2010.02.01に GOOブログで公開していたものです。GOOブログ閉鎖に伴い引っ越してきました。

内容に古いところがあるかもしれません。その辺はご容赦ください。

文中、旧筆名「珈琲貴族」から新筆名「√-1=ipyon」に書き換えしてますが、それでも「珈琲貴族」と出てくることがあります。

「√-1=ipyon」 だと思って読んでください^^!

 

 

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「源氏物語(1)」の続きからです^^!
(1)を読んで、この(2)に入っていくと、かなり読みやすくなりますよ~~^^(ほんまかいな^^)。

今回は、もう少し「源氏物語」の周辺と主人公が係わってきた女性を書く前に主人公について書いていこうと思います^^。「その女性たちとの出会いや遣り取りは、「源氏物語(2)」に満載しようかと思っています^^。」って、(1)で書きましたが、(2)の終わりと(3)で、その女性たちのことを書いていきますねっ^^(おいおい^^、またかいな^^)。

「源氏物語」は、「桐壺」の帖から始まります。

「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。(どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。)」
これが冒頭で、字数にして100万字(80万字とか書いているものもあります)、原稿用紙2500枚分の膨大な物語が、こうして始まっていきます。

物語は、光源氏という見目美しい皇子の両親の紹介、そしてその両親の悲恋から入っていきます。
そして光源氏にとっては、永遠の女性が紹介され、これからのままならない人生を暗示させます。

しかし、この「桐壺」の設定、これは、唐の詩人中国の有名な詩人である「はっけよい~残った残った」さん(おいおい^^違うだろ^^)、じゃなく白居易(はくきょい^^)の「長恨歌」にかなり似ているんです。
白居易は、白楽天とも言います^^。
「長恨歌」は、ご存知のように、安禄山の乱で楊貴妃を失った玄宗皇帝の深い悲しみの詩です。漢詩は、時代によって唐詩、宋詞、元曲とも呼ばれます。


白居易の時代の漢詩人は錚々たる人たちばかりなんですよ~~^^。
杜甫、王維、孟浩然、李白、その中に玄宗もいます。
聞いた名前ばかりでしょ^^。

その白居易の「長恨歌」を一部だけ出だしの部分を書いていきますね^^。

漢皇重色思傾國 
御宇多年求不得 
楊家有女初長成 
養在深閨人未識
天生麗質難自棄
一朝選在君王側 
回眸一笑百媚生 
六宮粉黛無顏色 

玄宗皇帝は美しい女性が好きで絶世の美女との出会いを願い、             

皇帝になってからも長年探し続けたのに見付けられなかった。
楊家にいる娘もようやく一人前の女性となったが、
家の奥屋敷で育てられていたので、その存在は誰も知らなかった。
しかし天性の美貌は隠し果せるものではなく、
ある日見出されて皇帝の側で仕えることとなった。
瞳を巡らせて微笑むと何とも言えぬ艶かしさが生まれ、
後宮の美女たちも平凡な女性に見えてしまうほどだった。
    (訳は碇豊長氏「詩詞世界」から引用)

これから長々と続くのですが^^、「源氏物語」と「長恨歌」の共通点です。

いずれも愛した者は帝王(天皇)であり、楊貴妃も藤壺の宮も、絶世の美女であり、そして身分が高くなく、溺愛されます。そして、周りの嫉妬により、不遇の死を遂げます。残された者(皇帝・天皇)の悲しみは半端ではなく、日にちが経てば経つほど忘れられずに涙の日々を過ごしていきます。

ほとんど同じなんです^^。

少し専門的な話をしますと^^、この「長恨歌」は、玄宗と楊貴妃のことを題材にしていますが、実はもう一つの実話が存在します。
玄宗にはもともと武恵妃という美しい寵愛した妃がいました。しかし武恵妃は亡くなってしまいます。失意の日々を送っていた玄宗のまえに現れたのが楊貴妃だったのです。

紫式部がここまで知っていたかどうかは疑問ですが^^。
しかし、きっと、紫式部は、当時、他の女官の誰よりも漢詩に造詣が深かったことが、玄宗と武恵妃のことは知らなくても、玄宗と楊貴妃で十分だったんでしょうね^^。
紫式部が、仕えていた中宮彰子に白居易の詩を教授していたことは、「紫式部日記」にも書かれていますし、また清少納言の「枕草子」にも「白氏文集」の話題が出ています。白居易が、日本の文学に大きな影響を与えたことは確かなことです。

