*☆*:&#59;&#59;&#59;:一人暮らしOLの節約生活:&#59;&#59;&#59;:*☆*


母が亡くなったすぐ後日の空です。


ずいぶんブログからも遠のいてましたが…(´□`。)



おのれの宣伝のために見境いなくペタしてる奴以外の、

何度となくペタいただいてる方(これにも宣伝もおるかもやけど(笑))、

黙って見守って下さってる方はもちろんですが、

メッセージまでいただいて、



…私、けっこう幸せ者じゃん…(泣)



と、ちょっと感激しております。


逆の立場だったら、プルーならそこまでできへん人やから。


アメブロブロガーさん、優しい人多いよな(泣)。

ていうか、その方、個人の資質と思うんですけどね。



いや、もしかしたら普通なんかもだけど(笑)、

逆にプルーだったら、たとえふだんお世話になってるブロガーさんとはいえ、


なんていっていいかわからん…ガーン

→ヘタなこと、へんなこといわんように考えることがしんどい…

→結局沈黙…



ってかんじで、なんだかんだ理由つけて励ますこともできないと思うんで、

こういうシンプルな【人としての優しさ】を持ってる人って人としてすごいなって

思うし、ほんとうにありがたいし嬉しかったです。

そうでなくても、こういう事態に対して、かける言葉ってほんと難しいと思うので。



そうでなくても、ブログなんて顔も見たことない人だし(笑)、

メッセージとか、ほんと、わざわざじゃないですか。


ありがたいなー

みんな優しいなぁ

いい親に育てられてるんだなぁ…

素直で率直なんだなぁ



とか思ってさー、泣いたよ、マジで。



ってウルっときたぐらいで、実際は泣いてませんが(笑)、

(基本、あんま泣かないんで)


気持ちね、気持ち。

そのくらい嬉しかったってことで。



個人的に、わざわざっていうか、

人が人のために時間をさくとか、労を惜しまないって、ほんとすごいことと思うんよね。



なんていうと、


私、どんだけそうじゃなかったの?ってかんじだけど…(苦笑)。



言わなきゃ伝わんないことのほうが多いよなぁ。

言わなくても伝わることもあるけど。


だからっていえばいいってわけでもなくて、その内容によっては

いわないほうがいいとかあるから、それが難しいんだけど。



でも、その気持ちは伝わる。

っていうかそれが嬉しい。



というわけで、本当にありがとうございました。



この流れでいくと、これが最後の挨拶で終わってしまいそうな空気ですが(笑)、

一応、ちょびっとだけその後の生活の話を。



最近何をしてるかというと、案外普通でして、

平日の夜(当然バイトは休んでるんで)、

休みはほとんど実家で遺品整理をしております。


納骨までまだ日にちがあるので、現実的にやらないといけないことは

それくらい。


あとは、一部親関係やリアル友から手紙をちょこちょこいただいてたので

その返事書いたりとか、そういう応対ぐらい。


まだ全部終わってないけどガーン



それに、遺品整理が、業者に見積もったら、まさかの100万越えが数件、という

恐ろしい現実に呆然としてるんですが。



というわけで、それだけが難航の予感なんですが、

親関係の精神的ダメージ以外はほとんどないってかんじで、

案外すこやかだったりする。


客も関わらんでいいしな!(`∀´)



親闘病中は、比較的近場の病院でも頼まれごとのたびに

買出しとか荷物もって(意外なようですが、荷物めっちゃ増えます)移動とかしょっちゅうで、


最後の病院は、普通にいったら往復4時間、時間帯によっては

ヘタしたら5時間というところだったから、

(乗り継ぎダッシュ(しかし普通のダッシュでは絶対間に合わんような発車時刻

なのが腹立たしい!)が幸運にも間にあって、めっちゃうまくいったら往復3時間~半)


持ってかえったり持っていったりする荷物の量も半端なくて

その上、何より何度となく精神的にやられることが多いしで、


これがいつまで続くのか、と、先が見えなさ過ぎなんがしんどかったけど、

もうそれもおわってしまったし、終わってしまえばそういうしんどさはないからな…。



ただ、意外に淡々とかわらないかんじで過ごしてる中

(だってまだ全然現実感ないからさ。元々一人暮らしして離れて暮らしてるし、

まだ実家もあるから今も普通にそこに親がいるような感覚があって。)

最近、ちょっとまた号泣したことがあってねー。


プルーの中では、

親のおかげでこの世に生まれてんから、ありがたいとは思ってるけど、

決して尊敬まではしてなかった親、という認識の親子関係だったんですが

(そう思うに到る親子の歴史、確執、性格の違いがあったので)、



この前、遺品整理してるときに、

このあまり泣かないプルーが泣いてしまったんよね。

(笑いすぎて泣くのと悔し泣きはけっこう多い。笑いすぎて泣くって平和すぎやけどな(笑))



まぁ、詳しくはいえないんですが、

死んでからわかった親の性格、というかね。


プルーみたいに、

すぐさま、

この世で自分が一番大変なんです!!!ってアピールする人じゃなかったから。


こういうとこは、ほんま、自分でも終わってんな…って思うねんけどガーン

しんどいときはしんどいねんからしんどいって言って何がわるいねん!

いーやんけ!とも思ってるんよな…

(まぁ、リアルではいわんので、ブログ限定やけど)


こういう、親みたいな、古きよき日本人らしい(?って50代でしたけど)、

プルーにはない美徳って、やっぱ【親】特有なんかもしれんな。


親になったことないプルーにはうまれえない感覚なのかもしれん。



ただ、生きてるときに言えよ(泣)、ってのはあったけどなぁ。


もっとアピールしといてくれたらいいのに、って思ったよなぁ…。

これも言わんかったらわからんよ、の一つなのかもしれん。


本人も、まさかそんなすぐ死ぬとか

そういうことがふりかかってくるとは思ってなかったから仕方ないんかもやけど…。


明日もあさっても当たり前の毎日がくると思ってるもんな…。


事故でも事件でも病気でも、そういう目にあった人もそう思ってたんやと思うしな。


最近そんなことあったプルーだって、

自分に関しては、明日もあさっても当たり前にくると思ってるし。

ほんまは何がどうなるかなんてわからんのにな…。



とはいっても、形だけ親でも鬼のような人間を親にもつ

かわいそうな子供もいっぱいおるから、

(最近のニュース関係の子供がかわいそうすぎる)


そんなんに比べれば、いろいろ確執あった親でも、

人間として、最後のとこで自分より立派な人やったってことは今回わかった。



感謝できる親に生まれてよかったと思います。

今は。



子供は親選べへんから、

上や普通をみたら、ほんま何もしてもらってないと思うけど、

(ブログでもいえんことはけっこうあるのです)

