こんにちは。ぴる来るです。

当ブログの【日本語 上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。


「高天原」とは本来は何と読むのでしょうか?

前回の続きです。

(以下、本文は常体で続きます)




高天原」という言葉の意味を考えれば「高い天の原っぱ」であり、「高い天にある平らな広い場所」ということになる。


「高」を「高い」と訳したが、「高」は「髙き」

や「髙し」のような完全な形容詞の形にはなっておらず、語幹のみの形になっている

しかし、意味としては「高い」と考えるしかない。


記紀においては、専ら「髙」のような形容詞の語幹の形で記されており、「速」も同様である。

現代の若者言葉で「髙っ」とか「速っ」というのは言葉の先祖返りのようなものだろうか。


但し、日本書紀ではイザナキが禊をする段で


上瀬かみつせこれはなははやし 。                                     (巻一・五段一書六)


とあるので、数年しか違わない古事記の時代にも「髙」にも「高し」「髙き」のような活用があったと考えて良いと思う。

まあ当然と言えば当然で、ここまで言語が発達した段階でこのような形容詞の形がなければ不便であろう。


「たかのあまはら」という読み方は、「高-天原」という区切ることからの発想だと思われる。

だが、「髙」は形容詞の「高い」の意味だから、「高いの天原」というのはおかしく、日本語の文法として「たかのあまはら」という読みは成り立たない。

これで一つの読みが消えた。


また「あまはら」か「あまのはら」かという問題については、「あまのはら」が妥当かと思う。


天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

(百人一首7番   古今和歌集 羇旅406)


この阿倍仲麻呂の歌はあまりにも有名である。

753年に詠まれたとされ、万葉集とほぼ同時期であり、古事記完成からは40年程後の歌である。

万葉集にも「天の原〜」で始まる歌はいくつかある。


無論、和歌の五七調に合わせるために「あまのはら」と五音にしたのかも知れないのでこれだけで証拠とはならないが、「海原」を「うなはら」と読むことを考えると、

「うなはら」の「うな」は「海の」であって、

    humino → humno → huno → huna ※

であろうから、「天原」も助詞の「の」が入って「あまのはら」と読むのが自然だろう。


   ※筆者の推定では上代の「う」の音韻は hu である。もしくは hu と u の区別が無かったと考える。


 

 


日本書紀でも「高天原」という表記と「高天之原」という表記があり、「之」が無くても多く「の」を付ける場合があるから、助詞の「の」が付く読み方がデフォルトのように思われる。


では「たかあまのはら」で決定だろうか。


祝詞にも「高天原に神留まります」とあるから、そういう固有名詞の地名(いや、天にあるから天名か)と当たり前に誰もが思っている。

だが古事記に記された「高天原」は固有名詞ではないかも知れないのである。


筆者が考えるに、現存する祝詞のほとんどは奈良時代以降、しかも古事記以降に監修されたものだと思う。


以前に述べたが、古事記は朝廷の文書庫に大事に仕舞われたものではなく、広く普及されるべきものであった。

現存の写本は数える程だが、恐らくはもっと書写されたことだろう。


古事記が編纂された目的の一つは、それまでてんでんばらばらだった伝承を一つに纏めて、国家観や歴史観、宗教観に新たな標準を打ち立てることだった。

近代の国語教育によって共通語を普及させたような、教科書的な役割もあったのである。


今ある祝詞は古事記より後に成立し、その影響をモロ師岡に受けているのである。

祝詞に使われている言葉や言い回しは比較的新しいと思われるのである。

神前に奏上する唱え言葉のようなものはそれ以前にも存在しただろうが、現存の祝詞とは違う形だったのだろう。


 

 



 

 


「黄泉国」も古事記より以前の伝承には無かったし、「高天原」という天上の世界には名前も付いていなかったのである。

それらに名前を付けたのは古事記である。


いや、「高天原」に関しては後にそう解釈されたのである。


安萬侶は古事記冒頭で「高天原」を一つの単語としては書かなかった。

「高天」でも「高天原」でもなく、「天」のみに訓注を付けたのは「高」と「天」が一続きの語ではないからである。

それは「高い」「天の」「原」なのであり、修飾語の付いた普通名詞なのである。


未だ嘗(かつ)て誰もこんな読みを提唱したことがないが、筆者は古事記における「高天原」は「たかきあまのはら」と読むべきではないかと考える。


古事記本文の冒頭の一節をやや意訳して現代語訳すれば、


むか〜し、昔、それはそれは高〜い天の上の広い原っぱに、天之御中主神という名前の神様が現れなさったそうじゃ。                          (CV:常田富士男)


という風になろうか。


「それはそれは高〜い天の上の広い原っぱ」

という意味で、一語で表される固有名詞ではないのである。


古事記上巻には「高天原」という言葉が10例出て来る。

それらは「たかきあまのはら」なのだ。

「天の原」は見上げれば目に見える。

ではそのいずこに神々はおわしますと問うた時に、それはもっと高い、人間の目には見えない場所なのだということになる。

だから「高き」なのだ。


日本書紀の「高天原」という語は固有名詞である。

当然のことながら先行の古事記も一書として参考にされたはずである。


ところが、当時は読み仮名というものが無い。

古事記は変体漢文で書かれており、漢字から意味は分かるが、大和言葉として読み下すとなると、こう読める、いやこうも読めるということになる。


「高」は「たかき」とも「たか」とも読めるが、「たか」と読まれ、「高天原」は一つの単語として理解されたのである。


読み方が不明なら安萬侶に聞けばいいということになるのだが、日本書紀の編纂に安萬侶は関わっていないのだ。


日本書紀は国外に対しても国家の威信を示すための書物であり、目的が違ったからである。


古事記がたったの数年で正確な読み方が分からなくなったという困った問題を踏まえ、日本書紀は完成の翌年(養老5年)には講書(こうしょ=書物の内容の講義)を行っている。


つまりは、古事記で安萬侶は「高天原」を一つの単語としては表現しなかったが、誤読されて固有名詞となり、以後もそう解されて来たのである。


いわば、「高天原」という語が独り歩きしてしまったことになる。


結局の所、「高天原」を何と読むかということについては、古事記では「たかきあまのはら」であり、その後の日本書紀は恐らく「たかまのはら」、祝詞などはそれぞれの信ずるように読めばいいということになる。


古事記では「高天原」のオリジナルの読みは「たかきあまのはら」であったが、後に誤読された結果、固有名詞と解された(ぴる来る 2026)