こんにちは〜☀︎


本日は朝から雨で

普段チャリ通勤のパパの送迎もあったので

野郎ども全員送り届けるまでに

1時間半かかり疲れました〜にっこり


もう既にHPは半分あるかないかです昇天

何もやりたくねぇ〜


さてさて、掲題の言葉ですが、

私が障害児の親になってから

常々思うようになったことです。


よくこのニュアンスのことは

昔から言われていると思いますが、

これは当事者になってからようやく!

ほんと〜〜〜〜うに

「うわぁ〜〜〜!その通りだ〜〜〜!!(IQ3)」

と五臓六腑に沁み入り

日々痛感することになった言葉です。


その人に障害が有るのではなく、

その人にとって障害が在る。

だから支援を必要としている。

支援を受けるにあたって「障害者」と

レッテルを貼らざるを得ない。


だから「障害者」なのだと。


だってうちの子、

ところ構わず奇声を上げたり

ご飯をちょいちょいっと手づかみしたり

言葉の疎通が難しかったり

手先がなかなかに不器用だったりしますが、

別にこれって家族の中だけの

話だったら障害でも何でもないんですよね。


いや、不便だな〜と感じたり

うるせぇな〜と思ったり

これくらいは正直

できてほしい&通じてほしいぞ〜

と思ったりは勿論しますが、

家族間だけなら別に彼って

障害者でも何でもないんです。


変わり者で勉強が苦手で要領も悪けりゃ

話もなかなか通じないけど、

親からすればただの可愛い我が子なんですよね。


それを「ご飯を綺麗に食べなさい!」とか

「電車の中では静かに過ごすよ!」とか

「鉛筆はこうやって持つのよ!」とか

口酸っぱく何年も言い続けてるのは

彼を社会という場所にリリースする為であって、

それは彼のためではあるけど

彼のためだけではなく、

結局"社会"に標準を合わせるが為の

教育であり躾である訳なんですよね。


つまり世に放たなければ

彼は「障害者」でもなんでもない訳です。

ちょっと変わり者なだけの、

ピッと肌を切れば赤い血が流れる

世の皆様となんの変わりもない

「人間」の1人な訳ですよね。


彼が障害を"持ってる"から

おかしな行動をする訳ではなく

彼の特性と社会の環境の相互作用によって

独特の反応や行動が出てしまう。

それが時にその場の"秩序"を乱してしまい

周りの人が困ったり

本人が困ったりしてしまう。


彼に障害が"有る"のではない。

彼にとって世の中に障害が"在る"のだ。

一つや二つじゃない。

時々なんて頻度でもない。


彼はただ生まれ持った特性で

ありのまま生きているだけなのだ。

ただそれだけのことなのに。

みんなには存在しない"障害"が

いくつもいくつも身の回りに立ちはだかっている。


だから助けてもらう。支援してもらう。

その頻度が皆よりも多く

日常的に必要になってきてしまう。


ただそれだけのこと。


今の社会のシステムだからこそ、

彼は「障害者」という診断をつけられ

必要な支援を獲得しているのだ。


親だけでどうにかできるならいいけど、

社会で生きていくにあたって

どうにもそうはいかない。

昔むかしのように自給自足の世の中なら

別に障害者だという

診断なんて要らなかっただろう。

でも今の社会システムは違うから。

だから皆よりも多くの助けが

必要になってしまうけど、

でも社会の一員であり一人の人間なんだよ。


私の中で「障害者」という言葉は

そういう意味が含まれている。


だからどうしても「障害が有る子は〜」

「障害を持っている子は〜」という

言い方には違和感を感じてしまう…


しかしこのつらつらと先述した事を

一発で、一言で他人に説明するのは

とても難しい笑い泣き


自分もぴよまるのことを

人に説明する時に

上手い言い回しができなくて

苦虫噛み潰したような顔で

「うちの子には障害があって…」

と説明をしていた笑


この

「障害特性は有無ではなくグラデーション。

みんな少なからず何かしら特性は持っている。

その濃淡により支援が人より必要になってくる。

障害は持ってる持ってないではない、

その人にとって障害が多いか少ないか、

それによって支援の頻度も内容も変わる。」

を一発で説明できる言葉がほしい…

なんかことわざみたいにさ…


と思う場面が増えた昨今です。


インクルーシブだなんだというなら

まずこのへんのことが

一般常識になってこない限り

一生無理だなって思ってます←


みんなが生きやすい

世の中になってほしいよ

おばちゃんは(誰