五体満足に産み育ててくれたことだけで、十分感謝すべきことなんやろうな。



世の中みてたら、普通以下なんかゴロゴロおるし、

それこそニュースみてたら、

鬼みたいな親に育てられてる子供も山ほどいるんやろうし…。



うちのきょうだいも、親の手術や余命の話で連絡したときも、

今さら会いにいっても意味がないって言って、最後まで会いにこなかったし、

今も連絡ないしね。



きょうだいと親の間にも確執があったんで、

まぁ、当時直後に海外に長期滞在を控えてたみたいやったから行ってたのかもやし、

今もむこうなんかもやけど、


そういわれても、それもわからんでもないかなってかんじで、

怒りの感情もわかんかったくらいやし。


もういい大人が今だにそう思ってるならそうなんやろなって。


うちはそういう家族関係だったんで。



こんだけ相手してた私より、見えない相手なだけに気になってたんであろう

きょうだいのことも、親はたまに口に出したりしてたので、


親にしたら子供やからやっぱり会いたかったんちゃうかな、って思うし、

まさか本当に最後まで会えずじまいのまま死ぬとは思ってなかったと思うけど、


当のきょうだい本人が、最後の最後でも会う気はないって言ってたとは

とても言えんくて、

海外いってるみたいで連絡つかへん、としか言えんかったのは、ちょっと辛かったけどな…。



昔は余りに理不尽なことが多すぎて、なんでこんな親のもとに生まれてきたんやろう、

と、こんな環境に生まれた自分を何年も呪ってたことあるけど、

(ちなみに、家にいるのが耐えられなくて夜逃げ同然で一人暮らし始めて、事後報告。

保証人も自分で用意したという経緯があるので。(今の家も保証人は親ではない))



自分が独立してしまえば、もう何にも隷属しなくていい、文句言わせないってかんじで、

その余裕がなんとか普通っぽい親子関係をなんとかつなげてきたわけやけど、

(一緒には暮らせない相性やったと思う)


親だって子供と同じ年やもんな。



子供が1歳なら、親だって、親としては1歳でしかないねんから、

子供が15歳なら、親だって15歳じゃん。


生んだときだって、親だってまだまだ20代で、それだって子供だし。

社会経験とかそうあるわけでもないし。


今思えば、

単に、子育てとか、子供への接し方がヘタな人ってだけやったんやろうなって思うけど、

(小さいときはいやな思い出ほとんどないからわりといい育てられ方してたと思うけど、

中学からはいい思い出はほとんどなし)


やっぱり子供は親選べないし、当時は力関係で親に屈服するしかないから、

そんな風に思えるわけなかったけど。



まぁ、今となっては、それもこれも薄い膜の中の思い出ってかんじで、

大人になって独立してからは、そういう歴史も決して忘れることはできないけど、

たまにしか会わないんやったら、と、そこそこうまくいく関係やった。



ほんまに、終わってしまえば、あっというまの歴史ってかんじ。



もう大人やし、プルーがあれこれ思いめぐらせんでも、親なりに

楽しいこともいっぱいしてきたと思うし、十分生きたとは思うけど、

やっぱりそんなきれいごとだけでもなくて、


最後ぐらい食べたいもの食べさせてあげたかったな、とか

せめて私がいるときに意識なくなってくれたら、とか

せめて、の部分がけっこうあったのが残念やけど。



あとは、入院中。

親が闘病中から、いろんな点で、自分がいかに冷たい人間だったか、

わかることが多くて。


親が管だらけのせいもあるけど、腎臓機能もおかされてたのか、

上半身はガリガリなのに、膝下の脚はパンパンにむくんでて、

当然立ったり動くこともできなかったんだけど、


同じフロアの患者さん(数年前親と同じ病気発病、今回再入院)が、

毎日親の病室に顔出してくれて、

マッサージしてくれたり、毎日鶴を折ってくれたりしてて。



そんな話を聞くまで、

実の娘やのに、プルーはそういうこと考えたこともなかったんよね…。



そりゃ、お参りとか祈祷とかはしてもらってたけど、

深刻な病気などしたことな健康な人間特有の鈍感さもさることながら、

人間としての、基本的な人を思いやる気持ちが全くなかった自分。



お参りしたからどうとかじゃなくて、そばにいて、親身になって接すること

そのほうがよっぽど大事なことなのにさ…。



でも、実際、見てて辛いだけじゃなく、人間がただ生きてるだけの

異様な亡骸になってる姿というのは、正直、おぞましさもあって、

その肌に触るのにも抵抗あったのかもしれない。


もちろん、ヘタに素人が寝たきりの病人に急に圧力加えて循環機能に刺激与えたらあかん

ってのもあったけど…。



結局、プルーが親の脚のマッサージしたのは、最後に顔を見た日の3日前に1度だけ。



さいごらへんは、術後傷が塞がらないとかで、管がささった下腹から

しょっちゅうシーツに腸液がもれてて、

なんともいえない匂い(何も食べてないので排泄物ではない)が部屋に充満してて、

それも辛かったり(匂いがというより、そんな中で生きてる親とか、そんな状態なんだ

というのが五感を通して実感してしまうので辛い)



最後らへんは個室になったんですが、

それまでであった同室の患者さんとか、ほんとにみんな優しかった。


病院とか、病気にもよるんかもやけど、プルーの親の場合は、最後は消化器外科と、

疾患的に長期入院、重症患者が多い(入院長い)ので余計そうなのかもやけど、


毎日親のために鶴おってくれてた人なんかは、病室が違うのに、

毎日病室まで顔だしてくれてマッサージしてくれたり、



親は天使みたいって言ってたし、

プルーが会ったときも、ほんまにそんな顔してはる人やった。



そら親よりはマシな状態やったからかもやけど、それだって

いずれ悪くなるいっぽうで、先の見通しなんてないし、自分も大変やのに、

他人のために毎日鶴を折ったりとかさ。


プルーが当事者なら、まず自分自分やったと思うもん。


本当にすごい人やと思う。



それにひきかえ、自分はいかに自分のしんどさにばかり目をむけてたのか…

人として小さいな、と本気で思ったりして。



生きるか死ぬかの病気を経験したことない健康な人間には

生と死のはざまで闘ってる人の苦痛や心なんかわからんのが普通かな、と思うんで、

それはそれで仕方ないな、とも思うねんけどね。



あと、これ言うとこすいかもやけど、手紙くれたりする子もいれば

+香典まで包んでくれた子もいてさ。


プルーなんかはいまだ未婚やから、

自分のせいとはわかってるけど、人に結婚祝い渡してきてばっかりやから、

出産祝い(仲間内では子がいるのは一人だけですが)までは

ほんまに仲いい子にしか渡してなかったんやけど、

その子からいただいて。



たいていもうみんな結婚してるから、ろくに会ってない友達やけど、

メールだけでも十分ありがたいけど、

わざわざ手紙くれたりする子もいたり。



メール返事してなかったら電話くれた子もいて(笑)

(関係ないけど、さすがB型と思った(笑))

さすがに私として、まだ話す気にはなれんから、メールで返信してしまったけど。

(さすがにいつもどおりの冗談まじりのさっくりした会話って気にはならんしな…)



ほんまに、優しい人がいっぱいいることがわかったできごとでした。


いろんな意味で、親の死は、普通に生きてたらわからんかったことを

いっぱい知ることができたな、と。



漫然と生きてきたつもりではないと思ってたけど、やっぱり自分はまだまだ

ぬるい世界で生きてたんやなって思ったり。



ぬるいほうが本人的にはいいんやろうけど(笑)、

ぬるい世界で生きてる人って、

人の気持ちに鈍感な部分はあるかなって思ったりもするんでね。


健康な自分が今回病院に関わった経験含め。



めるい世界で生きてる人って自覚ないから、

下々の世界がわからんっていうか、ちょっと浮世離れしてる人とかいるやん。



たとえばやけど、

うちの親は非常に特殊な病気のために(臨床数少なすぎ)、

初めは悪性の卵巣腫瘍と診断されてたんですが、

(結果的には同じくらいの予後でしたが)


