はじめまして。
アトリエベッポの友繁典子です。
私は若いころからず~と子どもに絵を教えたりする仕事をしてきました。
大学生の頃から、カルチャーセンターの子どもアトリエの講師のアルバイトから始まり。
こどもキャンプのリーダーもボランティア活動をしていたり、、、。
とにかく子どものいる空間が大好きでした。
それと同時にアートの世界も大好きで自分の感じている世界とか思っていることを表現したいなとずっと思っていました。
今から思えば、アートという自由な世界に憧れていたのかもしれません。
大学では染織を専攻していました。
フェルトやいろんな素材を使った作品を作っていました。
もっと自由に作品が作りたい!と、大学卒業と同時にBゼミスクーリングシステムという多くの著名なアーティストを輩出した
横浜にかつてあった、今は伝説となった学校に通いました。
その学校は最前線で活躍する芸術家、思想家、研究者が講師でした。
どの先生も自由な考えを持ち、他者を尊重し自由を認めてくれる空間でした。
全国から集まった奇人変人?のクラスメートと共に。
アートの力、表現することの喜び、そして厳しさを体験しました。
自分の信じたことを、これと思ったことを貫け!そうすれば、世界がひらける。
そんな強烈な教育方針だったようにその学校のことを思い出します。
子どもの造形教室の仕事もしながら、表現活動にあれくれた20代を過ごしました。
たまたま、働くことになった学童保育。
毎日、子どもたちと過ごすうちに。子どもというものについてもっと深く知りたくなりました。
どうしてケンカしちゃいけないの?
どうして、言うことを聞いてくれないんだろう?
子どもの大集団をどうやってまとめたらいいのかな?
一人ひとりの輝くような子どもたちの神聖に触れるたびに。
びっくりするくらい困難を乗り越えて成長する子どもを見るたびに。
ひとりの子どもがその子らしく輝ける、自分を生かせることって、大人は、子どもの前にたつ大人はどんな態度をとったらいいのだろう?
と考えて勉強したくなりました。
そのころに出会ったのがシュタイナー教育です。
実際にシュタイナー学校にも足を運んだのですが、第一印象は最悪でした。
それでも、北海道にあるシュタイナー教員養成コースのある学校(人智学共同体ひびきのむら)に3か月ほど勉強に行きました。
そのあと、京都に戻り、今度は児童館に勤務します。
そこでは、育児支援の仕事。子育て広場の運営、地域の子どもたちのイベント、学童保育の指導員などをしました。
シュタイナーの思想で子どもたちと触れ合う時間はとても楽しくよいものでした。
同時に子育て世代のちいさなお子さんのママたちとも多くの時間を過ごしました。
子どもの育児支援に関わる専門家の先生を見て、かっこいい!
お母さんたちの悩みに適格に答えられる知識と経験をとてもうらやましく。
私もいつか!あんなふうになりたい!
と思いました。
あのとき、出会った育児支援委員のY先生は今でも私の目標です。
その時間に発達障害といわれるようなお子さんにもたくさん関わる時間を持ちました。
また、そういったお子さんを育てるご家庭の大変さも痛感しました。
時は流れて、、、。
私も親になりました。
こどものそばにいたくて、、、。実家で始めたこども造形美術教室アトリエベッポ
約10年前です。
小さな長男を抱えて、絵画教室を一から立ち上げました。
児童館にいた時にやりたかったこと、子どもの空間。
夢にみていた仕事でした。
お子さんとの関わり、実験的な授業。
シュタイナー教育の勉強も再開して、一生懸命でした。
最初は人が集まらず、手書きのコピーのチラシをスーパーに貼ってもらったり。
長男をおんぶ紐にいれて、地域のおうちにチラシをポスティングしたりしていました。
3年目やっと、軌道に乗ったアトリエベッポでしたが、、、。
離婚することになりました。
本当にいろんなことがあって、
人生の大ピンチが起こり、教室をいったん休んで、長男と共にまた再び北海道へ!
