自分らしさを追求していくと、
NO!
という事をいう場面が増えてきます。
母親とは仕事もして、掃除もして、子供の勉強も見て、ご飯を作っていつもニコニコわらっているものだ。
いやいや、NO!
妄想にもほどがあるから。
今は共働きじゃないとやっていけない時代なのに、相変わらず女の役目は変わらないのがそもそもおかしい。
次、
我慢は美徳だ。
NO!
だれがこんなこと言い始めたんだろう。
私はこれは母親にけっこう言われた気がします。
好きなことは頑張れるけど、嫌なことを無理してやるって、なんか生産性あるの?
昔の部活じゃあるまいし、水飲んだら根性がないとかいうやつでしょ。
次
真面目が一番
NO!
体制に従い、正直に生きてきて、どれだけ理不尽な思いをしたことか。
自分にとっての真面目と誠実さは大切。
だけど、他人の目を気にした真面目と誠実は後で自分に苦い思いとして帰ってくる。
親の意見はいつも正しい。
NO!
年を取れば人格者になるというのは誤解。
若くて立派な志の持ち主はたくさんいる。
大人も間違うのだ。
次、
離婚せず、添い遂げることが良い。
だまっとれ!!
当事者じゃないとわからんのじゃ!
(失礼しました)
といった感じでしょうか。
誰が仕組んだのか、学校での教育なのでしょうか。
私たちは小学校くらいから、ガチンっガチンっといろんな鎧をつけていって、本来の自分をあっという間に見失います。
みんな素晴らしい個性と才能の持ち主なのに、環境にそぐわないと押し込められて。
周りから言われたことを一生懸命にやって、大人になってから、ある日突然苦しいことに気がつく。
そして、大人になってから、鎧を1つ1つ外すのが大変なこと💦💦
そして、本当の自分を取り戻せたら
やっと自分にとってのNO!
が分かるのです。
自分の気持ちに素直に
NO!といった瞬間、
足元がパカッと空いて、怖いくらいの自由が広がる。
そして、ワクワクした楽しい気持ちと怖さが押し寄せて来る。
自分の判断が自分に責任と結果として帰ってくる。
これが生きるということなんだと思う。
心底怖いけど、心底楽しい。
そして、こんな怖い思いを味わうと、今度は用意周到になる。
そうすると、毎日が必死になる。
生きている実感が湧いてくるんですね。
NO!と言うというのは、自分を信頼して尊重しているということ。
自分を大切にしてあげている、ということだと思います。
そうすると、どうなるか。
自分の他の人の意見を尊重出来るようになる。
わたしもたいがい、いい加減な母親ですが💦
子供の意志はできるだけ聞いて、尊重したいと思っています。
家族での些細な計画も、子供に意見を聞きます。
なぜなら、人生は自分で切り開いてコントロールできる!と思ってほしいからです。
そして、自分の意見が通ったときの子供の、得意そうな顔と嬉しそうな顔っ
それと同時に、意見を聞いてくれたから、私はコレを頑張るね!
というキリリとした表情も見ることができます。
私が自分の意見を大切にする代わりに、他の人も同じような重大さで意見があることを知る。
子供も、これからの社会との関わりのなかで自分も他人も大切にできれば、いずれ戦争無くなるんじゃない?
と大袈裟な事を考える今日この頃でした