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『奏鳴曲 北里と鴎外』 海堂尊(たける)著

項羽と劉邦(りゅうほう)、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ、西郷隆盛と大久保利通…といった具合に、同時代を生きた逸材同士がライヴァル関係となることはよくある。また、そのような関係を評して「両雄並び立たず」ともいう。海堂尊の『奏鳴曲 北里と鴎外』は、明治時代に医学界を牽引(けんいん)した北里柴三郎と森林太郎(鴎外)の、生涯続いたライヴァル関係を描いた評伝小説である。


 無医村で育ち、幼い二人の弟をコレラで失った北里。津和野藩の典医の流れを汲(く)む誇り高い医家に生まれた森。生まれ育ちは対照的ながら、二人はともに感染症から日本国民を守るという志を抱き、ドイツに留学してコッホに学ぶ。だが、やがて彼らは道を違え、ついには対決に至る。
 北里が浮かべば森が沈み、森が浮かべば北里が沈む…という両者の宿命的な関係は、互いの地位をかけた政治的な謀略合戦にまで発展してしまう。もともとの性格や生まれ育ちの違い、学んだ内容の相違なども対立の遠因ではあるものの、それ以上に、二人を取り巻く学閥や閨閥(けいばつ)、後ろ楯(だて)となった政治家との間柄など、医学的な真理の探求とは本来無関係なはずの人間関係が大きな要因だった。そのような俗な次元での足の引っぱり合いさえなければ、この二人がわだかまりを捨て、胸襟を開いてともに同じ夢に向けて協力する歴史もあり得たのではないかと惜しまれる。
 主人公たちを取り巻く医学者たちも印象的に描かれているが、中でも強烈な存在感を放つのが、森の上官にあたる陸軍軍医総監・石黒忠悳(ただのり)だ。政治的手腕に長(た)けた世渡り上手で、森や北里よりも長生きし、「世の中、生き残ったもん勝ちだよ」と嘯(うそぶ)いた彼だが、現在、彼の知名度は森や北里に及ばない。長い目で見るなら歴史の勝者は誰だったのかを考えさせられる。
 二人の医学者の偉大な功績のみならず失敗や人間的弱点をも描いた本書は、医学と感染症との戦いにおける試行錯誤という観点から、コロナ禍の現在にも通ずる物語となっている。
森鴎外)が「日本兵食論大意」を著して、脚気は細菌が原因だとして白米を原則とする日本食を採用し続けた。この論争はかなり長期に及んだ。(「白い航海」吉村昭著、講談社文庫より)
その後も陸軍は白米を採用し続け、日清戦争での陸軍の脚気患者は・・・・・34、783名の患者が出て3,944名が死亡、日露戦争での陸軍の脚気患者は211,600名の患者に対し27,800が死亡し、海軍では40名の患者のうち死者は1名に留まった。全体では、死亡戦死者を上回る脚気による犠牲者を出してしまった。それでも、陸軍は、脚気は細菌が原因だとして譲らなかった。
 脚気伝染病説を否定したのが北里柴三郎(慶応大学医学部創設者、初代学長)だが、ビタミンB1不足学説の基礎は鈴木梅太郎博士(理科学研究所設立者)である。
陸軍は官僚社会であり、日本の官僚組織の変化は昔から遅く 今に続いています。