ぴよこのふくらはぎの日常

ぴよこのふくらはぎの日常

おおざっぱでめんどくさがり主婦の日常です。
2017 10月。乳がん全摘、再建手術受けました。

2017 10月、乳がんで右乳房全摘出、自家同時再建手術。
術後、ホルモン療法でタモキシフェン服用中です。
マクドナルドパート歴、12年!
日々感じたことを感じたままに、適当ブログです。



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9日に亡くなった父の葬儀が無事に終わりました。

お通夜が11日、告別式が12日。母とうちの家族と弟の家族だけで。

父の兄弟は叔母が1人だけ健在なのだけど、認知症で来れないし。

他の親戚も高齢や遠方で、このコロナ禍だしね。

家族だけで送ってあげようということになりました。

最近はお通夜なしの1日葬というのもあるのでそれで良いかとも言っていたのですが、父がお墓を買ったお寺さんでは1日葬はやらないということで、お通夜もやることに。

私、こういう事に本当に疎くて、葬儀屋さんが親切で良かったです。


母も変わらず元気で、弟家族もいて、しんみりというより賑やかなお通夜、告別式でした。

他に参列者がいないので、気楽でよかったのかも。

小3分の甥っ子もちゃんと最後までお経聞いていて偉かった。


焼き場に行ったとき、お釜が隣のご家族はまだ若い方が亡くなったようで、みなさん泣いたらしてなんか心苦しいような気持ちになりました。

お葬式をした斎場は小さな所でしたが、焼き場が空いているのが桐ヶ谷斎場という大きな所しかなくて、そちらに移動して火葬したのですが、焼き場は混んでいて、次から次へと。大方はうちと同じようにご高齢の方を和やかに送り出してる雰囲気でしたが、やはり若い方が亡くなるのはつらい。


父のお骨はとてもしっかりと残っていて、喉仏を見せてもらいましたが、本当に仏様が合掌しているような綺麗な形で残っていました。

親族のお葬式などで同じように見せてもらうことありましたが、私が見た中で1番綺麗な仏様だった。


最後は痩せ細ってしまいましたが、骨はしっかりとしていて、体強い人だったんだな。

亡くなった時も髪が黒々としていて、これは私と弟にも遺伝して、2人とももうすぐ50ですが白髪は目立たない染めたことないです。

良いところが似たねとか、私たちが小さい頃父が公園の高い鉄棒で大車輪をしてくれて、私は父すごい!カッコいい!って思ってたのだけれど、弟は子供ながらにちょっと引いたとか。

移動中も楽しい思い出話してました。


父も側で笑ってみててくれたんじゃないかな。


無事に葬儀を終えて、家に帰ってゆっくりしてたら、母から電話が。

弟、38度7分の発熱!

マジかよ。

お通夜の日私だけ弟家族と一緒に実家に泊まったので、もし弟がコロナなら私は濃厚接触者。

お葬式のあと実家で食事した時、ダイニングテーブルが狭いので私と夫と次女は続きになってる隣の和室で食事してたんだけど、長女は弟家族と一緒のテーブルに居たので長女もだな。

次女と夫はギリセーフ?


