『巡礼の約束』 “阿拉姜色”
監督:ソンタルジ
妻から夫へ、父から息子へ。
受け渡され、継がれていく巡礼の旅。

突然、聖地ラサへの巡礼にでると決めた妻。いったいなぜ? 夫は旅立った妻の後を追った……。
チベットの圧倒的な風景のもと、巡礼の約束をひたすらに果たそうとする家族それぞれの想いを描き、往年の名作『山の郵便配達』を彷彿とさせる物語である。
血のつながらぬ父と息子、
一頭の仔ロバが歩きつづける巡礼の旅。

ある出来事から、前夫との約束を果たそうと巡礼にでる妻ウォマ。その妻を心配し、後を追ってくる夫ロルジェ。こころを閉ざしていた前夫との息子ノルウも母に会いにやってくるのだが……。巡礼の約束』

中盤では、妻の唐突な巡礼の決意が医者による余命の宣告と、前夫とのある約束を理由とすることが明かされる。故人とはいえ別の男との約束を妻が胸に秘すと知った夫の心中は穏やかでないが、彼が抱えるこの動揺の帰趨こそが映画後半の軸となる。こうして若い女性ふたりを助手に伴う妻を中心とする前半部から、血のつながらない息子を伴う夫へと旅の主役を切り換えるこ。
『巡礼の約束』は当初、現代チベット歌謡を代表する歌い手でもある本作主演ヨンジョンジャによる、出身地ギャロンの地方文化を映画にして伝えたいとの着想から始まった。しかしソンタルジャ監督は本作の製作が進むなかで、むしろ人間の普遍的本質への焦点化によりギャロン文化の核心に迫れるのではと姿勢の変化を自覚したという。同じ巡礼の旅路が映されながら前半と後半で描かれる心象風景が大きく変わる本作の構成には、この変化が明晰に反映される。妻は前夫の遺灰が混ざる粘土仏を隠し持ち、病を明かさず実の両親へ別れの三拝を捧げる彼女の祈りに個人的かつ現代的な葛藤が暗示されるのに対し、息子との関係性や妻の前夫に対する嫉妬心を祈りによって。
『巡礼の約束』は、中盤では、妻の唐突な巡礼の決意が医者による余命の宣告と、前夫とのある約束を理由とすることが明かされる。故人とはいえ別の男との約束を妻が胸に秘すと知った夫の心中は穏やかでないが、彼が抱えるこの動揺の帰趨こそが映画後半の軸となる。こうして若い女性ふたりを助手に伴う妻を中心とする前半部から、血のつながらない息子を伴う夫へと旅の主役を切り換えることで、単線的な巡礼の光景を多層化して見せる監督の手際は鮮やかだ。
さて『巡礼の約束』の後半、ヨンジョンジャ扮する男と少年とロバからなる主人公一行がラサのポタラ宮を遠目に見る距離まで至りながら、町へすぐには入らない場面がある。なぜ行かないのかと問う少年へ男は「禊を済ませてから」と答えるのだが、まったく同じ場面がほぼ百年前明治期の日本人僧侶による巡礼記、河口慧海『西蔵探検記』(今日『チベット旅行記』として講談社学術文庫他より刊行)にも登場する。
標高の高いチベット圏では、夜ともなればしばしば星空の呼吸が聞こえてくる。天の河の流れへとり込まれるようなその音圧に、一切即一の仏教的世界観の顕れを感覚する。険峻なヒマラヤの山裾に千年の時を越えなお色鮮やかに残る仏教壁画群がそうであるように、本物の表現はいつの時代も個の制約や限界を超えたところに宿り堕ちる。だからこそ時代や地域を越え作品は共有され、共感され、受け継がれる。ヨンジョンジャとソンタルジャ監督の朗らかな瞳に包まれるその時間は、チベットのあの星空へ連なるそれら表現性の滔々たる気脈に自身が呑み込まれる体験、そのもの。
ウォマの意志を引き継ぐ、血のつながらぬ父と息子。ふたりはある日、母を亡くした一頭の仔ロバと出会い、ともに聖地ラサへと巡礼の道を歩きつづける。
夫役には、この映画の舞台であるチベット高原の東にあるギャロン出身の国際的歌手ヨンジョンジャ。民族衣装も美しい妻役は人気女優ニマソンソン。多くの候補者の中から「目」の魅力で選ばれた息子役スィチョクジャ、そして仔ロバの名演も忘れがたい。
死者とともに生きる
チベットの祈りのこころ。
迷える時代に新鮮な感動をもたらす名作。公式サイトより抜粋
スマホ時代現代チベットでも巡礼者おもてなしする文化ある。
五体投地
五体投地とは、両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して祈る、仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法。チベットには今も聖地巡礼を、五体投地で礼拝しながら、長い時間をかけて進んでいく人々がいる。