車に家財道具を積み込んでフェリーで北海道に引っ越し。
長男と学生寮に住み、
一からシュタイナー教育の思想を学びなおします。
それは一から人生をやり直すような。
教育とは何だろう?
これから自分がやりたい仕事は何か?を考える日々でした。
なによりも、ひびきの村で長男が通ったシュタイナー幼稚園での彼の様子、担任の先生の立ち姿、子どもへの接し方に感動して。
具体的なシュタイナー教育のやり方について学びたいと。
横浜シュタイナー学校の教員養成コースに通うようになりました。
アトリエベッポの乳幼児クラス、幼児クラス、小学生クラス。
たくさんの年齢のおこさんたちに囲まれながら、学んだシュタイナー教育のことを実践する日々を送りました。
自身の子育てでは、
長男を育てるにあたっていろんな壁にぶち当たりました。
お友達、療育施設、仕事、学校。
さまざまなことでいろんな先生や専門家に助けてもらいました。
アトリエでも様々なお子さんたちや、ご家族、保護者さんとの深いかかわりがありました。
その中で、発達障害のボーダーラインで困っていたりするお子さんや、学校で困っているお子さん。
不登校になったり、、、。
そして、小さなお子さんを育てるお母さんたちとの深いかかわりもありました。
沢山の悩みやお子さんたちの様子を見るたびに、子どもの発達や成長について、もっと詳しく知りたいと思うようになりました。
子どもがその子らしく幸せな人生を送れるように!
そこで自分が出来ることって何だろう?
自由に生きるって!
楽しい子育てって?
答えを探して、一生懸命にいろんなことを学びました。
長男との日々、親として態度を改めたり、働き方を考え直したり、、、。
日々過ぎていく中で、新しい家族が出来ました。もともとシングルマザーだった私は再婚。
9年ぶりの出産。もう一人の男の子のお母さんとなりました。
夕方のクラスから、午前中働けるように!
次男を妊娠中に横浜まで新幹線に乗って、
日本乳幼児遊び教育協会の「ぐちゃぐちゃ遊び」の講師の資格をとる一期生として勉強を始めました。
代表の会田夏帆さんとの出会いがその後大きく仕事の在り方を変えていきます。
妊娠中から関西で初めてのぐちゃぐちゃ遊びの教室を始めました。
出産後もそんなふうに今までのように働く予定だったのですが、、、。
コロナになります。
日本乳幼児遊び教育協会の
【おうちぐちゃぐちゃ遊び】のアート的な工作の監修のお仕事を頂きました。
それがとても好評で自分の仕事の別の役割を見つけます。
繰り返される中止になる教室、再開か?などに、当時次男も小さくものすごく悩む日々を過ごします。
ものすごく悩んだ末にリアルにやっていた、子ども造形美術教室のクラスはすべて終了して。
制作キットの販売という形で仕事を再開します。
ぐちゃぐちゃ遊びの熱心な講師のお友達に
シュタイナー教育のお話をするたびに背中を押してもらって、シュタイナー教育の講座も始めました。
制作キットの仕事では直接お子さんと触れ合う機会は少なりましたが、お子さんを育てる保護者の方とお子さんのご家庭での様子。
制作に取り組むリアルな様子をよくやり取りする機会が増えていきました。
そして、子育ての悩みもよくお聞きするようになりました。
お子さんが家庭で過ごす時間が豊かであって欲しいなと願って仕事をしています。
私のシュタイナー教育の知識がどうやら誰かを元気にしているようです。
お母さんとして、生き生きと子育てを楽しんで欲しいなと思います。
お母さんの在り方声掛けで、子どもたちは伸び伸び、生き生きとします。
そんなことが最近の仕事の喜びです。
来年は次男も幼稚園に通い始めます。
コロナも落ち着き、リアルな教室もまたやりたい!
子どもたちの騒がしい声の中に身を置きたいな~と夢見るこの頃です。
私のなが~い職歴最後まで読んでくださってありがとうございます。