“将来の夢”という共通の決まり文句を使って、ほんとうは人に説明する必要なんてないし、ほんとうは今考えなくてもいいはずの、自分だけが持ってりゃいい人生のビジョンについて、誰もが周りにいる夢のない大人たちから回答を求められたことだろう。

 

 

でも、いつからか誰もそんなこと自分に問うて来なくなる。

 

 

 

大人さんたちはもう私のおはなしに飽きちゃったの?

 

 

 

いやいやいや、

 

 

全然“将来”じゃねーーーじゃん。っつー話である。

 

 

そりゃ今更ね、

 

 

 

「将来の夢はなあに?」

 

 

なんて、腰を下ろし優しく目線を合わせて聞いてくれる奴なんか自分の人生からは絶滅危惧種と化す。

 

 

もうな、今なんだよ。

 

 

 

今やることも、将来やることも、

 

 

結局すべてが今。

 

 

 

おれは今22歳だけど、皆さんは今どんな感じよ。

 

 

 

 

いい感じ?別に人並み?ちょっとやべー感じか?停滞期?イップス?最近寝坊した?飯食えてる?

 

 

 

 

おれはちょいちょいの遅れをとった。病んでた時期(もちろんこんな一言じゃ片付けられないような痛み)があったことを逐一みんなに説明するのはめんどくさいからもうそこはあまりオープンにはしていないけど、本当は隠したい訳でもない。だからコンプレックスもいっぱいあるよ、おれはまじで弱いから。

 

 

 

それに気を取られて、じゃないけど、やっぱり思い通りに進まないものは進まないし、こんなので大丈夫か?とアバウトながら不安に駆られる日も少なくない。

 

 


『包括的なフットボール観戦と、わくわくコーヒー』

 

これは私の人生における一つの指針のようなものだ。「これに生きる!」というほど重いものではないんだけれど、このこの言葉に帰ってくればそれでちゃんと「おれの人生だぞ!」と自分に声をかけてやってるイメージ。

 

 

 

 

 

このブログでは私が人生を懸けて好き勝手楽しんでいることや普段考えていることのアウトプットとして活用することとする。自分自身で読み返したときに、「おれ楽しいことやってんなー」ってポジティブになれるものを作りたい。

 

 

 

 

 

 

今までやってきた趣味のブログもまあおおよそはこんな感じのニュアンスでやってきたけど、noteとかは特にちょっと詩的なことを書くセンスというか、ある程度文才が光っているものじゃないと記事として馴染んでいかないプラットフォームのような気がしてうまく続けられなかった。アメブロの敷居がどんなもんかは分からないけど、今までよりも気楽に続けられたらいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

辛かったことを忘れるつもりはない。熱い人生にしたいし、それを作りあげるならそういった痛みの要素も必要不可欠だと思う。

 

 

 

いろいろあったうえでの、おれの今なのでね。