弟、発熱外来を探すもお盆休みもあって検査の予約がなかなか取れず、検査できたのが本日月曜日。

それまで濃厚接触者になるかもしれないという何とも宙ぶらりんな感じで。

とりあえず翌日家に買ってあった研究用の抗原検査キッドで検査してみましたが陰性。

ちょっと落ち着いた。

母は7月に4回目のワクチン打ったばかりだし大丈夫かな?でも高齢だしなと不安でしたが、

母も自分の勤め先でもらってあったキッドで検査して陰性。

弟の検査結果でるまでおとなしくしてなきゃねなんて。

夏休み中で良かった。

葬式でコロナもらうとか踏んだり蹴ったりだし。


今日の午後、弟からLINE来ました。

陰性でした。お騒がせしました。って。

PCRの結果の写真つきで。

よかったー。

濃厚接触者になってたら、夏休み1日延長してもらわなくちゃいけなかった。


知恵熱みたいなもんだったのかな。

親の葬儀だもんね。身内だけって言ったって疲れたもんね。

なんにしても無事で良かったです。


夏休みでしたが、父が亡くなって、私が膀胱炎になって、お葬式をやって、弟の発熱騒動があって。バタバタでした。

今私が思う父は家族の騒ぎを笑ってみてる父です。

私が子供の頃から、おしゃべりな母とおしゃべりな弟。私と弟の兄弟喧嘩。

それを寝そべって笑いながら見てる父。

それが我が家の日常でした。

弟も私も家族を持ち、母と離れて暮らしてるけど、父はきっとこれからも笑って見ててくれると思う。


明日で夏休み終わりです。

濃厚接触者かも?騒動があって遅くなってしまいましたが、夫の父のお墓参りに行ってきます。




昨日の朝、父が亡くなりました。

老衰でした。83歳でした。


認知症で寝たきりでした。

数年前から特養老人ホームに入所していましたが

今年の2月にコロナ陽性となり入院。

高齢だし寝たきりだし、そこで覚悟をしていましたが、コロナからは回復。


転院した病院で、何度か誤嚥性肺炎を起こしており、肺が弱っているのでだんだんと弱っていって、もって2ヶ月くらいだろうと言われました。

ところがそこから、また口から食事が(流動症だけど)取れるまで回復し、その病院は3ヶ月しかいられないので、なんとか受け入れてくれる病院を探して転院。

転院したらもって1、2ヶ月、転院先はコロナで面会ができないとのことで、5月に会いに行ったのが最後でした。

最後にあった時もなんか顔色が良くて、これであとI、2ヶ月なの?と思うほど元気そうで。

そこからまた2ヶ月。

良く頑張ったなぁと思います。

お疲れ様といった感じ。


亡くなり方も、いつもと変わらず。だんだん弱っていたと言う感じもなく、ずっと平均した病状だったようで前兆もなく。

深夜1時の、見回りの時は異常なく、3時に見回ったら亡くなっていたと言うことらしいです。


実は今日から家族旅行に行く予定で夏休みをとっていたので、私も夫も仕事を休むことなく済みました。

明日お通夜、明後日告別式です。

旅行はいけなくなったけど、旅行中だったら大変だったから、じぃも気を使ってくれたんじゃない?とぴよこが言っていました。

そしたら、今日の朝から私が膀胱炎の症状がでて、トイレに5分おきに駆け込み、血尿と腹痛で慌てて病院に行ってきました。

処方された抗生剤を飲んで落ち着きましたが、これが車で長時間移動の予定だった旅行中なら間違いなくヤバいことになっていたと思うので、父が旅行行くなと止めてくれたのだと良いように解釈してます。


もう何年も認知症で私のこと忘れていた父だけど、亡くなって記憶を取り戻しただろうか?

無口で不器用な人だったから思春期過ぎたらあまり話すこともなかったけど、自分が親になってわかった。

そんなに裕福な家でもないのに、当たり前のように大学まで行かせてもらった。

父は田舎の人で、成績は良かったのに高校に進学させてもらえず、悔しくて試験だけ受けて受かったけど、就職で東京にでてきて。

私が生まれた時には瓦職人をしていました。

自分が行けなかったから私には大学まで行って欲しかったんじゃないかと母が言ってました。

大学の学費、払うのたいへんだよね。今になって身に染みてる。

あんまり勉強しなかった。ごめんね。

結婚して、孫を見せてあげれてよかった。

次女ぴよこは小さい時外に出たらじぃと手を繋いで歩いてたね。

私ができた親孝行なんてそれくらい。


お父さん、今までありがとう。

ゆっくり休んでください。



乳がんの術後の定期検診で、最近聞かれるようになった生理はまだありますか?って。


前回の検診の時、4ヶ月きてません。

って言ったのよね。

その前も4ヶ月くらい空いて、そしてまた4ヶ月来ないので、

「お、いよいよ最後か?終わった!?」

と思ってたのね。


前に閉経は1年こなかったらと乳腺センターの主治医の先生に教えてもらったんだけど。

これだけ間空いたらいよいよ終わりかなー。

なんて思ってたら。

来たよ。142日ぶりに。(記録はちゃんと付けてる)

もー。

なんかお腹痛いとか思ってたんだけど。

いつくるかわからなくなってきたので、いつも持ち歩いてた生理用品。そろそろいらないかな?邪魔だしと思ってたけど、まだ一応持ってて良かった。


お腹痛いし、頭痛いし、骨盤痛いし。腰痛いし。

アラフィフになったら生理なんて良いことない。

はやく終わりたい。

ってかはっきり、これで終わりでーす!って教えてほしい。


次はどうなるのか?また4ヶ月空くのか?

いよいよ終わるのか?

さて、どうなる??