当然、当初は婦人科なので、

病室は、出産関係の人なんかも、入れ替わり立ち代り

入ってくるわけですよ。


病室にあきがあればいいんだけど、基本的に病院はたいてい病室は足りない状態なので、

きっちりとわけてられるわけにはいかないらしく。


なんか、のんきに幸せな人と一緒にいると、余計辛いと思うんよね。



うちの親の場合は、子宮筋腫の人とか多かったんだけど、

それでもやっぱり手術したらすぐ退院していってしまうわけで。



親の病気が発覚してから、それこそそういう関係のブログやホムペを読みまくり、

今回転院できた病院も実は病院の紹介ではなく、

プルーが独自に探してホムペから探しだして連絡とってセカンドオピニオン外来いって

と段取りとって無事転院できたわけですが、



その経緯も、もっと早くこの病院を見つけて段取りつけとけば、

そもそも最初の病院の医師が早く専門病院に紹介しとけば、とか

いろんな意味で後悔の念があるんやけど


(いきなりすぐ手術してっていっても基本、先まで予約いっぱいやから数ヶ月先やし、

場合によってはベッドが空いてないからって断られるのも多いらしい。

そもそも親と同室の親と同じ病気の人(最後の病院はその病気の日本唯一の専門医師だったので)は

初めにかかった病院が紹介してくれた(!)とのことらしい)



その間、闘病ブログや看護師ブログなんかも相当見てたんだけど

(今も時々見てますが)



大腸がんで闘病中だった強気な既婚キャリアウーマンさん

(強気なだけに、こんな病気で頑張ってる主に

心ないコメント入れる奴(しかもこういう奴は絶対アドレスださない)とかいて、

本気でおまえが氏ねとか思った)

は、すっごく頑張ってたのに、どんどん衰えていくさまが目に浮かぶように、

記事がかわってきてて、最後は旦那さんのコメントで

亡くなりました、って記事になってたり、



無事、手術が成功して、再発におびえながらもなんとか今生きてる

悪性腫瘍と闘ってる(放射線とか治療してる)30代独身女性のブログとか



仲のよい家族に応援されながら、スキンヘッド(化学治療)で

明るくめっちゃ元気なママさんのブログなど、

それこそたくさん目にしましたが、


応援してくれる人がいるのは病気でも心強いよな、と思ったけど、


中でも、悪性腫瘍と闘う30代の独身女性は、

けっこうきれいごとじゃなくてストレートに毒はいてる方で(笑)、

プルーの好みにぴったりで(笑)。


あ、この人はあいそう、とかあるじゃないですか。



プルーも少々の綺麗ごとは言ってるので、少しならいいけど、

ほんまに頭に虫わいてんのかってくらい、幸せに生きてきてる人、

それに気付いてさえいない人、綺麗ごとばっかり言ってる人が大嫌いなんで、


所詮幸せな奴が、たいしたことないことで毒は吐いてると、


おまえレベルがなめたこといってんじゃねーよ!


と思ったりするんだけど、

闘病がベースだと、そうそう、そうやよなー!

とちょっとだけ(ゆうても当人の辛さはわからんからね…)共感できて、

今でもちょこちょこ読んでるんですが、



数ヶ月前の記事。



心の悪魔と日々戦う私だけど
今日気付いた私の発火点


キーワードは帝王切開


私の病気の事を何故か知っている親しくもない女性が訳知り顔で言う

(なんであんたが知ってんだ?)


「私も出産の時は帝王切開だったからお腹切るのしんどいの分かるわ
しばらくは、辛いのよねえ」


今までにこのセリフ何人に言われただろう


はっきり言ってそのセリフ
殺意わきますが
あんた本気で殴ってもいいですか?


心の中では火山爆発してるけど
あえて何も言いません


話したくもないんです


今日も言われたんだけど

帝王切開で腹切るのと同じ痛みにしないで

子供を出産する痛みは幸せの痛みじゃないんですか?


痛いのは体だけでしょ?
心は幸せの絶頂でしょ?


子供を産めなくするガンの手術と出産の為の手術を一緒にするって

無神経じゃないんですか?

何も考えずに人と会話するなら
いっそ黙ってればいいのに


私は今でも自分の子供が欲しい。無理だけど
きっと、100%愛して慈しんで育てたと思う

でも子宮も卵巣もないからね
そんなことできるわけないでしょ
時間をかけて諦める努力をしてるから


訳知り顔の中途半端な同情は
まじでうざい


人と話すのってうざい

あんな人だいっきらいだ


今日は悪魔の大勝利
心がしぼむ


斎藤ひとりの本とヒーちゃんが
心の栄養剤です


気持ちのアップダウンが激しいから
体が辛いです


誰にも言いたくないこと
愚痴らせてください



また別の記事(この方は、たまにしか更新してません)



どいつもこいつも連休で浮かれやがって
と意地悪い事言ってたら

連休の間ずっと体調悪くて
寝てました


結局仕事できなかったので
ある意味
シルバーウィークでした


不思議なモンで
連休終わる頃に
体調は回復

意地悪い事ばっかり
考えてるから
罰が当たったんだ、きっと



義妹は10月6日が出産予定
せり出したお腹をかかえて
苦しそう



彼女の病院の送り迎えで産婦人科へ行くんだけど
他人の妊婦を見ても
心の中の悪魔は
囁かなくなったなぁ


半年前は
妊婦とか生理痛とか聞くだけで
ものすごく拒絶反応がでてたのに


知り合いのおっちゃん夫婦に
「あんたは、もう子供できんなら嫁には行かれへんなぁ」と
しみじみ言われて
プチンと切れたり


友達の友達の
無神経な女に
出産の苦しみに比べたら
子供なんて居ない方が幸せかもよ
と言われて
カッチーンときたりした時より

心が強くなったというか
現実を受け入れられるようになったのかなぁ



人間は強いなぁ

私は強くなったなぁ





勝手に抜粋しちゃって申し訳ないんだけど、

個人的にすごく共感できて。



人間ってさ、ほんとエゴイストだって思うの。


たまにはマリアみたいな人もいると思うし、それも否定しないけど、

凡人はほんとエゴイストだよ。


自分の基準でしかモノを考えてないもん。


プルーだって、おいしいからって牛殺してもらってお肉食べてるもん。

命を恵んでもらって食べてるにしても、

肉をそいだり汚い作業は金で見ないようにして食べてるんだもんな。


プルーはさ、人間、別にね、他人のために生きてるわけじゃないから、

エゴイストで悪いっていうんじゃなくて、普通だと思うんだよ。


自分が心地よく生きたいって人間として、もしかしたら生物として当たり前の欲求だし。

歴史見ててもそうだよな。


自分以外のものを蹴落としてよりよくしようとするもんなのかも。


でも、普通は普通でしかない。

ただの凡。


普通に感動も何もないもんな。


あ、感動ってそんな大げさなことでなくて、ちょっとしたことでも感動だからね。


この記事読んでても、せつなくてさ。


心ない人、その自覚すらない人ってほんといるんだなって思って。



もちろん、病人本人が一番辛いから、


主からしたら、しょせん健康な私に何を共感?

