母の退院が月末に決まりました。要介護認定の利用者が再び自宅介護生活に戻るにあたり、新たに酸素吸引が必要になったことから、今後の介護に携わる全ての関係者に一定の情報共有を兼ねて、ケアマネージャーさん、リハビリレンタル会社の営業さん、訪問介護の看護師さん、訪問看護の看護師さん、通所中のデイサービス担当者、利用者本人(母)とわたしが病院に集うカンフェレンスが行われることになりました。1か月前にリハビリ病院の退院時にも同様のカンフェレンスを経て退院し、更に正式に新規にお世話になる各所が決まったときも、ケアマネージャーさんの指示で各所担当者が自宅へ集まり、それぞれと細かな契約書を交わすためのカンフェレンスもありました。そして再入院を経て今回新たに医療機器(自宅に設置される酸素吸引装置と外出時の携帯酸素ボンベ)が追加されることになったため、再びカンフェレンスが病院主導で病院内で行われることとなりました。介護保険被保険者が施設ではなく自宅介護を続けるということは、何かが追加されるたびにこうしたカンフェレンスを行うことになります。更に毎月末近くなると、次月の介護保険を利用した全サービスの内訳と領収金額、利用月間スケジュール表をケアマネージャーさんが自宅まで持参してくれ、署名して各1部ずつ保管する、という手続きもあります。

 

 膀胱カテーテル(バルーン)に次いで酸素ボンベ付き帰宅を宣告されたときは、正直がっかりしていました。寝室に装置を据え付け、排便時にトイレに入る時も、鼻に管を差し込んだまま寝室から長いチューブを引きずって車椅子のバルーンを外してトイレの手すりにS字フック毎取り付けてから介護をして支えて便座に座らせ…という動作が必要になります。バルーンだけでも大変だったのに、酸素吸引チューブまで気を付けての介護になると思うと、正直ため息が出ます。それで胸水が完全に抜けるまで入院させて欲しいと頼み込んだのですが、母が胸水を抜くための利尿剤点滴を嫌って、勝手に引っこ抜いてしまうので、酸素ボンベを引き続き使いながら気の長い内服薬に切り替えたため胸水がいつになった抜けるのか先が読めない、それでは退院がいつになるか分からない、と病院側が悲鳴を上げてしまったのです。「それでは何時まで酸素ボンベ治療を続けることになるのでしょうか?心房細動が酷いので肺に水が溜まった、腎臓に働きかける内服利尿剤では役に立たない、点滴が必要だ、と言われての入院でした。ですが、考えてみれば心臓弁が機能していないので心臓から逆流する血液が少しずつ肺に漏れてしまうという事情はないのですか?もしそうなら飲み薬と酸素ボンベは生涯続けることになるのではありませんか?」と尋ねてみました。「うーん、それはどうでしょうね。少し移動しても息苦しさを訴えておられますし、ここまでやって最善を尽くしても改善が見られなければ、心臓の寿命だということにもなりますから…」と女医さんは言葉尻を濁すだけ。要は内服薬と同じで、本人が苦しさを訴えなければ酸素ボンベも外せるという話になります。現在も就寝中ベッド上で何度も端座位になっているという話なので、胸水はまだ抜けていない証拠です。そのため横になると肺に溜まった水で溺れるように苦しくなるという。つまり就寝時の酸素ボンベは必須。こんな状況では骨折して留置となった左大腿骨がいくらか回復していても、骨折箇所をかばって4か月伸縮運動を嫌ったため拘縮した両ひざと脚の筋トレリハビリも思うようには進まない…。「送迎するので引き続きこちらの病院の付属リハビリ病院でも構わないので、通院リハビリさせてもらえませんか?」と食い下がって依頼もしてみたが、「一般的に通院リハビリは脳梗塞、心筋梗塞で麻痺が残ってしまった利用者向けだから無理だ、」と言う。必要なら、訪問介護でリハビリを受けるしかないとのこと。「訪問を受けるより、着替えて通院するイベント式がいい、というのが母の希望なのですが、」と言えば、「デイ(ディサービス)を増やしてはいかがですか?」と返ってくる始末。利用者の自立支援を念頭においた手厚いはずの介護保険サービスの落とし穴がここにありました。

 

 今回の入院は母にとっては意外と快適なようでした。狭いナースステーションの一角にテーブルが一つ置かれていて、部屋に残すのが心配な患者を4,5人車椅子のままテーブル席につかせてくれ、皆、食事もその席で摂り、それが済めば数冊置いてある週刊誌を読む高齢者あり、塗り絵をやる高齢者あり、と、好きなことをしています。母もその席に座らせてもらい、話すともなく黙って他の人の所作を見ているだけでも「独りぼっちは嫌だけど、ここだと皆がいるから寂しくないのよ、」と言って満足しているようでした。「○○ちゃん(妹)が前の病院に入院していた時に持ってきてくれた「点結び」の雑誌を持ってこようか?それとも家にある「仏像なぞり書き」の本を持ってこようか?」と言っても「要らない、今はもう何もやる氣になれないの、」と返事をする始末。とにかく人の居るところが好きなら、「退院後はデイを増やしては?」と答えた担当医の助言に従うしかないのかなぁ、と考えているうちに、酸素ボンベがなんだ、何でも来やがれ、という前向きに中途半端な退院を受け入れる氣持ちになってきました。

