衆院選が2/8に行われる。物価高で生活が苦しいという声をよく聞く。しかし、高市氏を始めとする、自民党政治は何も対策をしてこなかった。それどころか、高額療養費の負担上限の引き上げも検討しているという。

「物価高で、必要な食材も買えない。」

「療養費が高くて、病院に行けない。」

そんな声を聞く。

なのになぜ、アメリカの言いなりとなって、軍事費を4兆円から9兆円(GDP比3.5%まで)に増額できるのか。アメリカから言い値で(ごみといっても過言ではない)装備品を買うために、なぜ増税をできるのか。税金を払う国民が餓死してもかまわないと言うのか?

 

国民の税の負担率を高くし、大企業には法人税の減税。これの何が、国民のためだというのか。選挙になって、内部留保の促進によって金を必要以上にため込んだ大企業から、金を受け取るための賄賂ではないか。全くもって理解できない。

 

国会議員は選挙によって国民から信託を受け選ばれたのであり、広義に言えば公僕なのであるから、国民のために働くべきである。しかしながら、現在の政治は国民のために働いているとは言えないと私は考える。

 

国民のことを本当に考えるというのなら、国民をターゲットとする政治というもののマーケティング戦略として、これらは民主主義の観点からも全く不適切であり、断固として反対する。

 

また憲法改正についても記しておく。

与党は、憲法9条をはじめとする、様々な箇所を変更しようとしている。憲法は、第99条で「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定めている。国会議員においては憲法遵守が義務付けられているのであり、また内閣、首相はそもそも改憲を口にすることは許されない。

 

今の腐敗した政治を変えるために我々は選挙に行かねばならない。選挙は我々が政治をよくするために行使できる、最上の手段なのである。

長崎に原爆が落とされ、7万4000人弱が犠牲となって、今日で80年。今でこそ日本は、戦争をしていないけれども、かつて、その惨禍に飲まれ、多くの被爆者が出たことを忘れてはならない。80年経って、当時の状況を知る人も少なくなってきたと聞く。若い世代が受け継いでいくことが求められているといえよう。

 

戦後、永井隆が発表した小説、そして古関 裕而が作曲した、「長崎の鐘」という歌は、どちらも長崎の原爆体験が基となっている。平和を願い、亡くなっていった永井隆、そしてそれを後世に伝えようと古関 裕而が作曲したこの歌を今こそ改めて歌い継いでいくべきだろう。

 

憲法9条改正を望む政治家たちに伝えたい。

戦争という悲劇は、まだ終わっていない。今も苦しむ者たちがいる。そして、その苦しみの記録は、この先のいつの時代も人々の心に残り続ける。戦争とは苦しみの連続だと。

だからこそ今、核兵器禁止条約に批准すべきであると改めて強く進言する。

 

そして、世界では今も戦争が絶えない国、地域がある。

戦後80年の今こそ、武力による解決ではなく平和的外交努力による解決が強く求められている。

 

何百年が経とうとも、変わらない平和への願いをこめて。

 

2025/08/09 


戦後、そして広島に原爆が落とされてから今日で80年。武力による解決ではなく、平和的外交努力による解決をと望んできた国民に対して、「核武装すれば、北朝鮮やロシアなどと同じように、アメリカと同じ土俵に立って交渉ができる。核武装が最も安上がりかつ、最も安全を強化する策の一つだ。」と、参政党のさや氏が参院選期間中に言っていたが、どうして言えてしまうのか。日本国憲法の遵守義務が適用される可能性のある人物の発言だったとはとても思えない。被爆者やその遺族たちにとっては、言葉にならないほど残酷な話で、全く理解できない。

 

小学生の時、はだしのゲンを読んだ。あまりにも無残な屍や、皮膚がただれ、ケロイドが顔を覆う人の絵を見て、正直気分が悪くなった。でもこれが現実だったと思うと、絶対に目をそらしてはいけない気がして、全巻読んだ。

 

「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから」これは広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉。 この言葉を真摯に受け止め、核廃絶や戦争、紛争の平和的解決に動こうとする政治家がどれほどいたことだろうか。

戦後80年の今こそ、武力による解決ではなく平和的外交努力による解決が強く求められている。



何百年が経とうとも、変わらない平和への願いをこめて。


2025/08/06