あんたに何がわかるって思われると思うんだろうけど、


今回親がこんなことになって、以前なら

プルーはきっと心ない側の人間だったんだろうな、

と思ったんで。



ほんと、こういうことって経験したものにしかわからないかなと思うんですが。

経験してても、状況とかでもまた全然違うかもだし。


それでも、親の病室の件でもそうだけどさ、

そういうとこ、もっと、なんとかならないのかな、と思ったもので。



普通に生活してても、言葉ってほんと大事だと思うんよね。


言い方一つで全然違うじゃん。


これ、プルーの中では、1、2を争うくらいの真理だと思ってて(笑)。



余談だけど、

道なかですれ違うときでもさ、歩行者のマナーの悪さが常に目につくプルーなんですが

(逆にチャリのマナーの悪さも言われてますが)


言い方ってあるやろ?っていつも思うわけ。



警察までいって大喧嘩になったクソジジイとかいまだに忘れへんけど、


ほんまにさー、

なんでおまえなんかにいきなり怒鳴られなきゃなんないの?


って思うわけ。


こっちがヤクザやチンピラみたいな男だったら、絶対言わないんだよ、

そういう奴らって。


女子供だと思うから上から言う、うわっつらの正義感もってる小心者の偽善者。

(この経緯は別の記事で書いたので割愛)



これが赤の他人の大の大人に対する態度かと、ほんまに無礼すぎる。


こっちは何も悪いことしてない自信があるから、

女と思って安易に怒鳴りつけたりすると警察でゴタゴタになるぞってこと

教えたるために、堂々と警察いってやったけど、


道ふさいどったら、すいません、とおまえが一言いえば

こっちもすみませ~ん、ですんだ話。


ほんまに、なんでも言い方一つなんよな。


下しか見てないのろくさい歩行者ババアが、対抗のプルーのチャリに

全然気付かんぽいから、対面からリンリン鳴らしてやったら

やっと気付いて、危なっ!とか言われたりさ。


危ないのは、前みてないおまえやろ、ボケ!って思ったし!


ほんまろくに前も見てへんとかお前アホちゃうかって思うんですが。


そんなんもいれば、狭い道で、先方に譲るために止まって待ってたら、

すみません~っていうチャリの主婦二人連れとか、

そういうのは清々しいよな。


ほんま、言葉一つが人に与える影響ってけっこうあると思う。



ていうか!

通路のことレベルなんか、お互い様やろ!って思うんですが。

なので、こういうとこでいきなり怒鳴る奴とか言語道断で許せへん。


いまだに根に持ってますけどね!

話しそれかけたし!



というわけで、凡もときには人を傷つけている、ということを知りまして。



そんなことに今ごろ気付いたり、まだまだ未熟なプルーやけど、

そういう思いやりも忘れない人間になりたいと思いました。



さて。



長くなりましたが、新たにブログ始めますので、このブログはこの記事で終了です。



こんな言いたい放題なわたくしプルーのブログに長らくお付き合いいただいた方、

こっそり見ていただいていた方、本当に有難うございました。



この場を借りて、厚く、深く御礼申し上げますキラキラm(_ _ )m





ペタやプレゼントなどなど、読んでくださってる方、

ありがとうございます。


この場をかりて御礼もうしあげますキラキラm(_ _ )m



こういうことって、なかなか言葉かけようがないもんってのもよくわかるんで(苦笑)、

気持ちに感謝です。



実は前に遊びに行った記事を書いた友達の第2子が誕生してたんやけど、

心臓が弱かったとは聞いてたけど、今年生後半年で亡くなったってことがありまして…。


それ聞いたときは、ほんとにどう言葉かけていいんかわからんかったしね…。


リアル友達やからこそ、こういうときこそ、と思うねんけど、

リアル友達だとそれこそ余計に、なんともいいようがないとかあるし…。


(プルーの場合は、あまり関係ない人のほうが、さらっと言えたりとか、

けっこう難しいしな、こういうのって)



ほんま、世の中、誰のせいでもないのに、どうしようもないことってあるもんやね…。

当事者になるまではわからんもんやけど…。


親が、


…なんで病気とかってあるんやろうな…


って、ポツリと呟いてたのが、その1回だけやったのに、その姿は鮮明に覚えてる。


まだ予防とか生活習慣なりでどうにかなる病気なら自業自得といえんこともないけど、


(それでもかなりの自業自得でない限り、重度の病人は労わるべし、と最近思うようになりましたが。

甘ったれとか基本大嫌いやし、そんなケースに遭遇したこともなかったけど、

うちの親がほんまに見ず知らずの人の優しさに遭遇して、そのほんのちょっとした優しさに

救われてる姿を目の当たりにしたので)


親の場合は、一般的に認知もされてないような特殊な病な上、

個人的には、もう雷にうたれて死ぬぐらいの確率(そんなん滅多におらんと思うねんけど。(´д`lll) )

ってかんじやったので、余計、なんで私が…感があったんやと思う。


(どうでもいいけど、たけしのほんとは怖い~というテレビでも紹介されてた病気で、

今回手術担当してもらった医師も過去に出演してた先生でした)


なので、そういう思いをしてる人が存在してることも知らずに、(うちの親だけじゃなくて)

ひたすらたまに綺麗ごとばっかり言ったり、人間としてのキャパの大きさをアピールしてる人

とかいたりするけど、


そういう人って、そういうほんとの無力感とか絶望感とか感じずに

生きてこれた、所詮恵まれた人なんやろうなーとか思ったりする。



まぁ、それも乗り越えて、って人も中にはいるかもやけどさー。

結果的に、すんでのところで大丈夫でしたって人ぐらいちゃうんとか思うんよなぁ。


人間の力でどうにかなることもあるけど、

人間の力ではどうにもならんこと、ほんまにどうにもならんことって

たくさんあると思うよ、マジで。



プルーは、

人間、誰でもなんらかの理由で遅かれ早かれ死ぬんやし、とは思ってるし、

(それだって、当事者になってしまえばそんな上から言ってるだけの、

そんなのんきものでなくて、全然そんなんで納得できるもんちゃうやろうけどな)


人生は辛いことも(まぁ楽しいことも)全部修行やと思ってるから、

死ぬいうことは、もうこの世でやること終わってんな…。


と、思ったり、思うようにしてるけど、

(この世が普通やったり楽しい人には特に修行でもなんでもないやろうけど)


それはあくまで全然普通に生きれてる人目線やからいえてることで、

実際自分が当事者になったら、そこまで悟れるかって思うし、

残された人がそう思うかはまた別やしな。



プルーは、もうこんなに働きづめやし、おいしいの食べることぐらいしか楽しみないし、

それなりにやることはやってきたし、

欲をいえば、まだまだいい思いしたいしやりたいこともある!と思わんでもないけど、


それでも、逆に今病気で死ぬというなら、今の状態なら、

この世が非常に楽しいとか、特に未練があるものもないので

(子供がいるとか、親がいるとか、大好きな彼氏がいるとか)、


苦しい思いする時間が減るだけ(痛いとか苦しいの絶対無理な人なんで)、

それなら、それも運命であろう、と、案外悟って死ねる気がするけど。


(最近、石の花っていう漫画読んでたのもあるけど)