さて^^、この「長恨歌」だけでなく「源氏物語」は、いろいろな書物から転用していると言われています。

「玉蔓」の帖は「竹取物語」、「賢木」の帖は「史記・「魯周公世家」、「薄雲」の帖は「史記・后妃伝」などからです。
光源氏と藤壺の宮の恋が、あの在原業平と二乗の恋に似ていることから、「伊勢物語」からの拝借もあると言われています^^。

藤原道綱の母の「蜻蛉日記」がなければ、「源氏物語」は生まれなかった、書いたとしても味気ないものになっていたと、私は「源氏物語(1)」の最後に書きました^^。
これは、光源氏への嫉妬に狂う身分の高い六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が、相手の夕顔というさほど身分の高くない女を呪い殺す場面がありますが、藤原道綱の母と夫の身分の低い浮気相手のことであり、その相手を呪い続けた実際の日記を読んで、登場させたことは間違いないことだと思います。
「源氏物語」、この六条御息所の存在があればこそ、ひと際光る物語に仕上がっていると思います。

いずれ、「蜻蛉日記」も詳しく書いていこうかと思っています^^。

「桐壺」の帖だけでも、数々の論文が発表されているんですよ^^。

「源氏物語の視角 桐壺巻新解」の吉海直人を始めに、「源氏物語の始発―桐壺論集」の本の中では、日本を代表する国文学や「源氏物語」研究者の論文で犇(ひしめ)いています^^。

タイトルと著者だけでも抜粋をしますと

桐壺更衣の母性をめぐって─桐壺巻再説─ (宮崎 莊平)
高麗人の予言と虚構の方法 (金 鍾徳)
桐壺巻の構成と聖徳太子伝─「光君」命名記事をめぐって─(佐藤勢紀子)
右大臣の再検討─桐壺巻の政治構造─ (吉海 直人)
桐壺更衣と藤壺宮─聖代回復の物語から─ (袴田 光康) 
「源氏物語」に見る藤壺宮入内の論理─「先帝」の語義検証と先帝皇女の入内について─ (湯浅 幸代)
桐壺帝の依頼表現 (森野 崇)

などなど、数百はあろうかと思います^^。
フィクションの物語に、ここまで政治や高麗人の予言などを真剣に論じて、それだけで生業としている人もいるから驚きです^^。
この「源氏物語の始発―桐壺論集」、時間があったら一冊いかがですかぁ~~^^!
14000円しますけど^^。もう、私なんか手が出ない書籍ですぅ~~^^。

その「桐壺」の帖から始まる「源氏物語」の主役から、お話ししていきます。
さてさて^^、「源氏物語」は主役が二人います。
まずは、光源氏、そして薫(かおる)です。

光源氏!
とってもローラースケートが上手くて、ジャニーズだったんですよ~~^^!
そして、メンバーの中には薬の常用者がいましたぁ~~~^^(おいおい^^、それは光GENJI^^、そして古~~~~^^)!

もちろん空想の世界の主人公ですが、この光源氏には幾人かの実在のモデルの存在が言われています。

藤原道長や左大臣源高明(みなもとのたかあきら)など、当時の実権公家や天皇も含み錚々たるものです^^。

藤原道長の説は、紫式部は道長の妾女であった可能性を否定できないことにあります。
「紫式部日記」にも、酔っ払った道長は夜遅く来たり、和歌をねだったり、扉を叩いたりしていたそうです^^。紫式部もきっとまんざらではなかったんじゃないでしょうか^^。

一番有力なモデルは、源融(とおる)です。
源融が「六条院」と呼ばれていたことで、光源氏の邸宅を六条院と呼んだのではないかということです。

この源融は、もう一つの顔を持ってました。能の世阿弥の「融」のモデルでもあります。
そうそう^^、この能、10年ほど前にNHKの番組で見たのですが、正直全くわかりませんでしたぁ~~~~~^^。と、いうよりも、私が能がわからないんですね^^。それもまったくと言っていいほど~~~~~~^^!!
「源氏物語」の源融がモデルと聞いたから観ちゃいました^^。静かに始まり静かに終わっただけのような^^。あれを幽玄と言うのでしょうか^^。どうも私の性格には合わないようです^^。
日本の伝統芸能である、歌舞伎もわかりましぇ~~~ん^^。

