
エマ・ストーネクス/著 、小川高義/訳
事件から二十年経った一九九二年まで男たちは見つからず、何があったのか解明されなかった。九二年になって、残された妻たち、若い見習い灯台守の恋人だった女性のもとに、小説家が接触してくる。事件について聞かせてほしいと。事件についての彼の執着も、謎として物語を駆動させている。
小説家の接触が、凍結されていた事件をもう一度融解させてゆく。生き残った妻や恋人の回想。彼女たちの事件への距離。思い入れの濃淡。
1972年末、英国コーンウォールの灯台から3人の灯台守が忽然と姿を消した。灯台は内側から施錠、食事も手つかずのままであった。8週間の任務、狭いベッド、夫婦の距離……。孤絶したコミュニティの中で、灯台守とその妻たちに何が起きていたのか? 誰もが光として抱えてきた思いが、20年前の未解決事件の謎を解き明かす。
当事者たちが過去と二十年後を行き来して語ることで、読者は最初想像もできなかった方向から、事件の様相を見るようになるのだ。
やがて三人称で、消えた男ひとりひとりの、灯台守としての生活が、またその事件前後の緊張感漂う日常と、ほかの灯台守との関係が記述されていく。
それは客観性のある描写なのか? それとも作中の小説家が提示する、新しい仮説なのか。
読者は記述の仕掛けまでも探しつつ、このサスペンスフルな物語を読み進めることになる。
作者が、アイリーン・モア灯台事件をそのまま小説化するのではなく、わざわざ一九七二年の事件として書いた理由も、読書を進めるうちに、沖の海霧が薄れてゆくように見えてくる。
作者は、十九世紀の英国労働者階級の男たちの物語ではなく、現代人が遭遇した事件として、設定する必要があったのだ。ただし、記憶の凍結が融解され、その解釈が仮説として受け入れられるだけの時間が経っていることも要件であった。
息苦しさを感じつつ最後の一ページまでを読んで、読者はようやく自分が北海の岩礁上の灯台から外に出たことを意識する。設定こそ密室もの本格ミステリーそのものであるが、読後、自分はまぎれもなく現代を生きる読者にとっての「恐怖」の物語を読んだのだと理解する。
そして書を閉じるとき、読者はいまいちど、その灯台が何の象徴であったのかと、荒れる海に規則的に光を回転させる灯台の姿を思うのだ。
旅でクロアチアの灯台ホテルに泊まったことがあります