殺害されたりとかいう死に方は浮かばれへんぽいからイヤやけどな…。



そういう意味では、病気(寿命)でまだよかったんかな…と思えなくもないけど、

それも実際当事者じゃないからこそそう思うだけかもやし。


でも、闘病中のあの精神的肉体的辛さを考えたら、

あっさり交通事故で亡くなったほうが、そういうしんどさは本人も家族もなかったよなぁ

と思ったりもするし。


でも、本人も残されたほうも、年齢的にあきらめつく範囲でなければ

どんな死に方でも納得なんかいかんやろうけどな…。



本人だって、覚悟もなんもなくわけもわからんまま死んでたら、

そんなんでは納得いかんやろうし。



なんか、貴志タン(お気に入り作家)のクリムゾンの迷宮の主人公の

最後のセリフ思い出した。



…どうせわけもわからず死んでゆくのだから…



ほんまそうやよなぁって。



悟って死ねるケースなら、ある意味幸せかもやもんな。



プルーは、人間って本能的に無条件に死を恐れてるから、

死ぬの怖いとか、嫌なイメージあるけど、


実はあの世は、この現実、人間界の有象無象と違って、

そんなレベルを超越した、安らかですごい楽しいとこやったりするんかも?


とか思ってたりする(笑)。



変なとこ楽天すぎかもやけど、本能的な恐怖とか、無とか未知のもの、

わからんこと自体に対する恐怖でそう思ってしまうけど、


実際、知らんということは、そういう暗いものでもなく、明るい世界である

可能性もあるんちゃうんって思って。


宗派とかにもよるらしいけど、なんで四十九日とかってね、

死者は7日ごとに裁きを受けるらしい。



そういうのきいたら、地獄やったら怖いから、

やっぱり現世での生き方は考えなあかんよなーとか思うよな。

死んでチャラとかないと思うし。



目に見えないし、わからない世界だし、科学的には、別に物理的に死んでしまえば

その後の世界は何もないただの無なのかもしれないけど、

科学で全てくくれないようないろんな世界もあると思うんで。



なので、プルーが泣いたりしてたのを尻目に、

案外、最後の苦しい修行を終えて(そら楽しいこともあったやろうけど)

あの世ではそんな苦しみからも解放されて、いい人生(?)送ってるんちゃうかな

とか思ったり。


そう思わなやってられんからそう思う、単なる残されたほうの都合よさなんかもやけど、

死んだ本人にしかわからんけど、


あんなしんどい思いして、ただ生きてるより

今のほうが救われてるんちゃうかな、と思ったり。


あんなに料理好き、食べ物好きやったのに

(遺品整理してたら、料理メモ、本ばっかり(´□`。))


最後なんて、術後、思えば1ヶ月近く、食べ物どころか、水さえ飲むことが許されてなくて、

氷数かけなめるだけしかできないまま死んでいってしまったしね…。


こんなに早く死んでしまうんやったら、

近々食べれるようになるからっていう医者のいうことなんかおとなしく聞かずに

好きなもの食べさせてあげたかったわ。

これも今さら言ってもどうしようもないけど。



しかし、プルーの親の場合は、ゆうても50代まで生きてるわけやし、

(若くしてなくなってる人、たくさんいるもんなぁ…)


若い頃にはそれなりにやりたいことやってたみたいやから

(プルーみたいにひたすらwワークのワーキングプアではなく、パートもしたり、

苦労もしてるけど、暇をもてあまして好きな趣味に熱中したり、あちこち遊びに行ってた

(山とか海とか旅行とかほんまあちこちいっぱい行ってたΣ(゚д゚;))

専業主婦の時代あり)


まだ幸せやったかもな…


とか思えるけど、友達の子供は不憫すぎよなぁって。


何もかもがこれからやったのに、

これじゃあ、この世でやること終えたって説はあてはまらんやん…って。



その彼女にも逆に今回励ましてもらったりさ…。



でも、まだこんだけしか日にちたってへんのー?って思ったりするんやけど、

現実感があるようで、ない状態では、けっこう大丈夫だったりするんやけどね。



死んだ日前後のほうが泣きすぎてて、死んでしまったらもう急いで葬儀手配

しないといけなかったので、

(病院は24時間も預かってくれないんで)


事務的な部分でやること多すぎたり、親戚と久しぶりに会ったりとかで、

生きてたときのこと考えてしまうから、泣けて泣けて仕方ない

とかいう域に入る暇もなかったし。



まぁ、しかし、プルーがこんな風にブログでアピールする意味は、

一つは、親がまだいる人は、今のうちにできうる限りの親孝行しといたほうが

いいよ、という偉そうなアドバイスもかねてます(苦笑)。



親がまだ若いと特に、いつまでも普通に存在するのが当たり前って思ってるから、

いざ、いなくなると、ほんとにもう何も話すことができないんだなって思うんで。



時間って無限な気がしてたし、想像では、

いつ明日が終わるかもしれんから、毎日を大切に、なんてことは、

頭ではわかってても、やっぱりいつもとかわらん明日がくることは当たり前やったけど、

ほんまに、急にそうではなくなったりするんやなって。



今プルーは膨大な量の遺品整理をしたりしてるんですが、


これは親の性格による部分も大きいとは思うけど、

親もまた、まさか自分がこんな命とりの病気になるとは夢にも思ってなかったのがよくわかる、

あちこちに、


明日も普通に生きてると思ってたんやろうなぁ…

(まぁそれが当たり前だろうけど(苦笑))



って、思われる様子がまざまざとうかがえて。



実家なんていつでもいけるし、いつも存在してるし、

自分には自分の生活があるしってつい放置気味になってしまうけど、

元気なときにしか話せない話題もあったよなぁって。



当たり前やけど、いざとなってからでは、もう何も聞いたり話したりできへんから。


プルーの場合、こんな形で親孝行ができなくなる、と

思ってやってたつもりではなかったのだけど、


人間的にそんな相性いいわけでもないし、親は親の興味のあることしか喋らん人やったから

本音は、実家行くなら、その時間、自宅でゆっくり過ごしてるほうが楽やわとか思ってたし、

実際、ちょっと面倒やったけど、


そこは一応親子やからってことで、離れて暮らしてる分、無理くりでも、

月1~2回は実家に顔出すようにしてたんですが、

結果的にそれでよかった、なんてことになってしまった。



で、元気なときに話しておくべきこと、いろいろあるけど、

今回思ったんは、親の死後のこと。



縁起でもないとか、冗談に聞こえへん、とか、待ち受けてるわけ?とか

いろいろあるかもやけど(笑)、実際、これは元気なときに話しておくべき。


親があれこれ既に手うってるようなしっかりしてる人やったら、

実際、葬式関係はプロがやってくれるんで、残されたほうは思うがままに

感傷に浸れるだけ浸ってりゃいいので非常に楽やけど、


うちは真逆やったので、病気のことを抜きにしたら、残されたのは

現実ばかりで、それこそがほんまに大変やった。


って、今も微妙に大変な真っ最中なんですけどね…。




うちの場合は、病気で亡くなったわけやけど、実際、病気になってからでは、

もうなんの準備もできへんのよね。



実際、最中でも準備してたほうがいざというときスムーズにいくし、

できる人はできると思うけど、


やっぱりねー、闘病中に効率のためにほんとに準備なんかしてると、

ほんとに希望もなくなる気がして、できんかったりするんよね(泣)。



プルーも、いざ万一のことになって(全然現実感ないけど)

