母と折り合いが悪く、父と別居している。



 愛ゆえの厳しさ、なのだそうだが、私にはとても耐えられなかった。私が片付けなかったり学校を休んだりするなど、大抵私が原因なので、文句は言える立場にない。言い返すと激昂するので黙ってしまうのが常で、黙るともっと怒られる。なんで怒ってるのか分かる?というクイズには答えがあり、私なりの答えが不正解だった場合、機嫌を損ねる。”話し合い” は私達の思う話し合いではなく、この場合は説教と同義なので、言い返すと言い訳として捉えられてしまうため、注意せねばならない。これに気づくのにだいぶ掛かってしまった。


 別居中とは言ったものの、父と母の仲はまあまあで、私が母に追い出されて祖父母の家に避難していたのを、見るに耐えかねて父が助けたという方が正確かもしれない。私の家はこの小さなアパートで、父の機嫌を損ねれば私の居場所は、もうない。Twitterで居場所を求めてしまうのは私の過大な承認欲求のせい。下心には気づいているものの、それでもいいかと目を背けてしまう。誰かに愛されたい、褒められたい、認められたい。別に世の中のみんながみんな、愛されてる訳じゃないのに。


 大人になったら親の話ばかりする人間は疎まれるそうだから、今からでも辞める努力をしたい。


 大人は大変そうだ。父曰く、大人は遅刻もしないし休みもしないし弱音も吐かないらしい。私は歳をとるだけとって、中身は子どものままになりそうだ。大人になんてなれそうもない。

 


 居場所ってどこにあるんだろうか。もしどうなってもここがあるから大丈夫、と思えるところが欲しい。もっと確実で、絶対的な居場所。そんな居場所がないような大人たちはどうしているんだろうか、寂しくならないのかな。そんな居場所作りたいとか思う。勉強出来なくても、受験落ちても、何も変わらず接してほしいなぁ、っていう甘え。