(3月3日付け、産経新聞より…)

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…戦国から江戸時代にかけて鉄砲を多く生産した堺で、大規模な戦争がなかった江戸時代後期でも、盛んに鉄砲が作られていたことが、堺市にある鉄砲鍛冶屋敷で見つかった史料で分かった……。

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「平和が続いた江戸時代中期以降、堺の鉄砲産業は斜陽化した」という長年の通説を覆すことになり、堺市の担当者は『外国からの船に備え、海岸線の警備に使ったのではないか??』と分析している、、、

堺市と関西大が、江戸時代に建てられ、現存する最古の鉄砲の生産現場が残る鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区北旅籠(はたご)町西)での共同調査を実施…。
この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。。。

さらに古文書のうち、「諸家様方御出入先名前帳(しょけさまがたおでいりさきなまえちょう)」には、天保13(1842)年の堺の鉄砲の取引状況が記載されていた…。
堺全体で239の大名・旗本から受注があり、このうち井上家が61を占めていたという、、、

調査を行った関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は『戦はなくても、参勤交代の際に武士は銃を持つなどの用途はあり、新型の銃は次々と開発されたため注文が増えたのでは??』と指摘した。。。

井上家当主の井上修一さん(74)は『こんなに貴重な資料が出てくるとは思わなかったので、びっくりしている…。身を引き締めて後世に伝える努力をしていきたい…』と話している。。。

井上家ではこのほか、当時の堺の様子などを記した古文書も見つかっており、堺市や関西大はさらに調査を進める………。



…鉄砲と堺 戦国時代にポルトガルから種子島に伝来後、堺に伝えられ、鉄砲の一大産地となった。港があり、古くから優れた技術者が多かったことなどが背景にあるとされる。井上家は承応2(1653)年に初代が関右衛門を名乗り、鉄砲鍛冶に…。
伊予・大洲(おおず)藩からの受注などで急成長し、江戸時代後期には全国有数の鉄砲生産量を誇るようになった。。。

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…歴史学者の磯田さんも泣いて喜ぶような資料が見つかりましたね(^_^;)、、、

刀が謳歌を誇った時代は衰退し、代わって鉄砲、銃がチカラ(武力)を誇示する時代が到来を告げる…。

これも時代のニーズの変化と言えるのかも知れませんが、武力は時にとんでもない暴走を生む…というのは今の時代も変わらない゙愚かな過ぢですよね??

ともあれ、堺の技術力がこれほどまで高く評価されていたことは本当に誇らしく、今後も末長く後世にまでその伝統の技を継承、残していってほしいと僕は思いますo(^-^)o☆・゚:*:。★・゚;



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