇の中と言えるでしょう、、、
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