お葬式とかなったらどうなるんやろ…費用とかいくらかかるんやろ、

とか、現実的なことも考えなあかんから、ざっとホムペみたりするぐらいはしてたんやけど、



そういうことをしてる自分もいややし、そんなことする行為が

親の状態、運命をそっちに近づけてる気がして、やっぱりそれ以上のことは

できんかったんよね…。


ほんまは、早めに手打ってたほうが、当日の大変さは格段に違うわけやけど…。



プルーも実際、亡くなってしまった後は、ほんまに感傷に浸る間もなく、

調べまわって動わったりで、食事とる時間もなかったからさ。



お葬式関係って、手続きやしで、実際、あれもビジネスやから、金、金で。



なんかさ、親が泣くなってまもないのに、こんなことばっかりかい、

ってかんじなの。

そっちも泣けるよ、マジで。



だからって、ハイハイって適当に変な業者にうっかり頼んでもーたら

(まぁ業種柄、そんな表向きまで変な業者はそうないと思うけど)

それこそ悔やみきれんやんし。


まぁ、お金がバンバン使えるような人はどの業者でも手厚く対応してくれると思うので、

特に気にすることもなく、病院が契約して勧めてくる業者でもなんでもいいと思うけど、

(このへん、ほんま現実ってこんなもんよねーと思ったなー)



これも、経験から言うと、笑いながらですむうちに口コミでもなんでも

じっくりみんなで決めといて、とかのほうが、

万一の際、当日、そんなこと考えなくてもすむ、っていう利点があると思う。


生前予約やと安いみたいやし(笑)。



いざとなったり、入院生活となってしまってからでは、

もうシャレにならんから、精神的にそういうことできんしね…。



はっきりいって、プルーみたいな、今後はもう何も頼れないし、

金だけが頼り、という、無駄に金ぼられたくないって人の場合は、


ほどほどの値段の場合、業者の対応はピンきりやったりするので

(たくさん金落とす人に対応がいいのはどのサービス業種も共通と思う)

それも電話の対応から判断したり。



なんか、そういう問い合わせとかしてると、仕事してるみたいやったけどね…(苦笑)。

(逆に紛れるといえばそうやねんけど。)



実際、うちの親は無宗教はともかく、

無頓着でお墓参りもいかへんとか、家系もろくにしらんとか

なにもかもが適当すぎる人やったんで(そういうとこもプルーと合わなかった)、

生きてるときはそれでいいけど、



いざ、葬儀レベルのことになると、私が知らん、わからんではすまないから、

大急ぎで親戚に問い合わせたり、業者に連絡したり…。



これから、寺に入れるか、墓に入れるかとかそういう問題も残ってるんやけど、

ほんまに、こういうことは生きてるときに道筋でもつけといたら…、と思う。



従姉妹の叔母さんなんて、既に自分の墓も買ってるみたいで、

そういう人って、きっと後に残される人の手間とかふだんから考えてるんやろうな、

とか思うし、ああ、こういうとこの子は楽でいいなぁってちょっと思ったり…(苦笑)。



そら人間、自分が死ぬなんて考えてもないのが普通やろうし、

自分も思いがけずそんな急に死ぬなんて思ってもないから仕方ないんかもやけど、


やっぱり、自分の最後のことも一度はしっかり考えておくべきやよなぁって。

まぁ、年をとらんと考えんかもやけど、

ほんまにいつ何がどうなって最後の日がくるかなんて、わからんからなぁ。



唯一よかった(?)のは、大昔、親と一緒にテレビみてたときに、

日本のお葬式事情、みたいな番組をみてたことがあって、


お葬式スタイルもお墓もいろいろあるんです、みたいな番組で、

それをたまたま見てたのが、今思えば救いで。



うちの親は、なんでもお金もったいないって人やったんで、


死んだあとなんてどうでもいいから、お墓もお葬式もいらんわー。

海にでもパッと撒いてくれたらそれでいいわ。


なんて、さらっと言ってたんやけど

(それももちろん病気してない頃やったんで、さらっと思いつきで言っただけやったろうけど)、

それを思い出したんで、



それを親戚に話したら、

(間にうける私)


そら口ではそういう風に言うかもしれんけど、

実際、そういうわけにもいかんやろ


って言われて(泣)。




親戚の意見も聞きながら、今となっては、本人の意見も聞けないので、

どうやれば本人にとってベストなのかとか、けっこう迷ったり。



宗教とか興味本位の知識しかないから、真剣に考えたことなかったけど、


宗派による成仏に対する考え方とか、死者が成仏するために、

ほんとに生前のような、適当な考えでほんとにいいのだろうか、とか

やっぱりきちんと考えないといけないと思うし。


さすがにこればっかりは、しらん、わからん、で適当にしていいものじゃないと思うしな。



まぁ、親の性格からして、

死んだあとの装丁なんかどうでもいい(金かけるの無駄)、と思ってるのは

事実やと思うんやけど。



そんなんに無駄に金かけるより、子供の役にたつよう、金使えってタイプね。

(やっぱりそういう人のほうが多いと思うけど)


プルー自身も、死んでしまったら、死体や骨はもはやただの物体で、

魂はそこにないと思ってるので、その祀り方など、大差ない気がするので…。



ようは、残されたほうで問われるのは、純粋な気持ちやと思うしな…。

(金かけるのも気持ちの一種やろうけども)



あと、墓に入れるにしても、嫁にいってるとか苗字がどうとか、

地元ではないとか(うちの親は九州。墓を守ってるのは叔父)

寺が無理って言ってるとか、よその寺がいいかとか、考えなあかんことがいっぱいで。


基本的には、子が親(墓でも骨でも)の面倒を見るのが基本なんだって。


わかってるけど、親も、その親のおじいちゃんおばあちゃんとかと一緒に入ったほうが

寂しくないんちゃうんとか思ったんやけどな…。



一人暮らしして、親に頼らず、自分で稼いだ金で生活するようになったし、

もう大人になったわ、って偉そうに思ってたけど、


それでも特に頼むことは何もなくても、実家が存在することで、

いざとなったら頼れる親や実家がある、って無意識に思ってたせいか、


今回、もうこれからは何があっても誰も頼れる人がいなくなったんやなぁって。



まぁ、ありがたいことに、ふだんろくに交友なかったにも関わらず、


一人じゃないんやで、甘えていいねんで、


って親戚みんなが何度となく言ってくれて、心底支えてもらったから

精神的にずいぶん助けられたけど、



親の存在がなくなってみると、


今まで、なんだかんだいっても、私ってやっぱりまだまだ子供やってんなー


と思ったり。


親がいる間は、

無意識の安心感があって、やっぱりいつまでたっても、子供やったんかもしれん…。



もう一人の親や兄弟姉妹や結婚してる人や前提の彼氏とかがいる人は

まだ精神的にも肉体的にもわけあえる人がいるから

ダメージも最小ですむと思うけど、いない場合は、けっこう大変です。



なので、元気なときにお葬式のスタイルの話ぐらいは、

しておいたほうがいいとプルーは思います。



あと、本人の趣向とか。好きな花とか食べ物とか、そういうこともね。


プルーの場合は、幅広すぎて、何が一番やったんかわからんってかんじやったんで(苦笑)。




最後に花を入れるときに、親はコスモスが好きやったな…って

親戚が、近所走り回って、探してきてくれたときは泣けた。



いい親戚に恵まれてたのが救いやった。



微妙に暗い話で申し訳ないけど(苦笑)、

こんなん書けることもそうないと思うんで、リアル葬儀事情、まだ続きますおやしらず




ハァガーン


相変わらず、時間があるようで、やらねばならんことが山積みな状況…。



しかも、いざ書こうと思うと、なんとも筆がすすまん…



どう書き始めたらいいのか…

というか、そんな風に思いだしたら、なんか書くのだるくなってきたり(苦笑)。


ふだんなら、ブログなんて誤字脱字変換間違いまんま!