 

 その氣持ちの高揚を下げる事件が起こりました。勤めていた頃に購入したお氣に入りの時計が見当たらない。昨日、病院を見舞いに行った帰り道には確かに腕に付けていたのに、帰宅して外したかどうかの記憶もない。今日になって思い出し、探しに探したのに出てこない。落としたのかもしれない。いや、落としたら嫌だなぁ、という予感はここ1か月くらいしていたのは事実でした。介護のスクーリングに行くときに付けて行っても、介護実習の際、講師から、介護現場では外すのがマナーだと言われ、外すからです。その際外してカバンの取っ手に付けておくのですが、いつか失くすのではないか、という嫌な予感が頭をよぎっていました。今回は腕に付け、帰宅して外したような氣もするのですが、どうも記憶がはっきりしない。ふと思うことがあって、「腕時計を失くす スピリチュアル」でググってみました。すると検索トップに挙がっていた「過去や未来について考えるのではなく、『現在に集中するべき』というスピリチュアルな意味があるのです」というブログの概要が目に留まりました。

 

 そう。分かっていました。今やらなくてはいけないこと、それは残り数回になった介護スクーリングの修了テスト勉強!そうなのです。でも逃げてました。「お父ちゃん、ご先祖様、わたしの時計が見つかりません。どこにあるか教えてください、」と声に出しながら探したのですが出てこない。わたしは何かを失くしたとき、それが本当に無くなってしまったのではあれば、意識の深いところで、深い喪失感とポカンと穴の開いた感触がするのです。それが感じられないのですから、わたしの反省から改善のアクションを起こせたときに出てくるかもしれません。これは一つの賭けではありますが。

 

 実はこれまでに何度か、忽然と無くなってしまうことがありました。若い頃仕事を辞めて3か月半だけアメリカに語学研修に行ったことがあります。そのときお守りとして持って行ったのが、シルバーチェーンに水晶の六芒星カットペンダントがついたものでした。30年程前に手に入れたそのお守りは、占い雑誌の広告で見つけ、通販で当時4万5千円ほどで購入したものでした。そのペンダントに名付けられた名前が「盲亀浮木」。

 

 その意味をググってみました。

「ある時、お釈迦様が阿難尊者に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねられました。すると阿難尊者は「大いなる喜びを感じています」とお答えになります。お釈迦様は「盲亀浮木」の喩えをお話になります。 「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくるのだそうだ。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねられました。 阿難尊者は「そんなことは、ほとんど不可能で考えられません」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰っておられます。」

 

 

 そのペンダントの商品説明には、「盲亀浮木を叶える、」という強い念を込め、石の持つゆっくりな波動を人間の命の長さに合うよう特殊な方法で早めています、とか何とか書いてありました。そんな高価な水晶だからきっとご利益があるはずだ、と購入して手に取ったとき、正直一瞬ゾッとしたのを覚えています。「怪しいまでにキラキラと輝き、ズシリと重く、氷のようにとても冷たい…わたしの波長とは少し違う、」という印象も受けました。違和感はありましたが、折角縁の合った高価なお守りだから、というので首に掛けて渡米しました。

 

 語学スクールからあてがわれたホームステイ先は、何と同い年の証券会社役員の女性と彼女のボーイフレンドが暮らす築100年のボロボロの家でした。そこで出会った同じ語学スクールに通うどこかマリリンモンロー似のイタリア系ブラジル人女性はある日「ずっと気になっていたんだけど、ね、貴女のペンダント、水晶でしょう?触れてもいい?」と切り出してきました。「ブラジルは水晶の産地で有名で、ブラジル人はお守りとして水晶を大切にしている人が多いんだけど、他人に触れれることを嫌う人が多いの。その人の念が入ってしまうから、って。」「気にしていないからどうぞ。」と言って触らせてあげたこともありました。

 

