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1986年。ヤオジュンとリーユン夫婦は、ひとり息子のシンと中国の地方都市で幸せに暮らしていた。
>同じ工場の同僚であるインミンとハイイエン夫婦には、シンと同年同日に生まれた息子ハオがいる。
>両親たちは、互いの男児の義父・義母の誓いを立て、息子たちは兄弟のように育った。

>リーユンは第二子を妊娠。出産を希望するが 、鄧小平が進める“一人っ子政策”に反するとして堕胎を強要され、
>さらには手術時の事故で二度と妊娠できない身体になってしまう。
>失意のヤオジュンとリーユンを、さらなる悲劇が襲う。
>ハオに川遊びに誘われたシンは、泳げないからと一度は入水を拒んだものの、
>ほかの子供たちとはしゃぐハオの姿に誘われ川の中へと歩を進め、そして姿を消す。



>ふたりの子供を失ったヤオジュンとリーユン。失意の2人により過酷な運命が襲い掛かる。
>改革開放政策の悪影響で2人の働く工場は閉鎖。共産党は2人に転居を強制する。
>2人にそれを促したのは、党幹部となったインミンとハイイエンの夫婦だった。
>振り返れば、堕胎を促したのも2人。何よりシンが夭折した契機を作ったのは…

>漁村へと居を移したヤオジュンとリーユンは、養子を迎えシンと名付け育てる。
>シンは成長とともに親子の意味を、自らの存在価値を自問自答するようになる。
>当然ながら、インミンとハイイエンとの交流も途絶したままだ。
>そして年月は10年、20年と流れていき、かつて集った仲間の命にも陰りがみえてくる。

文革遺産の市場開放により国営企業が次々倒産に追い込まれた改革開放政策と、
人権を制限することで人口増加に歯止めをかけようとした一人っ子政策という、
1980~90年代にかけて一般市民を苦しめた、為政者の「独善」が背景になっています。
政権や権力の交代劇はありませんが、政策により市民が苛まれるという意味では、背景を同じくする作品だと思います。

本作は、直截的に権力や政策を批判することはせず、塗炭の苦しみにあえぎながらも何とか生き抜こうとする市民の姿や、
管理職と一般市民に分かれてしまった2組の夫婦の間に生まれた溝を、3時間超の長尺で丁寧に描いています。

火の出るような怒りや先鋭的な言葉が少ない一方、民草ゆえのやるせなさや逞しさが生々しく描写され、
それが故に本作は、静かな説得力に満ちています
ヤオジュンを演じたワン・ジンチュンとリーユンを演じたヨン・メイは、
ベルリン国際映画祭で最優秀男優賞・女優賞を獲得する快挙を遂げました。納得の好演です。
失われた子供「たち」への哀惜と呵責に捉われつづける「普通の夫婦」は、
罪を贖うかのように、苛烈な運命を黙って受け入れ、中国大陸を漂流していきます。
しかし人間は弱いもの。パートナーへの思いはいつしか揺れ動き、
迎えた養子が成長するにつれて自我を覚醒させるに至り、
ようやく取り戻したはずの「家族」は、再び、いや三度崩れ去ろうとする。
それを食い止めるのは、時間による癒しでも、子供の存在でもなく、
過去の自分にきちんと向き合い、これからの自分のありようを見定めること。難しいことです。


本作の登場人物は皆物静かながら、皆その勇気を持った気高い存在であることが、
長い長い(しかしあっという間の)3時間の旅を終えた観客に、しっかりと伝わってきます。

本作の英題は「So Long, My Son」となっています。
ヤオジュンとリーユンの夫婦は、数えてみると4人の「子供」を持ったことになります。
夭折したシン、「義理の息子」の誓いを立てたインミンとハイイエンの長男ハオ、
強制的に堕胎させられた嬰児、養子で迎えた「シン」=旧名チョウの4人です。
チョウは成長するにつれ、自分が「シン」の生まれ変わりとして扱われることに反発し、
自らの出自を知りたいと願うようになり、夫婦と距離を取るようになります。
最初は事故で、二度目は堕胎で子供を失った夫婦は、三度目の悲劇を繰り返すまいとしますが、
成長したチョウの屈託受け止め、大人として扱い、最終的にはチョウの思いを尊重し、羽ばたかせます。
そのことでチョウは、初めて夫婦の子供となることができたのかもしれませんし、
その瞬間、悲劇に捉われつづけてきた夫婦は初めてシンに「さようなら、息子よ」と言うことができたのかもしれません。
家族の絆は経済成長と反比例しているかも。