はきだめにダイアモンド

はきだめにダイアモンド

あたしの考えたこと、そのまま 流れ出るもの、そのまま 受け止めてください、このまま

不定期というか、止まりかけ。
思い出してはまた書き。

生きてきた足跡、残して、すっとする
それだけのために用意された日記帳。
Amebaでブログを始めよう!
 歳は倍もあろうかという同僚が、突然私のことをシカトし始めたと思いきや、子どもみたいな理由で怒鳴りつけてきた。
 かなり陰湿な嫌がらせもセットで…。
 (まぁ、この人に関してはこういう事初めてじゃないんだけど、それにしたって)あまりにも酷くて、初めて職場で泣き出してしまった。ただただ悔しかった。悲しかった。
 しかし泣き腫らしてみると、急に馬鹿らしくなった。そういうもんだよね。

 ケンカの中にもルールはあって、紳士的な態度をとった方が、たとえどんなに分が悪くても、周りの共感を得やすく精神的に優位に立てる。そうなればもう「勝ち」も同然、土俵から下りて、相手が転ぶのを待つのみ。
 その同僚とは関係を修復するつもりもないし、まあそんな事を言えば上司は怒るだろうけど、女同士ってそういうもんだって分かってもらうしかないだろう。無理なもんは無理だ。もう大丈夫にはなったけど、テメェから受けた仕打ちはぜってぇ忘れねぇかんな、覚えてろババァ!

 大人になれない大人って可哀想。

  いつまでもわたしの中で横たわり続ける「悲しいこと」を、泡沫のような、瞬間的な「楽しいこと」で上書き保存して「なかったこと」にする。社会人になってからはズルするのが特にうまくなりました。お金が、資本主義が、私の欲求を肯定してくれるから。

  そんな汚いやり方でもバランスを保てているならいいのかもしれない、けど、いつまでも自分を騙し続けていると、あとで大きなしっぺ返しに遭う気がする。とてもこわい。こわいから、また楽しいことを見つけてこなきゃいけない。自分を退屈させたら、止まったら、考えなきゃいけない。いやだ。私は感じるままに生きていたい。
 
  "行動"を起こせば何かが変わるかも、この救われない気持ちをどうにかしてくれるかもって、そんな浅はかなことを考えているだけで、ほんとは現実から逃げてばかりの自分がいる。だからそのことを、「行動力がある」って就活の時は話してたんだけど、まあそうとも言うって感じ、良く言えばって感じ、新しいことするのに特に抵抗ないし、度胸はあるんだと思う、でもそれだけ、行動した後の整合性とか、意味のある何かに繋げていく忍耐とか、そういうのが全然なくて全部ただの思い付き、「なんとなくで生きてるでしょ」って言われたときに、何も言い返せなかったのは、それがわたしのほんとの答えだったからだと思う。何かあるように見せてるだけ。楽しく生きてるように、見せてるだけ。わたしは空ろだ。
 
  まあまあの大学に行かせてもらって、勉強もさせてもらって、でもその経験を全く活かせない仕事に就いた時に、あれこれたらればを並べてしまうのはほんと負け犬みたいでやなんだよね。みんな自分の身の丈にあった人生で満足しようとしてる。それ以上を望んでしまうのは、まだ自分が特別だって思ってるからなのかな。というか、身の丈ってなんなのか教えてほしい。お金かけて育ててもらって、学びたいことは好きなだけ学ばせてもらったって言えば、聞こえはいいけど、両親が望んでたであろう結果には結びつかなかったわけで、その負い目、両親に対してもだし、こんなはずではって思ってる自分に対しても抱いてるこの負い目は一生、自分が自分である限り一生ついてくるんだろうなって思うわけ。
 なんか文体ガラッと変わってるよね、昔と比べたら。でも、昔より自分のことを語るのが上手くなった気がする。字にできてるってことは、やっと自分という人間を掴み始めたということだろうか。そうだといいな。物書きとしては遅すぎるような気もするけど。この一年が私をそうさせたなら、少なくとも得るものはあったわけだ。

 大分久しぶりにブログを更新する気がします。

 明日は早起きしなきゃいけないんだけど、どうも最近うまくいかなくて、昔のことばっかり考えてます。気づいたらこのブログを開いてました。

 

 京都の大学生だったあたしは地元に帰り、就活ミスって中小に就職し、こんな人生でいいのかなって悶々としながら、しかし新卒としてとりあえず一年踏ん張ったわけです。今度新入社員も来るみたい。

 そんな人生。

 

 大学生のときのあたしは、自分で言うのもなんだけど、輝いてて、可能性が可能性のままある時代というか、現実の厳しさを弁えつつも夢を見られるだけの想像力があったと思います。今は、そんなものに蓋をして、社会化に不必要な過去の自分を切り捨ててまでも会社に順応するのがやっとで、ほんとに自分の側面であったはずのものがもう思い出せなくて、まったく別の自分になってしまってるみたいな、寂しい気持ちがあります。その寂しさもだんだんと薄れてきてもいます。まるで現実に漬かりすぎた今のドライな自分が、もともとの性質であると信じ込もうとしてるみたい。悲しいですね。お金を稼ぐって想像以上にしんどいことです。今は先のこともうまく考えられないくらい時間もないし、余裕もないし、考える力もない。こんなに弱気になってる自分にびっくりなんだけど、毎晩こんな時間がやってきます。

 

 そんなこんなで、あたしは23になりました。初めて彼氏ができた時、このアメーバブログを始めたあたりですけど、あたしはまだ17でした。ネット世代ですよねほんと。

 今、止まった記憶の中で、私は段々とあの人と同い年になっていく。同年代と比べたらまあ少しは大人びていたかもしれないけれど、恥ずかしいくらい子供だったあたしを初めて女として扱ってくれた、あの人はもう結婚してしまってるのかな。あの時は可能性やら選択肢やら、無数に存在する何かのチカラを信じていたけれど、実際そんなものはなくて、努力してもなんか虚しいだけで、新しい人を見つけても昔をなぞるだけで、確かに今でも特別な思い出なんだけど、取り返そうと思っても今更手を伸ばすことはためらわれて。何度も何度も傷つけておいて弄んでおいて、言えることなんてないんだけど、結局あの時の私が一番幸せなんだよね。笑っちゃうくらい恋愛が上手くできない。縋れば縋るほど辛いだけだって分かってるんだけど、あたしはただ誰か傍にいてほしいだけなのに。

 もうあの時既に社会人だったあなたの苦しさがほんの少し、今になって分かって、とても懐かしく思われます。

 

 夢見ることを生きがいにしていたのに、このままじゃ私は静かに壊死していく気がするので、何か手立てを考えなくてはならないと思っています。ただ会社に生かされるのではなく、自己実現のために、目標をもって生きなければ、死んでしまうタイプなのです。あたしという人間は。それは誰も与えてくれないあたし一人の道。この生ぬるい生活を、いつか絶たねば、もっと自分の人生に意味を感じたいのです。