次に宇多天皇の第四の皇子であった敦慶(あつよし)親王も候補者です。
玉光宮と称され容姿端麗であり好色であり、絶倫だったそうです^^。
玉が光って、それだけでも凄そうですよね^^(おいおい^^)!
絶倫~~~~~って、羨ましいですぅ~~~^^(おいおい^^)!
宇多天皇に寵愛された歌人の伊勢との恋愛は、有名で一人子供を産みました。伊勢は宇多天皇の父親の子供も産んでいますから、複雑な関係ですよね。兄である醍醐天皇の女御だった藤原能子との恋愛もあり、異母妹の均子内親王を后にしました。
こうして書いていくと、お父さんの彼女であった伊勢を孕(はら)まして^^、お兄さんの彼女とも付き合い、あげくに妹と一緒になるって、当時の平安貴族の宮中の男と女の関係、今の感覚から言うと乱れまくってますよね^^。

あとモデルとして藤原高藤(たかふじ)と藤原高明(たかあきら)が有名です。

光源氏と明石の君との身分違いの恋は、「今昔物語」に見えますが、断然格上身分の藤原高藤と宮道列子(たまこ)の恋がモデルだということです。
高藤と列子は身分の差が大きいものの山科で結ばれ、高藤が列子と会えない間に胤子(たねこ)という娘が誕生します。そして、その胤子は宇多天皇の妻となりのちの醍醐天皇をもうけます。
宇多天皇、また名前が出ちゃいましたね。
もう、関係図を書くとドロドロでどうなっているのかわからなくなっちゃいますよね^^。

この列子(たまこ)、「たまのこし」の語源にもなっています。
「たまこが残した胤子のおかげで醍醐天皇の外祖母として従三位の高い身分を授かったことで、たま残し~~~に^^」
「玉の輿」と今では書きますが^^。あっ、でも「玉の輿」諸説ありますから、どこまで信用あるかですぅ~~~~~^^!!

源融が本命のモデルの候補者なんですが、源高明(たかあきら)説も有力で対抗なのかもしれません。
醍醐天皇の皇子ですが、母親が光源氏と同じく桐壺更衣の身分であり、光源氏と同じ年齢くらいで皇族から離され降籍されたことや、左大臣まで登りつめながら藤原氏に疎まれ失脚させられたことなど似たような経歴が見受けられるんです^^。

いったい本当のモデルは誰なんでしょうね^^。

その光源氏の素性を書いていきます。

桐壺帝の第二皇子で、母は正后ではなく桐壺更衣です。「光る君」と憧れの称号で呼ばれるくらいに小さいときからとにかく煌きを放ち、絶世の美貌と才能に恵まれました。
光源氏のこの母は、3歳のとき亡くなりました。桐壺帝の悲しみは、普通ではなく、その母の子である光源氏を、いつも傍に置いて、より以上可愛がりました。
しかし、この皇子の行く末を心配して、高麗の予言者に診せました。

その予言は、「国の親になって最上の位を得る人相であるけれど、国は乱れ、それがこの人の幸せではないですよ。帝王の補佐をする人と見てもそれもまた違うようです。」と。
もうひとつの予言は、占星術の宿曜(すくよう)で、光源氏は、「3人の子供をなし、ひとりは帝、ひとりは中宮、もうひとりは太政大臣になる。」とも言われました。小説だから何でもありの世界なのですが^^(おいおい^^)、この予言は見事に的中しました^^。
ひとりは冷泉帝と天皇になり、女の子は中宮となり、夕霧も太政大臣まで昇り詰めました。

天皇は、その予言を真剣に受け止め、母親の身分がそんなに高くない無印良品の我が子を、いつ自分が死ぬかわからないから無位の皇族、そんなところで腐らせたくないと思って、最良の方法を執らせました。
皇族から離れさせて、今もそうですが、天皇家には苗字はありません、そこで「源氏」の姓を与えたのです。それが、臣籍降下です。皇子を敢えて臣下の列に並べて存分に力を発揮させることにしたのです。

