『毎日セレクトしていますか?』~毎日何かしらを選びながら暮らしている~ -26ページ目

『毎日セレクトしていますか?』~毎日何かしらを選びながら暮らしている~

新潟の土地に暮らしながら、セレクターという肩書で色々なものを選択して
このサイトを中心に情報発信をしています。

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SNS疲れ・・・友人知人の投稿でストレスを覚える・・・などなど。

気にしなきゃいいじゃん!って思える方は、もしかしたら最初からこの「SNS」には参加していないのかもと思ったり。

誰かと繋がりたい、同じ気持ちの人と気持ちを共有したい、親友達には相談しにくいことをどこか遠くの人に聞いてもらいたい。

真夜中に一人で起きていることが怖くて、誰かが必ず起きている世界と繋がりたい。

でもその繋がりは時に牙を剥くこともある!自分の中で「いい人」と位置づけた人がいきなり豹変して心無い事を言い始める事もある。特に良かれと思っていた自分の子供の成長日記、よく行く旅行や海外旅行の様子などみんながみんな「いいね」とは心の底から思ってなかったり、そう『嫉妬』と言うもの。

自分がされなくても、人がその状況になっていることをネットサーフィンでも見かけます・・・・わぁ(^^ゞ総攻撃じゃや・・・と。

40才を越えてめっきりババくさくなり、僻み根性も出てきましたわ(笑)確かに思うこともあります。

続きはこちらへ『Plain Star ドットアジア専業主婦プレスタの好奇心から来る情報サイトドリーム・ボード・ブログ DreamBBドリームビービー』


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今朝寝ぼけ眼でメールチェック。

あれ?なんだろ?海外からメール…

何が書いてあるかわからないわ(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)
そんな時は『翻訳先生~~』とコピペしてと

Σ( ̄。 ̄ノ)ノえ!私のサイトのドメインが期限切れ?
ヤバいヤバいヤバいよー
振り込み期限が今日?みたいなヤバいよー。

ん?私海外サイトでドメイン取得したかしら?
あれ?と思い『notice@domainnotices…』をネット検索。


続きはこちらから。

ブログを読んでいただきありがとうございます。


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『死』
自分の死も想像はできず、大切な人の死もわかりません…

春、まだ寒いあの日私は母を亡くしました。突然の死ではなく癌による余命宣告を受けた死でした。

それでも余命半年と言われた母でしたが、それから1年半後となりました。
あれから半年。
私は未だ死を受け入れられずにいます。

亡くなる、生きていたカラダが無くなるという現実はわかりません。日常のふとした時に「あっもういないんだ…」と思うのです。
一緒に買い物をした近所のスーパーに行くと「もう二度と一緒に買い物ができないんだ」とただただふと思うのです。

それでも少し離れたショッピングモールに行った時、母が気に入っていた子供服のお店が一つなくな、また一つと時間の経過を感じるとショッピングモールの雑踏の中で突然悲しみが込み上げて来て目の中いっぱいに涙があふれたりします。

母との思い出が無くなっていく…と。
今日は母が私や子供たちにしてくれていた様に、何だか無性にその店で買い物がしたくなり

母が選ぶだろうな
母がこれを着た子供を見たら笑うだろうな
と思いながらカゴいっぱいに子供たちの服を買いました。

何処へ買い物に行っても、自分のものより孫のものばかり買ってくれた母。

あの時もっとお礼を言っておけば良かったなとか、母に何かプレゼントしておけば良かったなとかそんな事ばかり頭に廻るのです。

そう、やり残しはないなんてない。私が死ぬまで同じく生きていたら同時に死んだらもしかしたら悔いはないと少しは思えるのかもしれませんが、先立たれては残された方はもっともっとと感じ思ってしまうのです。

余命宣告を受けて私の家族と母で温泉旅行に行きました。思い出作りのつもりだったのかもしれません。

そしてまた行こうねと約束していました。行くつもりで母は新聞の記事を切り抜いて「ここいいでしょ」と話していました。

でもあの日入院してから、そのまま退院することがありませんでした。

私が見た母の癌。
最後は老衰の様に感じました。
転移し色々な臓器が機能を果たさなくなり、食べることもしなくなり起き上がることも、そして起きることを呼吸をしなくなる。

眠りながら目覚める力が無くなり眠る様に息を引き取りました。

亡くなるほんの数日前、食事しなくなり1日の半分以上眠っていた母でしたが、僅かに起きていた時「子供たちが(孫)春休みの内に、あの温泉行かなきゃね」って言っていました。

そう、母は死を受け入れていたけどきっとこの入院ではまだ生き続ける思いがあったのだと思います。

急変の様にそれから一気に病状は悪化して行きました。

そして今、あれから半年経ちました。我が家に何故仏壇があり、何故母の写真が飾られ家にいた母は何故今いないのだろう。
目の前で手を握りながら息を引き取った母。それでも未だ死を受け入れることはできていません。

長い長い入院の続きと思うのです。

きっと私は自分自身が亡くなるまで母の死も、これから訪れる他の大切な人の死も受け入れることはできなさそうです。

父や兄は毎日母の仏前に鐘をならし手を合わせています。

私は…できないのです。たまにちらっと仏壇を覗きます(笑)そして母の写真をみます。
心の中でこう話すのです「毎日拝まなくてゴメンね」と。

自分との会話も母との会話も、私の胸の中で出来るから。今はまだ許してください。

人って面白いもので今年のお盆、母には新盆にあたり大切なお盆でした。

私はお墓参りの三日前から体調が今までで一番悪くなり約10日間寝込みました。寝込むというか体が動くパワーが全く無くなったのです。ただひたすらベッドに寝ている毎日…
お墓参りも行けないまま過ぎました。

新盆なのに迎える準備もできず、お経も聞けなかった。

何もしなくて、できなくてゴメンねお母さん。

そう今も思います。

思い出すと悲しくて泣くのに、心の中では死を受け入れていない状態です。

だけどね悲しい時も、楽しい時も過去でも未来でも現実でも変わらないことがある。
貧乏な人にも大金持ちでも、今不幸な人も幸せな人にも平等にあるもの。

誰にでも時は流れていて、そして誰にも死が訪れるということ。

後悔している今も、過去の後悔になり
悲しい現実も、過去の悲しみとなり
未来は知ることが出来ないから未来なんだ。

今のこの私を、未来の私は「過去はどうだった」と思うのだろう?
それもわからない(笑)

死を悲しみを受け入れても受け入れなくても時は進むから、無理に受け入れなくてもいいと思った。

受け入れずに最期を迎えるかもしれないのだから。



ブログを読んでいただきありがとうございます。

引用元:【きもち】大切な人を亡くした後、私は未だ死を受け入れられずに・・・
好きな味噌汁の具ブログネタ:好きな味噌汁の具 参加中
アオサの味噌汁好きだったのよ。
かっぱちゃんのお寿司。
アオサ値上がりなのかね_| ̄|○無くなったよねアオサの味噌汁…

あと飲むのも作るのも好きな味噌汁は
豚汁!絶対これ!豚汁(☝︎ ˘ω˘)☝︎ふぅー!!