はい、やましたです。今、浜田岳が象に会いにアフリカに行く番組をコタツに入りながらこれを書いています。そう。実家に帰っているのです。母の誕生日が一月末なので最近はこのくらいに帰っています。
象は力が強くてやろうと思えば、何度か押すだけで木をなぎ倒してしまえるそうです。そうだと知った上で見てもかわいいですね。
浜田岳が小象に尻尾や鼻で殴られて痛がっているのもうらやましくて仕方ないです。
母は自分がこの番組を見たいと言ったのに携帯ばかり見てかわいい小象を見ていません。
象は鼻に息を吹きかけると、その人のことを一生覚えているそうです。そんなに簡単に!?と思ったら、鼻に息を吹きかけさせてもらえるまでが難しいみたいです。
何事も道のりは険しい。

実家には子供のころから「ゲゲゲの鬼太郎」の2巻が一冊だけありました。多分親戚のお兄さんがくれたものです。子供のころから何度も何度も繰り返し読んできた本です。

本の内容としては、吸血鬼が来て日本の大臣から血を吸おうとするのを鬼太郎が守ったり、日本を侵略しようとする西洋の妖怪と鬼太郎率いる日本妖怪連合軍が戦ったり(どちらもねずみ男は最初相手側に見方するという安定のゲスっぷりを見せてますね。)する話です。そのねずみ男や鬼太郎の貧乏ぶりや西洋の妖怪に脅かされる姿やしゃれこうべが転がっていたり人がバタバタ死んでいたりするのに終戦の色が濃く感じさせられます。

でもそこには不思議と悲壮感がありません。鬼太郎もねずみ男も仕事がなく貧乏しながらゴロゴロしていて、明日食べるものがないから仕事でも探すかという感じです。
戦いが終わった後ねずみ男が寝返って鬼太郎側につこうとしますが、ばれてしまい大臣の護衛に追われてしまいますが鬼太郎は逃がしてやります。

「逃がしてやりなさい。あんな男でもいないとつまらないでしょう」寛容です。アンパンマンなら地の果てまで殴り飛ばしているところです。鬼太郎もビビビッ!と目に見えないほどの速さでねずみ男をよくビンタしますが、全く同じ技をねずみ男も鬼太郎に繰り出します。

勧善懲悪のようでいて実は「持ちつ持たれつ」なんだという感じです。ねずみ男が金を稼ごうと悪さに関わる。それを鬼太郎が懲らしめる。鬼太郎ピンチになる。ねずみ男が情けで助けてやる。解決する。ねずみ男を見逃してやる。みたいな。
ねずみ男は金を稼ぎながらも鬼太郎を助けたり、助けられたりして悪者になりきらない。鬼太郎はねずみ男が引き起こすトラブルを解決することで食い扶持にする。そして成敗しきらない。
赤塚不二夫の「これでいいのだ」に通ずる大人になると不意に涙が出ちゃいそうな人生の心理をひょっとこ口のキャラクターに教えられます。そんなにがんばりすぎれないよ。みたいな。いやお前はがんばれよ、もうちょっと。と自分に対しては思いますが。

それとどこかの樹海やしゃれこうべの丘を抜けた崖に人知れずある吸血鬼の館や、人間の誰も知らない山奥にある妖怪の病院がよく出てきます。これなんかもグーグルアースで地球の尻の毛まで見れる気になってる僕たちと戦後の頃とでは「誰も知らないどこか」「どこでもないどこか」の感じは全く違うんだろうな。

もうひとつ思ったことはとにかく勉強になんな!ってことです
一ページ目でもう出来事が起こる。次に個性豊かで、どんな奴か一目でわかるキャラクターが登場。登場人物が元から持っている悩みや葛藤が出てきた所で間髪いれずに次の出来事。展開、構成、キャラクター、駆け引き、問題の質と問題の登場の仕方。読ませるなー(誰に対して言ってんだ)。

今読むとその当時の空気だったり、水木しげる先生の人生観だったり子供の頃とは違った読みどころがあると思います。皆さんも是非読んでみてはどうでしょう。
そして象といつか仲良くなってみたい。そんな風に思う山下でした。
ごきげんよう。

山下由