「源氏」の姓になり、それまで「光る君」とだけ呼ばれていたのが、ここに「光源氏」が誕生したのです^^。

この時代、占いは政治を左右する力がありました。
特に中国、韓国、そして日本においても、政治の行く道を易で占っていたんです。

中国に四書五経があります。儒教の中で特に重要とされる書物です。
四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記(らいき)」「春秋」となります。そこにある「易経」が、占いの源です。

その占いにより、光源氏は、皇籍から離れることになりました。
天皇と言えども、ただの占いと無視することができる時代ではありませんでした。

少し横道に逸れますが、「科挙」、中国の試験があります。
韓国やベトナムもこの科挙制度が導入されていました。日本も一時期行われていたのですが、すぐに中止となりました。中国では隋の時代の598年から1905年まで続いた官僚採用試験でもあります。今の日本に置き換えると、国家公務員のキャリヤになるための一番難しい試験を想像してもいいと思いますが、この「科挙」半端な難しさではありませんでした^^。

「科挙」を受けるのにも試験がありました。市試の次が県試、それに合格をしたら院試の歳試と科試、これに合格して初めて科挙の受験資格を得ることができます。その科挙も三年に一度しか実施されませんでした。
それから、「科挙」の一次試験「郷試」があり、そして都の北京で行われる「会試」、そして「復試」を合格して、やっと「殿試」が受けられるのです。この「殿試」に合格をして、やっと官職を得ることができました^^。

皆さん、よく「登竜門」と言う言葉を耳にすると思いますが、この「登竜門」は、都である北京の会試の会場に入るには龍門という名の門を通るので、会試合格者を登竜門と言ったのです^^。

それからも試験、試験の日々でした。
その「科挙」の試験が、四書五経から出題されたのです。全部で43万文字もある四書五経をすべて暗記しなければなりませんでした。
兵(つわもの)受験者の中には、逆さまでも暗誦できる人もいました^^。その上、司馬遷の「史記」まで暗記していた人もいたそうです。なんと、その文字数は、約53万字です^^。
いまさら役人などできる体力はない相当な高齢者もいました^^。
誰でもが頭が良ければ政治の中枢で役人となれるが謳い文句でありますが、実際には、当時かなり高価な四書五経などを買える財力がないとなれなかったのが実情のようです。

私も今年は「易経」に挑戦しようとamazon(アマゾン)で、中古の「易経 上巻」「下巻」をそれぞれ1円で年頭に買いましたが、最初の数ページでわからなくなっちゃいました^^。「なんじゃ!これ~~!!」って、もう気分は松田優作に~~~(おいおい^^)!そうは言っても、もったいないので少しずつでも齧っていきたいと思ってまぁぁす^^。
でも、きっと、四書五経のなかでも私には一番難しいのが「中庸」だと思います!
何故って^^?
「偏見」に染まりすぎている私には、偏ることなく調和がとれていることの意の「中庸」だからですぅ~~(おいおい^^)。

と、かなり横道に逸れちゃいました~^^が、これが、光源氏の大まかな素性です。

もう一人の主人公は、薫(かおる)です。

薫は、第三部の「宇治十帖」と呼ばれるところから主役を光源氏から引き継ぎます^^。
源氏の再婚相手正妻女三宮が母親です。光源氏が48歳の時にできた次男になっていますが、本当は、光源氏の正妻女三宮を無理やり犯した柏木の子供なのです。
高貴の出で、何不自由なく優雅な環境で育ちましたが、幼いころから自己の出生に疑念を感じて、内心は憂鬱なとした日々を過ごしていました。
父親の光源氏も表向きは可愛がっていましたが・・・・。

実の父親の柏木は、妻に迎えるなら皇女であり、とにかく若い頃から慕っている女三宮をと、自分の身分と不釣合いを忘れ、望み続けていました^^。この柏木、本当に女三の宮を愛していたのか、私にはちょっと疑問もありますが^^。なんか、身分の高い皇女だったら誰でも良かったのでないかって思うんです。
女三の宮の猫まで無理に預かるんですよ~~^^。そして、その猫を女三の宮と思い異常なくらい可愛がります。
女三宮が光源氏へ降嫁したあともその想いは捨てきれずついに想いを略奪という形で遂げます。
その結果、女三宮は薫を産むのです。

