来週には中学を卒業する長女。

中学の後半は、不登校になっていました。

小6の頃から、思春期なのか反抗期なのか、1人で過ごすことが増え、会話がなくなっていきました。

たまに機嫌が良い日は話しかけてくるのですが、ほとんど部屋から出ず、部屋のドアも締め切り、ドアを開けると怒る・・・

そのまま中学に上がり、登下校はずっと下を向いて歩き、前髪はだんだん長くなり、やはり家では部屋に閉じこもる日々。

そして中2になる頃、少しずつ話してくれるようになってきて嬉しく思い始めた頃、実母の死期の知らせが。

もともと優しい長女は、それから毎週末実家に行くと、笑顔で過ごしてくれるようになりました。

反抗期で話してくれなくなった頃を知っていた実母は、長女が明るくなったと喜んでくれました。

夏休み中に2回の葬儀。
姉弟の中で一番長く、じいちゃんばあちゃんと過ごした思い出のある長女は、一番辛かったんだと思います。

そして、四十九日が過ぎた秋頃、学校に行けなくなりました。

私から見れば突然だった出来事でしたが、長い期間のストレスなどが原因で、とうとう長女の身体がストップをかけてしまったようでした。
小さな頃から周りを見て察する事ができる次女。

2015年春から毎週末実家に行っていて、ばあちゃんの具合が悪くなってきているのを察していました。

次女と2人になった時間に、ばあちゃんもうすぐ亡くなってしまうと話すと、分かってたよって返事。

でも人前で泣く事が出来ない次女は、きっとコッソリ布団の中で泣いていたと思います。

夏休み前には、一番仲良くしていたお友達が大阪に引っ越すことになり、年度末にはいつも親身になってくださり次女も慕っていた担任の先生が異動になり、お別れの多い年でした。

小4になってからは、学校に行きたくない、教室に行きたくないと言い、保健室や相談室へ登校する日もありました。

自分の気持ちや経過の説明をする事が苦手なのか、面倒なのか、あまり話してくれない子だったので、話してくれないと分からないから、母さんが1人の時になんでも良いから話しにおいで。と言ったら、少しずつ学校の事などを話してくれるようになりました。

次女の思っている事が分かったことを褒め、それをこう学校に伝えるよと了解をとり、先生に伝えて対応してもらう日が続き、何とかほぼ毎日学校に行っています。

少しずつ、でもハッキリと成長している次女。
これから思春期に入ってからが心配ですが、先の事を悩んでも仕方がないので、その時々で真正面から向き合っていこうと思います。
現在は何事も無かったかのように、毎日元気に過ごしている長男。

2015年夏、実母が亡くなってから数日後、突然の高熱とじんましんが出ました。

大好きだったばあちゃんが、突然死んじゃったからって静かに泣きながら話す長男。

もう少し早く死期が迫っている事を伝えておけば良かったと後悔しました。

実母の葬儀後、日に日に弱っていく実父を見て、今度はすぐに子どもたち全員に、じいちゃんももうすぐ亡くなってしまうと伝えました。

実父の時は熱までは出しませんでしたが、やはりしばらくは笑顔もなかったように思います。

一年生だったので、夏休みの宿題の絵日記3枚のうち、2枚が葬儀のことでした。
私としては、ばあちゃんとじいちゃんの顔を描いてほしかったのですが、長男の印象に残ったのは棺桶。
悲しい時なのに、クスッとみんなで笑ってしまいました。

一番早く忘れてしまいそうな年齢ですが、楽しかった思い出を胸の片隅にずっと置いていてくれると嬉しいなと思っています。
あれは次女と長男が幼稚園、長女が小5の頃です。

実母が市の健康診断で異常が見つかり、市民病院で検査を受けたところ、胆管に癌が見つかったと連絡がありました。

子どもたちが小さい頃は、授業参観や運動会、音楽発表会などに三重から岐阜まで電車を乗り継いで見に来てくれたり、たまに車で日帰りで出かけたりしていましたが、一番下の子も入園し、ホッとした矢先の出来事でした。

私が10歳の頃、実母が胆石の手術をした際に危篤状態になった事があり、手術で癌を取り除く事を拒否しました。

抗がん剤治療をしながら様子を見る事になりましたが、たぶん数年だと宣告されました。
子どもたちには、ばあちゃんが病気になって岐阜には来られなくなったから、出来るだけ会いに行こうねって伝えました。

抗がん剤治療を始めた母は、体力や気力が少しずつ落ちていきました。
以前は出かける事が大好きだった母が、あまり外出しなくなったと姉たちから聞いて、少しショックだったのを覚えています。

姉たちは実家から30分ほどの場所に住んでいたので、交代で週に何度か様子を見たり、病院に連れて行ったりしてくれていましたが、私は1時間の距離なのに、なかなか行く事が出来ず、もどかしかったです。

体調が良い日は、姉がドライブがてら岐阜まで顔を見せに連れて来てくれたり、私も前より出来るだけ多く実家に顔を出しに行ったりしました。

同じような頃、実父も水頭症の為、足が動かなくなってきていました。
私たちは歳のせいだと思っていましたが、姉がちょっと違うんじゃないかと気づき、病院嫌いの父を説得して精密検査を受け、水頭症と肺癌の可能性がある事を知りました。
肺癌の精密検査はしないと強く拒否したので、そのまま様子を見る事にしました。

そして2015年の春、姉から連絡があり、実母が夏までもたないだろうと言われました。
これまでも何度か癌が胆管に詰まり、黄疸で入院して処置してもらっていましたが、そろそろ限界だと言われたそうです。

春の連休から、私は子どもたちを連れて、毎週土日は実家に泊まりで様子を見に行く事にしました。

長女と次女には死期が迫っている事を伝え、長男には元気がなくてご飯の支度が出来ないからお手伝いに行くよと伝えて連れて行きました。

実家ではなるべく笑顔で楽しく過ごし、平日はあと何回会えるのかなと思いながら涙をこらえていました。

そして夏休みに入り、7月末に母が、母の弱るところを目の当たりにしていたからか肺癌がどんどん進行していた父がお盆明けに亡くなりました。

私もそうですが、子どもたちも精神的に辛い経験をしました。
亡くなってから現在で一年半ほどになりますが、親の死を受け入れてから、元気いっぱいに進んで行くにはもう少し時間がかかりそうです。

現在の子どもたち。

長女は中3、もうすぐ義務教育を卒業です。
次女は小4、ガッチリ体格のまま成長しています。
長男は小2、お姉ちゃん2人の影響か、よく喋り、女の子の友達が多いです。

一昨年2015年に私の身辺での大きな出来事があってから、それぞれに悩み、立ち止まり、現在立ち直りつつある状況かなと思っています。

もちろん私もまだ立ち直ってはいないかなとは思いますが、この事はまた別の記事で。