こんにちは
息子が35歳まで発達障害と気づかなかった母です
息子の記録を残すためにブログをはじめました。
今は前向きに楽しく暮らしています
息子が小さいころは、川崎に住んでいました。
幼稚園の頃、息子がサッカークラブに入りたいと
言い出しました
その頃はJリーグができた頃で、サッカーが盛んで
幼稚園にもサッカークラブがありました。
父親がサッカー選手という熱心な方も人もいました。
運動をやるような子ではないのですが、
本人がそういうのならと入れました。
サッカー練習着にジャンバーにと
かなり高かったです。
毎月のサッカークラブの
練習代も払わなくてはいけません。
息子は、みんなが練習していても別のところで、
木の棒で穴を掘っていたり、とても自由人でした。
いくら、言っても理解しませんでした
試合中にも、ボールを追いかけること
はありませんでした。
なぜ?と母の頭に中はいっぱいで、
怒りさえ出てきたのを覚えています。
そして、川崎球場であの頃人気のあったカズ、
ラモス、武田など有名な選手が交流会を開いてくれました。
母はワクワクしていきましたが、息子はそこでも自由人でした。
全然、喜んではいません
他の子は興奮して大騒ぎです。
息子はあの人たちだれ?という感じでした
何かが?でもわからない状態でした。
せっかく連れて行ったのに、これすごいことだよ
と言いましたが、何が?でした
そして本人もサッカーは好きではないと気づき
2年間でやめました
中学の体育でサッカーがありましたが、
少しでも習ったのでうまくできたようで
満足していました。
少しは意味があったのか?わかりませんが
今では、日本代表の試合は好きで、
テレビで欠かさず見ているようです。
スイミング、剣道、なぜか詩吟、習字と習いましたが、
今続いているものはありません。
息子は行ってみると聞くと行くと言います。
嫌だとかはあまりない子でした。
娘は泣いて嫌がる子でしたので、
全然違うタイプでした。
息子は感情を出さず、
娘は感情を思い切り出す子でした。
習ったことを使うことはありませんが、
泳げるだけでも無駄ではなかったかなと思います。
もしかしてと、サッカー選手を夢見ていた母の夢は
簡単に終わりました。
健康であればいいかなと思うこの頃です。
つづく・・・
読んで下さりありがとうございました