変換のほうが遅くてイラッとするくらい、条件反射でズダダとキーボード打ちまくってるのに、

今回だけは、


こんなん記事にして、私はいったい何をしたいんや…



とか思ったり。


けっして同情して欲しいわけじゃないつもりやけど、

ブログの形態が公開である以上、全くそれ否定もできんかもやしな。


まぁ、こういうこともあるので、皆さん方も後悔のないようにね、

って言いたい、ある種のおしつけがしたいんかも(苦笑)。



でも、一番は、今思ったことを残しておきたいんやけどね。



プルー、けっこう時間がたつと(統計では4~5年くらい)、

記憶の生々しさが綺麗に抜けて、真っ最中は、



あんな烈しい思いしたのに!



ってことでも、いい思い出、悪い思い出含め、

どれもが乾いた、いい思い出になってく人なんで…(苦笑)。


まぁ、記憶とか思い出なんて、そんなもんかもしれへんけどな…。



ちょっと暗いし、悲劇アピール記事になるので、いやな人は読まないで下さい(苦笑)。




まぁ、結論から言うと、

今月、母が亡くなりました。




は?今?

嘘やん…ってくらい、唐突に。



今までブログでは、そこかしこでアピールしてたから、親が闘病中ってのは、

だいたいわかってたと思うんですけどね。


でも、まさかこんなあっけなくとは思いもせず。



本人も絶対そう思ってて、まさか今日?みたいなかんじで、

なんの心づもりもなく、思い残したこと、やり残したことだらけで

逝ってしまったのだと思うと、そこだけが悔やみきれない。


みんないずれは通る道、通ってきてる道なんやろうけどなぁ…。


これが彼女の運命だったんだろうか…



と、簡単に理屈では割り切れないほど唐突だったので、

私の思いどうこうより、何より本人が無念であったであろうことを思うと、

それが辛い。

現実感がないのに、喪失感はあるという、なんともいえない状態で。



でも、やっぱまだ早いよなぁって。

まだ50代やったのに…。

しかも、春は全然元気やったから、余計に嘘みたいで。



これが、あと10年後とかやったら、まだもう少し納得できた気もするんだけどさ…。

平均寿命って82~3歳(平均でこの年齢って、かなり高齢やよな)とかいうけど

嘘つくな!みたいなさー…


いくら平均ったって、別にそこまで生きろとは思わないけど、

せめて60代後半とか70とかさ、それくらいなら、

まだあちこち体にガタもきてるだろうし、と思えなくもないのに…。

そりゃもちろん、まだ、ってだけやけどね。



なんか世間ではいろんな人がいろんなところでいろんな原因で亡くなってるけど、

それはつらいやろうなぁ…とか、想像やかるい共感ぐらいはできても、

親が生きてる自分にとっては、しょせん他人事で、ライトな共感であって、


理屈では、皆平等にいつかはそうなるもんやとわかってても、

いざ自分の親がこんな風に亡くなる日がくると、きたところで、なんか信じられないんよね…。

他人事みたいで、ほんまに自分にこんなことがふりかかるの?みたいな。



日常に紛れて、当たり前に親がいる現実に生きてたら、

なんかいつまでもいるもんって気がしてたから。



3月までは、今まで通りかわらず、普通にたわいのない話して、ピンピンしてたのに…

なんで急にこんなことになったんだろう…っていう…。




半年後にこんな現実がくるなんて思ってもなかったし、

想像はできても、ほんとにそうなっても、焼いて真っ白な骨になってるのもみてるのに、

全然現実感ない。



実は来年は引っ越す話も出てて、あそこに行ったら、とか楽しそうに話してたのにな。



やりたいこと、まだまだあっただろうし、やってた途中だし、

私だって、いまだに


これ、ほんとに現実なの?

私のことなの?

なんだか夢の中の出来事みたいに思うんだけど。


って思ったりするし…。



あきらかに自業自得によることだとか、

たいして生死に関わってないレベルの困難の話なら、

そんなレベルのことで頑張ってるとか、のりこえてます、とか

アピってんじゃねーよとか思うけど、

(自戒含め)


本人も、自分にもどうにもならないこと、どうすることもできなかったことで

失った命に対しては、悲劇のヒロインになって何が悪い、みたいな。



ほんまに今年はよく泣いた。


ほんと、いい大人が…。


病名を告げられたとき、

予後を知ったとき、

本人に教えるべきか決断をせまられたとき、

手術中に死ぬ可能性も十分あると告げられたとき、

急変して医師、看護師総勢で処置してる部屋の前でじっと立ちすくんでたとき、

緩和メインの病院への転院をすすめられたとき、

次回、急変の際は、蘇生は行うかどうか選択を迫られたとき、

病室でも転院のための移動中でも、常に酸素をつけてなければ辛そうな姿を見たとき…



親が誰よりも苦しくて辛くて大変なのはもちろんやけど、

従姉妹に、プルーちゃんも大変やろ。倒れんように、って

自分を気遣ってもらったとき…。



そんな中、金のため(医療費に適用される以外の出費もけっこうあるんで)

夜の店でバイトなんかやってた自分の馬鹿らしさとか。


今なら、こんなに早く死んでしまうとわかってたなら、

その時間全部、毎日でも病院にいって一緒にいればよかったと思うんやけどな…。

今さら言ってもどうしようもないことやけど。


もっとああしておけばよかった、

こうしておけばよかった、

もっと優しくしてあげればよかった

もっと話聞いてあげればよかった



とか、後悔だらけ。


明け方、病院から心肺停止の連絡をうけて、

朝方、病院へ駆けつける道中、どうしても意志がもたず、

ボロボロ涙流しながら駅までチャリに乗って移動したり…。


こんなに空は晴れて爽やかで…

世の中は、滞りなく平和な1日が始まろうとしてるのになぁって。


ICUで人工呼吸器につながれてるだけの親のそばについてた時も

先生に●時●分、ご臨終です…って言われたときも

霊安室で、もう冷たくなって、手を組まされてる姿を見たとき、

主がいなくなった静かな病室で、入院生活続きで積もり積もった荷物の整理を一人でしてるとき、

病院から見送られて搬送されるとき、

火葬炉に入れられていく姿を見たときも、

数時間前まで人間の形をしてたものが、一人の人間が、

ほんとに綺麗に骨の残骸だけになってしまった姿を見たときも…。



誰とも感情をわけあえないまま、全部自分一人でやるしかなかったことも。



ちなみに、きょうだいは一応いるのですが、

そこはまた後日、書きます。



そのほか、もういちいち書き切れんくらい、数え切れんくらい泣いた。



人間的には大して好きな人間でもなかったのに、泣きたくなくても泣けてしまうのは、

目の前の一人の生身の人間の姿をずっと見てきたからなのか、

それともやっぱり親やったからなのか、その両方なのだろうか…。


しかも、親は病気にまつわる辛さを滅多に吐露しない人やったから、余計。


これが、こっちもいっぱいいっぱいやのに、病人やからっていちいちアピられて

こっちは一方的に受け止めたらなあかんとかやったら、

こっちも限界近くでやっとんねん!自分だけ辛いフリすんな!とか思ったんやろうけど、

(病人にそれはナイんやろうけど、自分の性格上、そう思いそうなんで…)



