LAにいた学生時代から現在に至る僕の映像作品の90%の音楽を作ってくれている音楽のマサさんが、今回の演劇「異譚 破戒」の感想を書いてくれたので紹介します。
この感想を読んで、自分の作品ながら「そう!僕もおなじ冗談を近所のおじさんに言われたんだ」。そして、その時の違和感を描きたかったんだって改めて思った。
以下、マサさんのブログから抜粋
演劇は映画て違ってやり直しがきかない。音楽も照明も演技も一瞬だけ。二度と戻らないと「その時」が一時間半続く
内容は「差別」
山の人達を「山の化け物」と差別する人達と山を下りて自分の正体を隠し生きる山人の話
最後には正体がばれそうになっても「地位」を手に入れた山人の彼を山の化け物だと信じない人達
強烈だったのは
差別するある人が
「許してくれ。私達はずっと差別するのが当たり前だと言われて育って来てしまったんだ」と言ったセリフ
僕がアメリカに行く時に親戚の人が
「アメリカの嫁連れて帰って来るんかい」
と冗談でいい
「黒いのだけは勘弁してくれ」
と言った
「何故?」
と聞くと
「差別は悪いのは分かっているんだが、そういうのが当たり前に育ってしまった」
と言ってた
ちなみに劇には明確なエンディングがなかった
結局山の人達と村の人達が仲良くなれたのかすら分からないまま劇は終わる
苦笑した
伊藤監督も、僕も
まだ結末が分からないんだから
「結果はてめえらが決めろ」
エンディングは僕達で作りましょう
以上が、マサさんのブログです。
そして、偶然にもマイミクの一人が現在「部落差別に関する取材をしている」と書いてあった。それを読むと地方では未だに「静かなる差別」「悪意のない差別」があるそうだ。
今回の作品で差別に関する結末に白黒つけないことには脚本や出演者からも稽古中質問された。だいたい、原作でやっている「自分の出身を明らかにする」という題名にさえなっていることを僕は敢えて変えたのは、現実として未だに差別はあるし、これはなくならないからだ。
「差別意識」は絶対になくならない。これは断言できる。
だって、身近なところでもあるでしょ?俺はあいつよりは顔がいい。頭がいい。とか思う事。逆に、俺は皆より劣っているとか・・誰かと比べて自分を考えると言う意識がある限り根本的に差別はなくならないのだ。
でも、そういう感覚があるからこそ人間は成長できるとも思う。例えば、公演のアンケートなどもそうだ。打ち上げのときに、役者たちは一生懸命読んでいた。自分の名前が「良かった役者の欄」にあるかどうかで一喜一優する。そして、その気持ちをうまく使って成長する人もいれば、無駄に落ち込む人もいる。
僕が今回ラストで提示したのは、差別が悪いというのではなく「人間は差別することで自分の社会的な立場を守る生き物」だと言う事。そして、それをなくすことはできないけど、自覚することが「誰かを少しでも傷つけない」ことではないか?と言う事なのだ。
もちろん、それも別に明確に公演の中で言っている訳ではないが、なんとなくでも感じた人がいればいいなーと言う程度。
だって、この問題、まささんが言っているように自分で結末を出す、いや出そうとするしかないから。僕自身、稽古しながらずっと考えていた。今でも考えている。
そして、思う。
やはり、「異譚 破戒」ではあの結末しかなかったと・・