こんにちは
息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です。
息子の記録を残すためにブログをはじめました。
今は、前向きに楽しく暮らしています
息子が中学生の頃の、修学旅行は
東京でした。
出席番号でのグループわけ
だったようです。
自由行動では野球好きな人が多くて、
後楽園球場での野球観戦でした。
息子は野球が好きではありません。
それで別行動をとったらしく
みんなで探したようです。
その頃の中学生は携帯電話は禁止でした。
息子は何か買い物をするために、お店を
見ていたようでした。
でも勝手にいなくなったようです。
これを知ったのが、卒業文集を
見た時です。
一人の方が、書いていた文集です。
イニシャルで書かれていましたが、
すぐに息子のこととわかりました。
むかつくなどと書かれていたり、
ほとんどが文句をたらたら書いていました。
息子に聞きました。
どうして、勝手な行動したのと。
せっかく東京に行ったのに、見たくない
野球は見ていられない。
どうして、自分の行きたいところ
言わなかったのと。
誰も聞いてくれなかったし、
却下されたと。
他の子はスポーツ大好き少年でした。
合うはずがありません。
協調性がないことと、コミュニケーションが
とれなかったから、こういうことに
なったのだとは思います。
どういう学校生活を送っていたのか
なと思います。
このころの話はしないので、
つらい生活を我慢していたのかも
しれません。
高校は、みんなが行く近場の高校には
行かないと言い1時間、電車通学
していました。
皆がいる高校は嫌だったのかも
しれません。
この後、不登校になったので
このころ対応できていたら
と思いますが、終わったことです。
このころ発達障害とわかっていたら
何かできたのかもしれませんが、
しょうがないです。
勝手な行動をした息子も悪いですが、
ずーっと残る卒業文集には
自分の思い出を書いてほしかったです。
3年間も、いたのだから別の思い出も
あるはずです。
悪口だけの文集、先生は確認しなかった
のかなと思います。
今でも家の奥にしまい込んでいます。
お父さんは捨てろと言っていましたが、
息子の文集が載っているので残しました。
でも見る勇気はありません。
こういう経験を得て今があります。
この今を大切に、今までの分も
楽しんでほしいです。
つづく・・・
読んで下さりありがとうございます