暫くブログの更新が出来ずにおりました。
正直、書くつもりも無かったのです。
が、、、しかし、未だ、コメントを下さったり「お元気ですか?」の私にとっては涙の出るメッセージ!



本当に有難うございます。


そして「また書いていこうかな」
そう思う様になりました。



ブログを始めて、まだ間もないにも関わらず、
見ぬ方からのメッセージ。


心配して下さっている方がいたなんて
涙が出る位、嬉しい気持ちで一杯になりました。

この場をお借りしお礼を申し上げます。

嬉しい限りです。








2015年1月16日、母がこの世を去りました。(享年70歳)




新年早々、ラスベガス旅行中だった私達に、珍しく義父からの国際電話。

それは、数ヶ月前の渡米まで元気だった母が危篤という信じられない悲報でした。


私達5人(私、旦那、旦那のパートナー、娘のエリカとエマ)は、一旦、ロサンゼルスへ戻り
、その足で日本へ帰国しました。



義父の話によると、、、
年末の風邪から肺炎球菌ウイルスにやられ肺炎となり、8日に救急車で運ばた。との事。

その時は既に心肺停止の状態。

私達が日本へ着いたのは、
10日の夜でした。

母は、ICUで心臓さえ再び動き始めたものの、酸素吸入や体中に管をつけられ、目も閉じたまま。

「おかあさん」
「グランマ」
     と呼ぶ声に何の反応もありませんでした。



それから、5日後、奇跡が起きる事は無く、私達家族や余り付き合いの無かった母方の兄弟に看取られ静かに息を引き取りました。


突然失った、大きな存在。
心にポッカリと穴が開いたような寂しさ。





昔、優しかった母に対し、冷たい言葉をかけてしまった事もありました。



親孝行らしき事も出来ませんでした。
してあげれなかった。

これからもっと一緒に楽しい時間を過ごしたかったし、エリカやエマの成長も
まだ見て欲しかったし、見せてあげたかった。

もっと悩みも相談したかった。



孫の成長を誰よりも喜んでいたので、慣れないパソコンまで買った母でした。


私には義理の父でしたが、、、
仕事を23年間、休むことなく支え続け、家事にも手を抜くことなく働き者だった母。

今、思えばいつも家族の幸せを何よりも願っていた様に思います。





私がまだ、高校生で17歳。
義理の父親をどうしても受け入れる事が出来ず、一時は疎遠にもなりました。

反抗心と早く独立したい一心から、、、
高校を中退し、
水商売の世界に入ってしまった私。

心配し、母の小言が嫌でたまらない時期もありましたが、、、(笑)



お母さん。
たくさんの愛情をありがとう。

お疲れさま。

天国では、肺炎の苦しみから逃れてゆっくり休んでね。




辛気臭い文章を最後まで読んで下さり有り難うございました。


そして、、、
コメントやメッセージを下さった方。
ペタやいいねをして下さった方。

また、宜しくお願い致します。







麻子