といえば、やっぱ「不毛地帯」かな・・

アメリカドラマを一通り見て、久々に「楽しみ!」って感じで観ている。あと、何気に前シーズンの「ライアーゲーム2」も面白い。あとは、軒並み観るのをやめてしまいました。

あ、「龍馬伝」は録ってあるけど。

今日は久々に父の誕生日で家族で夕食。僕の演劇も映画も1度も観に来たことないくらいショ―関係に興味のない父がアバターを観て以来、映画を見に行くようになったらしい。アバター凄い。

今週の木曜日からは、稽古がついに毎日になります。
脚本も、芝居もしっかり成長している気がするけど・・稽古日程が思ったより少なくてちょっと焦ってきている。というか、4本目にしてどういう過程で演劇が完成していくか実感として理解してきたんだよね。

だから、あ・・やばいってちゃんと思える。けど、同時に「じゃーこうしよう」とも思える。演劇にしろ、映画にしろ、自分が何を創っているのか分かるのって以外に時間がかかる。というか、両方とも今は多分「分かった気がしているだけ」。

これが80歳くらいになると、やっと少し本当の意味で分かってくるらしい。(あ、これ黒澤明によるとってことね)

まーけど、何事も最初があるわけで・・そして、最初は必ず失敗するわけで(まー当時は失敗とは気付かないけどね)。そうすると、最初から僕の作品を観てくれている方って、なんか凄く感謝を感じる。

だって、どう考えても最初はダメでしょ(汗)

だから、(まー映画は仕事になったからいいとして)、演劇とかやっている最中にお仕事頂いて、お断りすることになったときは「この不景気に、せっかくの仕事をなにをやっているんだ・・」って思い、これで最後!って考える。

けど、続けてしまうのは、「やりたい事が思い浮かんでしまった」という理由の他に、見続けてくれている方々に「俺、こんなもんじゃないよ」っていう表れの2つなんだよね。

ちなみに、今回、実は「これで当分は演劇やりません」と役者に言ってます。だから、最後になるかもしれません。そんなわけで必見です!


と言いつつ、いつもなんだけど稽古しながら次にやりたい事出てきたんだよね・・演劇も。映画も・・。

そして自分の中での重要度がついに映画と演劇が並んだ。
大丈夫か俺?制作会社がバタバタ倒産する中、生き残れるのか?

と、昨今の世間の話に乗って「不景気不安」を感じてみたけど、頭の中は今の作品と次回の作品で頭いっぱい。夢いっぱい。良い作品作れば、仕事は後から付いてくる・・と、今日もノリで生きてます。

それにしても演劇って魔物だ・・絶対、子供にやらせちゃいけないのはドラッグとギャンブルと演劇。家訓にするか。

さー、昨日のブログで「やる気」について書きましたが・・・

仕事でもなんでも「もっと自分に集中したい」!という意見も聞かれる。

「自分の作業に集中したい」「自分の芝居に集中したい」「自分のダンスに集中したい」


集中すればいいと思う!


ただ、集団で何かをしている以上、社会で生きている以上、自分だけが出来ても、結局評価されない場合が多い。


例えば、スポーツ。特に個人競技。これは、その選手がとにかく強くなればいいと思われがちだけど、コーチが自分に合わなかったら?栄養士が嫌いな食べ物ばかり出してきたら?一緒に稽古する仲間との空気が悪かったら?


結局、強くなれない。


もし、合わない人といたら・・その人に自分の意見を言わないといけない。あるときは、その人と離れる(クビにしたり、退部する可能性)あるかもしれない。


要するに、自分の技術を磨くこと以外に、自分の環境を整える「努力」はどうしても必要。


個人でこれならば、これが集団なら尚更。

チームプレイなら、もちろん連携が必要。


演劇だって、前のシーンでかなり観客の興味を殺いでいたら、物語の延長線上にある自分の芝居に誰も興味は持ってくれない。


だから、本気で自分の何かに集中したい場合は同時に周囲の人にも集中しなければ、結局「自己満足」にしか実はなっていないのです。


芝居に特化して言えば、もし相手の芝居に対する姿勢が自分の価値観と合わない場合、「意見するのか?」「自分の姿勢で相手を感化するのか?」「相手が本気にならないとついていけない芝居を自分が見せることで相手を変えるか?」「演出家に相談するか?」など色々あるし、相手によってアプローチの仕方は違います。


けど、自分の芝居に集中するといことは、ある意味そういう努力が必要です。

「自分は相手に求めない芝居をする」というのは幻想です。それは全員が、ある種「強迫観念」を持って同じモチベーションのときにしか通用しません。


なので、通常は「究極の自己中」は「究極の他己中」でもあるんです。


ちなみに、僕も自己中です。

自分の作品が評価されれば、お客さんに少しでも気に入ってもらえれば、あとはどうでもいいと思ってます!!

