久しぶりにこんな時間にネットをしている。

夫はもう夢の中。それをいいことに、私はもうかれこれ1時間ぐらいPCの前でいる。

そういえば、ほんの一年前まで、休みの日にはこんなことをしていたのになと思うとなんだかとても切なくなるけれど、きっとそれはこの季節、秋のせいだ。


先日行った、ミスチルのライブが頭から離れない。

それは、例えるならずっと片思いの人からデートのOKが出たときのような気分、いや、片思いで返信が来なかった相手から待ちに待ったメールがきて、やり取りしている気分、といえばいいんだろうか。

小林武史のブログに先日行ったライブの感想が書いてあってさらにテンションが上がった。

やっぱり、行ってよかった。

ところで、真夜中にいいことは考えられないのだろうか。

最近私の周りではHAPPYなニュースが多くて、それに私はきっと嫉妬しているのだろう。

気づかないうちに、人間は自分で不幸を作り出しているらしい。

けれど、彼らの歌を聴いているとそんなことどうでもよくなってくる。

たとえば、「富を得たものはそうでないものより満たされていると思ってるの?」(擬態)

富を得た彼らだからこそ言えることなのか、それとも・・・。

最近強く感じることがある。

富を得たものもそうでないものも、毎日一日ずつ死に向かって生きている。
どんな人も、それは避けがたい不幸(あるいは幸かもしれない)
お金は持って死ねない、ならば何を以て人は幸せというのか?

だからこそ、

目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ見落としてしまう、何かに擬態したものばかり

なんだろう。

この歌詞に、貧乏なのも結構つらいよ、と突っ込んでいる方がいたけれど、その方が自分で「こんなことを言って、心まで貧乏になるのは嫌だなぁ」とおっしゃっていたのに衝撃を受けた。


心が貧乏


そういえば、今日は実母に叱られた。

私が来なくていいといったにもかかわらず、夫はわざわざ交通費を出して迎えに来てくれた。

その交通費と夫の行動をはかりにかけたようにみえたからだと今さら気づいた。