実際、親はそこをよくわかってて、言いたいこと、ちょっとお願いしたいことも

プルーに負担かかるの遠慮して黙ってたんちゃうかなと、

もうなんにもできなくなったときになってからやっと気付いて、また泣けてしまったり。



その時は、いつも自分、自分な性格が災いして、

自分がいっぱいいっぱいで、そこまで親の気持ち考えることすらできなくて、

そんな自分が情けなくて。




他のことに意識集中してるとき、とんでる時は意外といつもとかわらんかったけど、

親の姿や状況を目の当たりにするたび、現実は想像だけでは絶対

全然わかってなかったであろう辛さがあった。


そのわりには、アホなブログ書いたり、バリバリご飯食べたりもしてたけど…(苦笑)。



うちの親の病気は、ガンと思われてるやろうけど、

病名は言ったら、万一知ってる人に見られたら絶対特定されそうなので伏せるけど、

難病指定にすらなってないほど珍しい病気なのだが、ようは、悪性腫瘍の一種。



白血病とかなんちゃら病とかになる人とか世間でいてるの聞いては、

うわぁ、どんだけ運悪いんやろ、ほんま不幸すぎる!とか思ってたけど、


そんな他人事やったことが、まさか自分の親にふりかかり、

それらの病気以上の宝くじ並みの罹患率の予後の悪い病気に

かかるなんて、想像したこともなかった。



どんだけ珍しいかっていったら、普通の外科医が一生のうち、

1例遭遇するかどうかの確率で発生する病気らしく、

日本では難病指定すらされていない(臨床数、症例数がそこまで足りない)、

しかも治療法の確立されていない病気で。


まだガンのほうが原発部位によっては抗癌剤が効く可能性も高く、

ステージが悪くても希望は持てたりするらしいのだが、



親の病気は、まだ良性(進行が遅いタイプ)であれば、

うまくいけば数年単位で生きてはいけたらしいけど、


悪性な上、それでも、原因がわかってない病気なので、

根本的に、可及的に切開、除去するぐらいしか治療法がないから、

切っても切ってもまた同じ状態になって、そのたびに手術となると

莫大な費用はもちろん、体にかかる負担から、予後は非常に悪いとされてる病気で。


ほんまに神様、うちの親何かしたんですか、って言うくらい…。

(プルーなんかよりよっぽどまっとうに生きてると思うんですが。)



病気になる前が健康的だっただけに、その落差は激しく、

みるみる容貌がかわり、さらに、抗がん剤4クール、大小あわせて5回の手術はもちろん、


常時点滴で栄養、尿排出のために管をつけ、お風呂も入れず、

痛くてもうイヤって言ってたのに、毎日のように行われる検査や注射で、

注射跡であざだらけ、IVHポート留置まで、もはや手の血管は

もろくなってて刺せない状態になってた。


イレウスの可能性や、手術後は内臓ほとんどとる可能性から、ストーマの可能性も

当然示唆されてて…


そこまでして生きなあかんの?って、

想像しかできへんけど、自分なら思いそうなくらいで、

きっとプルーが知らないところで、親もたくさん涙を流してたんやと思う。



最後はもう全身管だらけで、身動き、ろくに寝返りさえ打てず、

床ずれが痛い痛いって言ってた。

そうでなくても、管だらけで、何度となく切り刻まれて、一人では何ひとつ

できなくて、ただひたすら横たわるだけしかできない親。



腕も腿も肩もミイラみたいに骨と皮になって、別人のように変わり果てた姿を見ただけで、

気を抜いたら泣きそうになるから、強い意志で、淡々と普通の話、話し方して

普段どおりの接し方をしていた。



死んでしまう数日前に病院に行ったときに、

他人の看護師にはあれこれ言いづらい、あの荷物をあれに詰めておいて、とか、

荷物の移動とかコップ洗ったりとか、親の小さいお願いをこなしながら話しをするのだが、



ベッドのそばで下を向いて足元の荷物を整理してるときに、

あまり出ない声で、昔行った社員旅行の時の話を

ぼんやりした目で、ポツリポツリと力のない声で懐かしそうに話されたときは、

どうしてもこらえきれなくて、 目が潤んでしまい、

水買ってくる、と足早に病室を去って、トイレで泣いた。



親の今後の闘病における士気に影響が出るので、

私が泣く(プルーは親の前では、幼い頃からケンカして泣いてわめく、抗議する、など

泣く姿はほとんど見せたことない。怒ったらとにかく無視、部屋に閉じこもるタイプ(苦笑))

ほどの状況なのか…?

と思われないため、涙は絶対見せれなかった。



意識、意志ってけっこうすごいもので、泣きたいのは私じゃない、

とか、私が泣いてどうする!とか、意識をそっちにもってくよう、強く

マインドコントロールしたら、案外涙はおさまることを、今回学んだ気がする。



実際、親は入院中、急変したり、なんかの折にはやはり恐怖が沸点に達するのか、

普通に喋ってるときに、突然涙声になって泣きだしたりすることが何度もあったのだが、

そんなときも、プルーが、


は?

全然大丈夫やし。

気にしすぎやろ。


と、何言ってんの?みたいな、若干あきれたかんじで(これいつものプルーの態度(苦笑))

対応してたら、



あら…?この子はそんなんなの…

そんな悪いってわけでもないのかしら…

私何泣いてんのかしら


みたいなかんじで、けっこうすぐ動揺がおさまってたりしてて。



そこで私も、一緒に泣いてしまってたら、

この子が泣くんやったら、もう先がないんやろうか、とか思ってたと思う。


もし一緒に泣いてほしかったとかだったなら、

プルーはそこまで読めてなかったけど…。

実際、残された時間がわかってたら、ある程度の覚悟してもらってたほうが、

やっておきたいこと、言っておきたいこととかちゃんと覚悟していけるだけ、

そっちのほうがよかったんやろうか…と思うけど、



親の病気では、本人が治る気あって、頑張る気があったら、

たとえ改善はしなくても、悪くなるのをできるだけ遅くするだけの状態であったとしても


もしかしたら、あと1年くらいはなんとかなるかも。なんとかなるはず!

という状態だったので、

まさかこんな唐突にいってしまうことになるとは思ってもなかったのだけど…。




長くなったので、しばらく続きます。