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高田圭人〜ありのままに飾らずに〜

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すべてのモノにはトキが加えられ、そのトキと共に歴史が描かれる。

時間の長さがすべてに直結するとは思わないけど、やはり長ければその背景や歴史が濃くなることは可能性として高いと思う。

もちろん『太く短く』という言葉があるように、時を刻む時間が比較する対象より短くてもそこに刻まれた数々の歴史や想い出というものは色濃く残ることもある。

『太く短く』『細く長く』だけではなく、『細く短く』もあるだろうし、『太く長く』もあるだろう。

ただ時が刻まれたモノに共通するモノはやはり温もりだと思う。

細くとも太くともやはりそれらの背景にあるモノに時と共に刻まれた歴史がどこか優しい温もりを生み出し、その温もりが魅力へと姿を変えて人々に感動を与える。

それはヒトにも言えること。

余談として、人と植物の細胞組織はミクロにまで突き詰めると4つしか変わらないらしい。

ということは、植物と4つの細胞しか変わらない僕たちが言葉や、感情などがあるように、植物にだってあるかもしれないということが考えられる。

だからこそ、人間と同じように歴史を重ねるから100年生きている木や、雨にも風にも負けず、懸命に生きる花々や生きてきた木で作られたモノたちに温もりを感じることができるのかもしれない。

そして、それを踏まえた上で

『地球上に存在するすべては人間と同じように生きている。』

と考えれば人間はいかに欲深く、傲慢であるかがわかってくる。


すべてが飽和状態の昨今に次々と生まれる新しいモノは斬新かつ新鮮で最先端だからかっこよく見えるかもしれない。

だけど時を重ねたモノにもそれぞれの魅力があり、大事に使い込めば新しいモノに負けない魅力を発揮する。

それは人にも通ずることであると思う。

モノが溢れてなかった時代はもっとモノが大事にされ育てられてたのではないかと思う。

大事にモノを使えばその愛情は自分自身にも反映され、温もりが芽生え魅力が育っていく。

時代は移りゆくものであるけれど、本質的な部分は常に大事にしていくべきであると考えるし、複合的に見てもモノを大事にし育てるという時代が再来てもいいのではないかと思う。



モノ+時間=魅力




ありのままに飾らずに
高みをめざして