食べ物は、全て、砂の味。
と、私の 姉がよく言っていた。私よりも、10センチ以上背の高い姉は、
幼少の頃から、すれ違う人々が振り返るほど、細かった。
長い手足は、木の枝のようで、骨に皮がついているだけの、体であった。
赤ん坊の頃から少食な姉を心配し過ぎる母は、いつもいつも、姉の食事の事ばかり考えていた。
姉が少しでも何かを口にすると、
母はとても喜んだ。
姉の食欲が進まないと、姉の口元まで食べ物を運んだ。
姉は、小学校の給食の時間も、よく居残り給食をしていた。無理して食べると吐き戻す。小食な姉には、拷問に近い時間であったろう。
そして、小学校を卒業し、苦手な給食からやっと解放された姉。
しかし、中学校時代、母が姉に作る弁当は、あまりにも芸術的なモノだった。
小食な姉用の弁当箱は、
幼稚園の年少さんが使う位の大きさで、
サイズのイメージとして、
コンビニのおにぎり一つ、入るか入らないか位のサイズであった。
その小さな小さな弁当箱に入っていたのは、
卵の茶巾寿司にイクラをあしらったものやら、可愛いらしいピックを付けた茹でたうずらの卵やら、どんだけ小さく細工したんだと、突っ込みたくなるほどの色とりどりの野菜やフルーツ達だった。
姉の弁当箱の中は、宝石箱のようだった。
ちなみに私の弁当箱は、
野球部か!!と突っ込みたくなるほどデカい、三段重箱で、その中身は、姉の弁当には入れられないような切れっぱしや、姉の弁当には入れられない焦げた部分が、コレでもかとばかりに、惜しげもなく、色も形もバラバラに、美味しそうに入っていた。
姉が、学校から帰ると、真っ先に母がするコト、それは、弁当箱チェックであった。
中身が空っぽ なら母は喜び、中身が少しでも残っていると、母は落胆の表情を浮かべた。
いつからか、毎日、弁当箱を空っぽにして姉が帰宅するようになった。
姉は食べ残したモノを、学校のゴミ箱に捨てて帰ってくるようになったのだ。
姉がよく言っていた、
「何を食べても、砂みたいな味がする。」と。
そんな姉だったが、母が見ていないトコで、お腹が空けば食べていた。
私が一番驚いたのは、食パン1斤、何もつけずに、無表情でバクバク食べていたコトだ。
子供ながらに、「お腹空けば食べるんだな、姉ちゃんは」と思ったものだ。
姉と二人でマックに行けば、セットメニューをパクパク食べていたし、駄菓子屋に行けば、怪しいお菓子もパクパク食べていた。
「何故ゆえ姉ちゃんは、母さんの前で食べてあげないのだろう」と、よく思ったものだ。
母は、「コレは栄養があるから」「コレを食べると元気になるから」と、私達姉妹によく言っていた。
素直な姉は、母の言うことも、「うんうん」とよく聞いていた。
ちなみに私は「美味しいモノしか食べられないっっ!!」と言って、あまり母の言うことを聞かなかったが、そのわりに、皿まで食べるのかと思われるほど、何でもよく食べた。
よく食べる子はいい子みたいな風潮が、昭和の時代にはあったので、私はとてもいい子であったに違いない。はははっ。
さてさて、
ガリガリで、木の枝みたいだった姉、
食べ物を砂の味と言っていた姉、
現在どうなったかというと、
「何を食べても美味しいの~」と言いながら、年がら年中ファスティングなんちゃらというのをやっている。
22歳で子供を産んでから、急に何を食べても美味しくなってしまったらしい。
身長165センチ、体重39キロしかない状態での出産は、生きるか死ぬかの出産であったが、
親元を離れ、
子供を産み育てていくうちに、
食べ物の味が、砂から美味しいに変わったのだ。
昔の姉を知っているだけに、
今の姉のワガママボディーに少々ビックリはするが、彼女が美味しそうに食べる姿を見ると、思わずフッと、笑みがこぼれてしまう。
そして、あれだけ姉に食え食えハラスメントをしていた母は、今の姉を見るたび、
「あんなに心配しなきゃ良かった、あんた少し痩せたら?」と言う。
勝手なもんだ。
まぁ、何はともあれ、我が家の息子も、かなりの偏食で決まったモノしか食べないし、1日1回しか食事しない日もあるし、何なら365日ほぼ外食だけれども、
「お母さん、美味しいね~」と言って、パクパク食べてくれるので、その笑顔みたさに、ついつい食べたいモノだけ食べさせてしまう。
偏食だが、どうやら心の栄養だけは、満点なようである。
それでは、皆様も美味しいモノ食べて、栄養満点な1日をお過ごし下さいませ
またね


買っちゃおうかな~
ぐへへ。