カザンラク
カザンラクは有名なバラの谷の東端に位置している人口82000人の街です。。谷の反対側には中規模の高さの山脈があり、5月はとくに素晴らしくバラの野に咲く花や芳しさは比類無いものです。 美しいバラの祭典が6月最初の週に開かれる。バラ祭りが開かれる週は舞踏など毎日違った行事が行われて、美人コンテストも行われ、最終日にはもっとも美しい女性が選ばれる。地元では「バラの女王」と呼ばれています。バラ祭りは1903年から行われており100年以上の伝統があり、現在では国際的なイベントとなり多くの観光客で賑わい人々を楽しませていおり、このバラ祭りは、ブルガリア3大祭りのひとつとされています。さて、カザンラク一帯に人が住み始めたのは新石器時代(紀元前6000~5000年前)までさかのぼる。紀元前4~3世紀頃トゥンジャ川上流はトラキア人支配地の中心で、セウト三世の治世時代でもあり、ヘレニズムの中でのトラキアの歴史的発展にとって重要な場所であったそうです。トラキア人の都市であるセウテポリス(Seuthopolis)はカザンラク近くで発見され、コプリンカ貯水池建設の際徹底的に調査されました。紀元前4世紀、セウテポリス近くにトラキア人はお墓を建てていますが、有名なカザンラクのトラキア人の墳墓で、1979年にユネスコの世界遺産に登録されています。中世、カザンラク平原はブルガリアのボイヤールエルティミールの支配地クルンの中心地であった。後の1370年、カザンラクはオスマン帝国の支配下に入る。現代の都市カザンラクの起源は15世紀にさかのぼる。シプカ峠を防御するため軍の要塞が設けられ、その後手工業が発達した。オスマン支配後は巨大な市場を失ったことから手工業は衰退して行き、軍需産業が発達しています。また、タンニング(革加工)、銅細工、ガラス細工、フライゼ(織物)、靴作り、樽の製造など50以上の手工業が発達し、バラの栽培も同様に発達、もともと精油用のバラはインドからペルシア、シリア、トルコを経由し入ってきたダマスカスローズ。現在、カザンラクのローズオイルはパリやロンドン、フィラデルフィア、アントウェルペンの展示会などで金メダルに輝いており地場産業になっています。