こんばんわ(^^♪

 

私は今日も、私が思い描く「セミリタイア」人生へ向け邁進するばかりです(*^_^*)

 

そんな私が、もし何か新規ビジネスを始めるとするなら、

 

重要度MAXで気を付けたい事があります。

 

それは・・・

 

「無料」にこだわらない事です。

 

 

 

「先着〇名様に無料で〇〇を差し上げます」というキャンペーンってよく目や耳にすると思うんですけど、

 

その無料をGETするために、とても遠くまで高額なガソリン代がかかるなら行くのをためらってしまいがちですよね。

 

そこで判断は消費者に委ねられるわけですが、苦渋の選択みたいなものはこちら側から用意しないようにしようということ。

 

ガソリン代はまだ実感が湧きやすいほうの事例なのですが、もっと巧妙に消費者を惑わす手法はちまたに溢れているであろうことを想像してしまいます。

 

そうすると、自分自身が病んでしまうのですね。

本来、もっと便利な世の中にしたいとか、人の役に立ちたいとか、(お金を稼ぐのが前提だとしても)大義名分を抱えているわけです。

それとの整合性が取れなくなるというか。

 

よくあるキャンペーンなどの販促を否定することもできません。需要喚起は日本のような発展した社会経済にとって大事なものと私も思います。

 

 

「無料」の価値は「お金がかからなくてラッキー」だけで済んでしまうのなら悲しいと思っていまして。

無料と引き換えに有料のものを売っているわけなので、それの価値を最大限に引き出せれば万々歳なのですが、とても難しいっていう・・・

 

これだけ無料サービスが溢れている世の中だと、無料のありがたさを忘れがちなんですよね。

 

そう強く感じたのは、自分自身の行動を振り返って。

録画したTV番組を観ます→CMをスキップします

SNSを利用します→広告スレッドを素早くスワイプして消します

 

これがどちらかといえば普通の現状で、無料の感謝さえ慣れと共に頭から消え去ってしまう。

 

 

特に広告業分野で活躍しているのは一部の圧倒的シェアを誇る大企業のみと予想されることを鑑みると、消費者にとってありがたい「無料」は「味気のないエサ」としての役割しか果たさないし、企業にとってお金がかかるだけのことになりかねないのではないかと推測。

 

 

結論が急ですみません。

 

提唱したいのは、無料+金銭的価値は全くと言っていいほどないけど満足度は高い体験・経験が出来るようなサービス。

 

その世界から遠い人たちからは不思議と思える、アイドルのライブに行って、ライブが無料でもいっぱいグッズを買って帰るような、短い時間でライブの感想を伝えて帰るためにお金を払うような、エンタメ界のビジネス。

・・・既に溢れていて活性化、なんなら飽和状態でもあるわけですが、

 

マグロの解体ショーを見てマグロを買って帰るような刺激をミニマリストに与えないと、

コツコツ節約することだけを正しいことと信じ、節約家だけが得をする世の中になってしまうのではないかと危惧。

 

↑併せて大事なので言っておきたいのですが、

浪費がいいとか節約がいいという2極論ではなく、バランスを取れればと。

「誰かが得をすれば誰かが損をする」

この世に絶対がないのなら、これさえ覆せるのではないか、そう考えることに意味がある気がするのです。

 

優しさに溢れてる無料は好きですよ(*^_^*)

優しさに溢れてる有料も好きです(^_-)-☆

 

 

自己満足の文章にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 

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