旦那が下の子を怒らせたムキー

旦那には、なんで怒るのかわからないみたいで、
理由も理解しないで、
とりあえずごめんねを言った。


が、当然下の子の怒りは収まらない…。

他のことで気を逸らそうと違う話をする旦那、
当然下の子はまだ怒ったままプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプンプン

私がたぶんこうなんじゃないかという解説をすると、
うなずく下の子

それを聞いて頷いたのを見て、
旦那は『じゃぁどうすればいいの滝汗??』と私に聞いてくる…。

いやそれ考えるの怒らせた本人のやることで、
理解した上での謝罪をして本人に聞くなり、
理解した上でどうしたいのかまで考えるのが親の役目だと思うのだけど…。


今までも、どうすれば良いの??を考えずに誤魔化し続けてきてる旦那…

そりゃ関係性を築けないっーの…。

でね、
子供って誤魔化そうとされてるってのは気づくよ電球電球

しかも、小学生ともなれば余計に気を逸らすってだけですんなりいく訳ないピリピリ

さらにいえばね、
誤魔化そうとしてくる人のとりあえずの謝罪に納得するわけないんだよ…。

(もちろん、『ごめんね』の一言をなくして許せもしないだろうけど、言葉にのっている気持ちって伝わるよね)


親が誤魔化そうとしちゃダメ
わがままを受け入れろ、
どうしても無理なこともなんとかしなきゃならないとまでは言わないけど、
気持ちには寄り添った上ならば、
その上でできることで納得してくれる。

逆に言えば、
寄り添わずして誤魔化そうとしてたら、
謝罪なんて受け入れないしガーン
納得なんてしてくれないもやもや


きっと私と下の子は、
感覚的な面ではよく似ている。
もちろん7年間、特にここ数年での下の子との関わり方で学んだ親としての経験もあるけど、
なんとなくこうなんだろうな〜というのが分かる推測できるというか想定できるというか…。

もちろん分からない時もあるけど、
それでも少し前の記事で書いたけど、
関係性ができていると思う。

分からないなら、少しでもその時の気持ちに寄り添おうと努力するし、
理解したいなという気持ちで接する、
それだけ流れ星

それだけなんだけど、
その理解したいという気持ちがあるかどうか、
そしてそこが伝わるかどうかが大事なんだろうなって思う。


そんな我が家の休日のお昼にファミレスに行こうというタイミングで起きた出来事でした。

子供達が録画したドラえもんで、
『まぁまぁ棒』という道具が紹介されていた。

怒っている人の口元に棒を当てて、』まぁまぁ』と言うと怒りが(一時的に)おさまり、「まぁいっか」「何に怒っていたのかしら」とやり過ごしてくれる道具でした。

でも、これ、怒りをなくすのではなく、その瞬間我慢させるための道具で、
何度も使うと溜め込みすぎて大爆発するという道具です。

よく考えられている道具だなと思いました。

大人になって、
特に子育てをし始めてから、
『まぁいっか」というより、
これくらい『仕方ない』
『今は無理』と思うことが増えた。

子供が小さい頃はイヤイヤ期の子供相手に理不尽を感じて行き場のない怒りを感じたり、
今は仕事しててもその場で意見が言えずにやり過ごしたり…
夫にイラっとしていても揉めるのめんどくさいし言っても無駄だろうなと、

溜め込むことが増えた。

もちろん、心の底から『まぁいっか』と思えているなら良いのだと思う。

ただ、私の場合、大抵のパターンは心の底からではなく、
その場のその場しのぎ…。
そう思わないとその場をやり過ごせないから…とりあえず『そう思うことして』誤魔化してる。

まぁまぁ『仕方ない』
まぁまぁ『まぁいっか』

それ本気でそう思ってますか??

誤魔化しだと、
いつか爆発します。

爆発の形がどうなるかはそれぞれだけど、
静かに無気力になる・色んなことが馬鹿馬鹿しくなる、
そんな爆発の仕方もあるのだなと身をもって経験しているこの頃…。


まぁいっかは、放置してはいけない。
少なくとも自分だけでも、
まぁいっかの前の気持ち、
嫌だった・むかつくーー・ありえない!!・理不尽すぎるーー!!
などなどを、
『まぁいっか』ではなくて、
『そうだったんだね』と聞いてあげて、
怒りや爆発という形ではなく、
その都度、自分が感じた気持ち・願いとして言葉にしていくことが大切なんだと思っています。

相手に伝えるかどうかは、
その先の問題で、
少なくとも自分だけは自分自身だけは、
自分にまぁまぁ棒を当ててやり過ごしてはいけない。
 

自分は自分の1番の味方でいてあげよう。

そのためのツールが今の私にとっては手帳なんだなと、
私の1番の味方=手帳です。
我が家は、なぜかパパが言うとスルーされたり、反発する子供たちが、
私が言うと『比較的』スムーズに動くことが多いです。


絶賛思春期に突入した上の子は、
私でも反発されます。

なので、『比較的』ではありますが…。


子供達に、その理由を聞いたところ、
同じことを言っていても、なんか言い方が違うんだよね。
怒った口調で言われる。
命令に聞こえる


とそんな答えが返ってきました。

パパの場合、
反発されたことに、
さらに言い返してバトルが始まることが多くても、
そんな時は『言い方に気をつけて』『同じ土俵に立たないで』とパパに助け舟を出すのですが、

返ってくるのは、
『じゃぁどう言えっていうの??』
『じゃぁどうしろっーの💢』
と私に聞かれるのですが、


いやいや、知らんわ


あくまでも、
私がと子供達との関係性の上でかけている言葉と会話でたまたま上手くいっているけど、
その言葉をそのままあなたが子供達に使ったところでうまくいくかは知らん!!
なのです。


そこはもう試行錯誤だと思うし、
そもそもの『土台』というのかな、
日々の関係性??絆みたいなものから、
何となくこの言葉が良いのかな??というのを感じとって、
言葉のチョイスを繰り返してるのだから。


聞かれても、
言い方を気をつけようしか言えない。


そもそも、
私、『子供達に言うことを聞かせよう!!』というスタンスでいないというか、
やってくれたら、ラッキー!!
スムーズに終われたらラッキーくらいに構えてるから、
子供たちが思うように動いてなくてもイライラしないんです。

(そうじゃないとイライラするってのも、経験から分かってるので)

だってさ、
親の言うことを全て聞く子が良い子ってわけじゃないし…
子供にも子供の都合があるって思うから。


その辺に想像を巡らせずに、指示ばっかりだしてたら、
そりゃ反発されますよ!!って思ってしまう。


子供たちが言う、
何か違うって、
私と子供達との関係性という土台と、
子供と接する時の土台、
これが違っているのかな??と、
パパと子供達のやりとりや、
私と子供達とのやりとりを振り返ってそう思います。


なんとなーーくだけど、
ここ数年でその土台が私の中に築けてきいるのかなと思っています。