たとえば、スタッフとか役者とかどうでもいい!!!!


けど・・・演出家は何もできない。

セリフの1つも言えない。ダンスの1つも踊れない。照明の1つもつけられない。


だから、スタッフも役者にも精一杯、輝いてほしいし、そのための努力は惜しみたくない。

矛盾するようだが、そのためには自分はどうでもいい。例えば、プライドとか感情とか・・

でも、それも結局ぜーんぶ、自分の作品のためにですが。


なんか禅問答みたいですね。






なんか、ここんとこファミレスでも電車の中でも「うちの新人バイト」「新入社員」「新入生」などへの不満を聞く。あれ、今そういう時期・・?


まーだいたいが、「仕事を覚えない」「やる気がない」など業務への姿勢が問題で自分が被害を被っているみたい。


僕の場合、この歳になってなんだが、こういう新人への不満を聞くと「自分が言われているような気がする」。特に僕がいる映像業界でも「ゆとり世代のADは・・」みたいな話を聞くんだけど、だいたい言われている内容が自分と合致する。


なぜって、僕は基本的に「やる気がない」。

その昔、騙されてある現場に入れられた時、「昼飯を車で取りに行って、途中で道に迷った瞬間やる気がなくなり、まっとうな道を探す努力をやめスタッフ一同昼飯抜き」になったことがある。若気の至りです。
まー今、自分の現場でやられたらさすがに殺すかも(笑)

もちろん、そんなことをやってたら今は仕事できてないわけなんで、ある条件を満たした時は僕は誰よりも「やる気」を出す。


1、自分の作品
2、プロデューサーなど上司に認められたいとき


この2つのどちらかの場合、目的を遂行するためになんでもやる。例えば、昔の僕のようなダメADがいた場合、どうしたら「やる気がでるか考える」。もし怒るようなことを失敗をしても、それが彼のやる気を下げるなら決して怒らない。自分の感情は殺して現場進行がうまく行くほうを探す。そもそも、怒ると言うのは仕事の現場ではどんな場合もよくない。やるなら「怒る」より「叱る」ほうがいい。


こう考えると、そもそも部下のせいにしている「先輩達」の「やる気」も大したものではないんだなんて思う。

本当に、目標を達成したいほどやる気があるなら、誰かのせいにする余裕はないからだ。与えられた人員で、なんとしてでも目標を達成しないといけないからだ。


なーんて、言ってますが世の中そんなに「やる気がでる仕事」なんてそうそうあるわけない。だから、仕方ないと思うけど・・ちなみに、僕はあまりに周囲に迷惑をかけるから「やる気」のでない仕事は近づかないようにしている。


たぶん、愚痴を言っている「先輩達」はきっと「後輩」ができて嬉しいんだよね。いや、本当に悩んでいる人もいるだろうけど、きっとその人たちの心のどこかに「部下に対する優越感」。「私がいなければ、あなたはダメなの。この仕事は回らないの」という優越感からくる使命感があるはず。この感情、少し店長や社長が気のきく人の場合、よくシフトなんかに利用されているよね。


なんで、こんなこと書いているかと言うと3月に公演するPKシアター「異譚 破戒」のテーマがこれだからです。


「天は人の下に人を創った」


これが人間の持つ「業」です。
その昔、国を支えている「農民」のモチベーションを上げるためにつくられた「えた・ひにん」という階級。インドではカースト制度。その他、いろんな国で階級制度があった。


今の社会では、おおっぴらにはでない。けど、確実に僕の心にも皆の心にもある「差別」意識。これを、いつもの感じでエンターテイメントで描きますのでご期待ください!


って、結局、宣伝かよ・・すいません(汗)
観に来てください。
http://www.pk-t.net/