しかし、その代償はあまりに大きく^^!
柏木の恋文が、光源氏に見つかり真相がわかります。
柏木は、光源氏が恐くて床に伏し、耐え切れずに病死してしまいます。
女三の宮も、若くして出家します。
実の両親に見放され、さらに光源氏も死にます。しかし、幸運の星のもとに産まれたんでしょう^^!子のなかった冷泉院(表向きは桐壺帝の第十皇子、実は源氏の子)と秋好中宮に実子同然にかわいがられ育っていきます。
光源氏にとっては、因果応報、因縁生起、業感縁起なのかもしれません^^。

そんな自分の出生の秘密を知った薫は、仏道に帰依しだし、ある時宇治に俗聖(出家せず俗のまま戒律を守り仏道修行する人)がいるという噂を聞き、宇治の八の宮(桐壺帝の皇子、光源氏の異母弟)のところを訪れます。ここから始まるのがいわゆる「宇治十帖」なんです^^。

薫、これは生まれつき身体になんとも言えない芳んばしい香を帯びていたことから「薫」と呼ばれます。幼馴染に匂宮(においみや)がいます。匂宮も、この「宇治十帖」の大切な中心人物です^^。匂宮は薫への対抗心から自身をファブリーズします。もう、プンプンです^^。
この二人の香に世間の女性たちはメロメロになっちゃいます^^。もう、どの公家でも引っ張りだになっちゃいます。しかし世間とは別に、匂宮は、冷泉院の女一宮に好意を寄せていて、厭世観を強めている薫は思いの残る女性関係は持つまいとしています。

しかし、薫も恋をしちゃいますぅ~~~^^!
そして、ライバル匂宮と一人の女性を巡っての駆け引きが~~~^^

さて、どうなるか^^?????

あとは、このあと(3)の次に書こうと思っている「源氏物語(4) 宇治十帖」をお楽しみ~~~ですぅ^^!!

そんでもって^^お待たせ~~~~~~~~~~~~~~~です^^!!
そして、ここから、第一の女性の「藤壺」の登場となります^^。
ぎょぇ~~~今回、残りわずかだぁ~~~~~~~~^^!!

桐壺帝は、それから数年が過ぎても光源氏の母である桐壺更衣が忘れられずにいました。
側近は、あれやこれやいろいろな女性を連れていきますが、その悲しみは癒えないままでした。
あ・あ・ある日~~~~、桐壺更衣に極似している先帝の四女の話しを聞きます。
そして入内させます。それが藤壺です。14歳でした。光源氏9歳のときに、5歳年上の藤壺は、義理の母となりました^^。14歳とすでに中年の桐壺帝、このとき桐壺帝は「私の娘と同じように、実の娘のように育てるから」って言い放ちました!!
大ウソ~~~~~~~~~~~~~~~でしたぁ^^!(おいおい^^)!!藤壺とは、御所にある屋敷の名前であり、そこに住んでいて、庭に藤が植えられていたことから呼ばれていた別称であります。
「源氏物語」の中では、藤壺の呼称は3人でてきますので、混乱を避けるために普通は「藤壺の宮」とか「藤壺中宮」と呼んで区別しています^^。

桐壺帝は、メチャクチャ藤壷に惚れちゃって、常に藤壷の部屋へ行くようになりましたが、そこに光源氏もいつも一緒に連れて行ってました^^。これが、桐壺帝の間違いでしたぁ~~~~~~~~~~^^!!

光源氏の初恋の人になっちゃいました^^。

そして、思いが抑えきれずに、ついに光源氏は~~、藤壺と夜を共にします^^!!
その契りで、藤壺は妊娠~~~~~~~!!!
桐壺帝は、予定日よりも2ヶ月遅く産まれ、それも光源氏にそっくり~^^でしたけど、自分の子だと信じきって手放しで喜びました。桐壺帝は、死ぬまで事実を知りませんでした。
これが、のちの天皇冷泉帝なのです。
この事実を知っている光源氏は、それからも執拗に藤壺との関係を要求しますが、あの契り以外、生涯光源氏と一夜を共にすることはありませんでした。

光源氏は、その藤壺を忘れることはできないまま、また自分の生涯を閉じてしまうのであります。
でも~~、光源氏の最愛の人は、内縁の妻である^^紫の上だったのです。

と、いうことで^^
藤壺の続きから~~~「源氏物語(3)」は、女性の匂いプンプンで書いていきまぁぁす^^!
お楽しみに~~~~~~~^^!!