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江戸時代

銚子などで採れた魚は利根川を使って

夏季は関宿まで行き、そこからさらに江戸川〜新川、小名木川を使って江戸へ運んだそうですが

それ以外の季節、冬季は渇水期で船が関宿に入らないことから

利根川沿いの木下、布佐のあたりで降ろされて陸路をへて再び川を利用して江戸まで運んだのだそうです



運んだ道を

「生(なま)街道」と言います(1650年頃から〜)

夕刻に銚子を出発した積荷は馬に積み替え

次の日の夕刻に日本橋に到着

当時としてはそれが最短だったのでしょう


布佐から松戸に至る道筋は時代により変わりましたが享保12年(1727)以降は

布佐ー発作ー亀成ー浦部ー平塚ー富塚ー藤ヶ谷ー佐津間ー金ヶ作ー松戸の道筋を辿って送られたそうです


明治になると馬にかわり鉄道が使われるようになり、生(なま)街道も使われてなくなりました。

今はメイン通りの一本裏に入った生活道路です


この看板は

川沿いの道(水郷道路の入り口)にある

観音堂の裏にあります


新四国相馬霊場八十八ヶ所58番札所

本尊は馬頭観音



生街道の慰霊の為に、魚問屋や馬主によって建立されたものとか


観音堂は現在2011年3月11日の震災で大きな被害を受け、台風の強風で瓦や壁にダメージを負ったため、むやみに近寄らないようにと張り紙がしてありました。