 後日、1か月だけバケーションを貰って来たという同じ語学スクールで知り合った九州出身の年下の邦人女性も同じようなことを言いました。「貴女の胸のペンダント、どうしても目が吸い寄せられるんだけど。触れてもいいかしら?うーん、何か強い念が入ってるようだけど?」彼女は交通事故に遭い生死を半年間彷徨った挙句、生還したという稀有な経験の持ち主で、その経験の後、ある種の超能力が備わったと話してくれました。その彼女には、魂の色やレベルが瞬時に判断できる、というのです。わたしが、語学スクールの2人の邦人女性との人間関係に少し疲れている、と話すと、「一人は動物霊が憑いてる、もう一人も霊的レベルが恐ろしく低いから、相手にしなくていいの。貴女とは全然違うんだから、氣にする必要はないのよ、」と答えてくれました。この「貴女とは全然違うんだから、氣にする必要はないのよ、」と言う言葉は、遡ること中学生時代に、憧れるほどに完璧なリーダーだった幼馴染の同級生に励まされた言葉と全く同じ台詞で、デジャブを見たような感覚を覚えました。彼女の不思議体験はまたいずれにして、その彼女がペンダントに触れて、「うん、ずっしりと物凄い念が入っている、」と言い、「あのね、わたし、神様が憑いている人の頭には金のアンテナがついているのが分かるの。この前、前の勤め先の同僚だったアメリカ人男性がここで会社を興してるの、それを知っていたので、約束してお昼を一緒にしたの。物凄く顔色も良くって、生き生きとしていたし、なにより頭に金色のアンテナが見えたから、仕事もプライベートも順調だってわかって本当に良かったわ。で、あなたの頭にも銀色のアンテナが付いているから神様が憑いているのよね。でも、それがね、見たこともない風に、こうねじ曲がっているのよ、何故かしら?」「渡米する直前、心配した叔母が木曽御嶽山に伝わる御嶽教の特別祈祷済の安全お守りを持たせてくれてね、お札は自宅に、お守りは肌身離さず持参するように、と言われてるから、銀のアンテナはわたしのものではなくて、その神様との通信アンテナかもしれないね。で、それを歪めているのは、多分、この水晶のペンダントなんじゃないかな、」と答えると、「なるほどね、それで納得がいったわ、」と言って彼女はニッコリ。帰国後、そのペンダントを付けて就職面接に行くと、ことごとく不採用。ある日うっかり忘れていった面接で内定をもらったといういきさつもありました。そのペンダントがある日、ペンダント先についたシルバーの留め具が重すぎるかのように、シルバーのチェーンのコネクト部分が削られているのに氣がつき、落としてしまう可能性があると思い、箱に入れて保管することにしました。ところが、分かるのです。ペンダントのチェーンを切って石が逃げ出そうとしている、と。何だろう、この感覚は。箱に入れておくのにどうやって逃げ出すのだろう、と不思議に思いながら、1年以上放置して忘れていました。それをある日箱を開けてみると、どうでしょう。チェーンのコネクタ部が見事に引きちぎられ、ペンダント先だけが無くなっていたのです。これも誰にも分からないプライベートな場所に保管してありますので、家族の誰かの仕業とは思えません。石が本当に逃げ出したのだな、と不思議に思いました。その後10年以上を経て、同じ場所に保管していたテラヘルツ石がやはり消えてしまいました。3センチほどの大きなテラヘルツを炊飯器に入れて炊飯していたのですが、石が嫌がっているのか、炊飯器が嫌がっているのか、炊飯されるお米が嫌がっているのか、何となく違和感は感じていましたが、「テラヘルツを炊飯器に入れて一緒に炊くと、ご飯が美味しく炊ける、」という触れ込みを信じて、炊飯時に放り込み、炊けた後に取り出してよく洗い、その都度、片付けていました。ところが1か月もするとその違和感が事実になり、片付けておいてあった場所から炊飯用テラヘルツ石が消えてしまいました。そこでもう一つ別のテラヘルツを使って炊飯していました。すると今度は1週間もしないうちに保管場所からまたもや忽然と消えてしまいました。当時既に父は他界し、母と二人暮らしでしたので、母に尋ねても知らない、と言います。まぁ、他にも突然あった場所から消えてしまうものはありましたが、その都度、消えてしまうような予見が出来るのですから、困ったものです。予見していて失くしてしまうものの数日で戻ってきている不思議なものもありました。数か月前にICレコーダーを失くしたときの話です。母の心臓病が悪化して、昨年暮れには我が家の4階の仏間へはもう上がることが出来なくなっていたので、犯人は母ではありません。ICレコーダーにお経を吹き込んであり、読経時にはいちいち持参していました。そのICレコーダーを紛失したことに気付いたのは数日後のことでした。最後に使ったのは読経したときだ、と思って仏間をくまなく探し、もちろん他の部屋も探しました。それでも見つからないので、後日、仕方なく予備のICレコーダーを使って読経を済ませました。それでも納得がいかず、読経の後で、一端部屋を出て、予備のICレコーダーを片付けてから、もう一度仏間に戻って探してみました。すると、どうでしょう。座っていた座布団の上に置いてあるではないですか。そこに座れば、障害物として取り除かなくてはいけないくらい分かる位置にです。先ほど座ったときにはなかった場所にです。紛失ICレコーダーは数日前に使ってそのまま置いたまま部屋を出たのでしょう。それが一端消えてしまい、数日後、その場所に戻っている、という不思議体験です。今回の腕時計もそんな風に返ってくれるといいなぁ、と夢想して今夜はおしまいにしましょう。